第12話 お金は嘘をつかない


 四人乗りの辻馬車は、激しく揺れた。


「なるほど、この詩集は父親から贈られたものだったのか」


 揺れをものともせず、リョウはページをめくっている。見ているこっちが車酔いしそうだ。馭者にはシティ地区まで目一杯飛ばしてくれと言いつけてある。渋滞しがちな大通りを避けて、裏道を縫うように駆け抜けていく。


「はい。父が死んだと分かってから、ひと月くらい経ったころです。本当だったら、北米の荷物を満載した船がロンドンに戻ってくるころでした」


 オリヴィアは語尾が震えそうになるのをこらえているようだった。

 いくら熱は下がったとはいえ病み上がりだ。まだ休んでいたほうがいいとぼくは忠告した。けれど、オリヴィアは聞かなかった。もしも本当にクレアが攫(さら)われたとすれば、自分にも責任がある。だからどうしても同行させて欲しい、と――。


「それにしても古いな、この詩集は」


 ほらごらんよ、とページを開いてみせる。


「角はすり減っているし、ページとページの繋ぎ目には妙な染みがある」 


 見開きにしたときに、ちょうど真ん中になる辺りだ。小さな黒い染みが点々と続いていた。


「カビでも生えているんじゃないの?」


「いいや、私にはインクのように思える」


 リョウは鼻を近づけてくんくんと臭いをかぐ。


「出航前に、古書店で慌てて買ったのかもしれません」


「買った時期までは分からないが、古本なのは間違いないだろう。ところどころに鉛筆で書き込みがある。この下手くそな活字体は、おそらく子供の文字だ。きっと前の持ち主もラテン語の宿題に頭を悩ませたのだろうね――」


 そんなことを話しているうちに、馬車は停まった。


 ぼくらの目的地は、小さな会社や事務所がいくつもテナントとして入っている建物だった。古めかしい三階建てで、階段の踊り場の両側に一部屋ずつ向き合っている。そのなかの一つに会計士の事務所があるはずだった。マクノートン氏の会社の清算作業を担当した事務所だ。

 クレアの居場所は分からないし、犯人の目星もついていない。ならば、まずはオリヴィアが狙われた理由を突き止めるのが近道だろう。マクノートン氏の会社の帳簿が残っていれば、そこから犯人像を割り出せるはず――と、リョウは断言した。


「帳簿なんて見ている場合なのかな」


 石造りの階段を駆け上がりつつ、ぼくは言った。


「警察だったら、こういうときは聞き込み捜査をするんじゃないの。クレアが攫われた現場を目撃していた人がいるかもしれないし、手がかりだって――」


「四〇〇万人だ」


「は?」


「ロンドンの人口だよ。聞き込み捜査で誰かを発見できるとしたら、それは警察の組織力があってこそだ。私たちが真似しても、それこそ藁の山から針を探すようなものだ。警察に相談してもいいが、今はまだ証拠が少なすぎる」


「たしかに、まともに調べてもらえないかもしれないね……」


「何より私は、人間の言葉をあまり信用していない。目撃証言なんて当てにならないし、誰かの話を聞くのはそれこそ最後の手段にしたいんだ。帳簿や領収証のほうがずっと信じられる」


「な、なぜですか……?」


 息を切らしながらオリヴィアが訊いた。リョウは立ち止まり、にこりと笑う。


「人間は嘘をつく生き物だ。けれど、お金は嘘をつかない」


 すちゃ――。


 会計士事務所の前で、彼女はそろばんを取り出した。

 ぼくらに軽く目配せすると、高らかにドアノッカーを鳴らした。

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