第9話 だからあの子をメイドにした


 結論から言えば、リョウの計算はおおむね当たっていた。


「じゃあ、あの子はここの生徒だったと言うんですか!?」


 驚きのあまり、ぼくは腰を浮かせた。

 ミンチン女史はすっと人差し指を立てると、ゆっくりと下に向けた。「座りなさい」という意味のようだ。いつもなら大人しく言いなりになるようなぼくではない。が、女史には不思議な魔力があるらしい。彼女の威圧感だけで、ぼくはソファに押し戻されてしまう。


「ええ、そちらのアジア人の方――リョウ・〝ホームズ〟・ランカスターさんとおっしゃいましたか? ――の言う通りです。あの子はいち生徒として、この寄宿学校で寝起きしていました」


「なんてこった……。ホームズ、どうして分かったの?」


「大して難しいことではない。得られた事実を繋いで計算しただけだ」


 彼女はスーツに包まれた脚を組み替える。


「あの言葉遣いと家事の下手くそさを考えれば、オリヴィアが家事なんてほとんどしない身分の生まれだと分かる。そして、あの麻紐だ。あれは船乗りがよく使う結び方なんだよ。そこから逆算すれば、彼女の一家が水運に関わっており、おそらく両親が外国にいるだろうことは推測できる」


 植民地で暮らす金持ちは、しばしば子供を寄宿学校に預ける。イギリス本土で教育を受けさせるためだ。


「正しくは、両親が外国にいた、ですわ」


 眼鏡を直しつつ、ミンチン女史が答えた。


「オリヴィア・マクノートンさんは、もともとカナダのモントリオール出身でした。ご尊父はアメリカ五大湖で水運業を営んでおられ、好況のときには何隻も船を持っていらっしゃったそうです。たしか、オリヴィアさんから見てお祖父様にあたる方が興(おこ)された会社だったとか」


 かの人物は叩き上げの船乗りで、たった一代で物流網を築き上げて、会社を大きく成長させたという。唸るほどのカネを手にした後も、好んで船に乗っていたそうだ。

 一方、会社の二代目、つまりオリヴィアの父親は、純然たる陸(おか)の上のビジネスマンだった。しかし、船に関する知識はひと通り教え込まれていた。あの麻縄の結び方はオリヴィアの祖父の代から伝えられたものだったようだ。


「わが校では、七歳のときからオリヴィアさんをお預かりしていました。ご尊母はオリヴィアさんを産んですぐに亡くなったそうです。七歳までとはいえ、男手一つでご息女を育て上げられたのですから……立派なものだと思います」


 女史は「男手一つ」と言ったが、実際にはオリヴィアが多数の乳母や使用人に囲まれて育ったことは間違いないだろう。


「本校の生徒のなかでも、とくに資金面で潤沢なご家庭でした。わたくしどもとしても、できるかぎり手厚い教育を施したつもりです。しかし――」


 オリヴィアが十二歳を過ぎたころから、マクノートン家の財政は少しずつ傾き始めた。


「鉄道が開通したからだな?」


 リョウの言葉に、ミンチン女史は深々とうなずいた。


「わたくしも詳しい内情は分かりませんが、正直に申しまして、寄付金の額ががくっと減りましたから……。台所事情が厳しくなっていることは、すぐに分かりました」


「鉄道って、何の話?」


「君は今までの話を聞いていなかったのか。オリヴィアの父親は、五大湖で水運業を営んでいたんだ。ヨーロッパから大西洋岸に届いた荷物を、アメリカ大陸の内陸部まで運ぶ仕事だ」


「それが?」


「カナダでは、数年前に大陸横断鉄道が開通しただろう」


 ぼくは「あっ」と声を上げそうになった。今朝、リョウが読んでいた新聞にも鉄道のことが書かれていたじゃないか!


「この鉄道の路線というのが、五大湖周辺の主要都市を結んでいてね。水運業者から客を大幅に奪ったことは間違いない。もちろん運輸網の変化は新たな商機を生むから、うまく立ち回れば大儲けすることも夢ではなかっただろう。だが、オリヴィアの父親にはそれができなかったらしい」


 ミンチン女史が答える。


「マクノートンさんも、悪化していく業績をただ座して眺めていたわけではありません。きちんと次の一手を考えておられました。五大湖の水運業は厳しい競争を強いられたとしても、鉄道によって物流そのものは増えるはず。つまり――」


「海運に参入したのだな。ヨーロッパと北米とを結ぶ航路に」


「その通りです。今まで所有していた船を売り払って、海運のための新しい船まで購入なさったそうです。会社の所在地もモントリオールからロンドンに移されて、一からの再出発だとおっしゃっていました」


 きっと初代社長のやり方を踏襲したのだろう。もしかしたら会社としての〝初心〟のようなものを取り戻したかったのかもしれない。新造船の処女航海に彼は同乗した。航海に成功すれば莫大な利益が上がるはずだった。寄宿学校の子供たちは、オリヴィアを囲んで盛大なパーティーまで催したという。彼女の父親の新たな船出を祝うためだ。


「しかし、船は戻ってきませんでした」


 出航から一ヶ月後、北大西洋の郵便船が波間に漂う船の残骸を発見した。板切れが数枚と、ボロボロに破けた布が一枚だけ。残された塗装から、オリヴィアの父親の船のものだと分かった。おそらく嵐に巻き込まれて航路を外れてしまい、氷山と衝突したのだろう――というのが専門家の見解だった。


「それが今年の春先の話です。マクノートンさんは新規事業を立ち上げるために莫大な借金を作っておられたようで、オリヴィアさんのもとには一ペニーも残りませんでした。身よりはなく、もともとカナダの出身ですからロンドンには知人もいなかったようです。彼女は天涯孤独になってしまったわけです。……最後の学期の学費を、まだ振り込んでいただいていなかったのに」


「だからあの子をメイドにしたっていうのか!? 未払いの学費を返してもらうために働かせることにしたと?」


「この学校にも雑用が山ほどあります。人手はいつでも不足しております」


「それまでは親が金持ちだから大切な生徒だったのに、カネがなくなった途端に、そんな……。 そんなの、あまりにも冷淡じゃないか!!」


「おだまりなさい」


 ミンチン女史は淡々と言った。


「では、わたくしがあの子を叩き出したほうがよかったというのですか? イーストエンドの貧民窟に身を落とそうが、救貧院に囚われようが、知らん顔をしているべきだったと?」


 もしも救貧院に入れられたら、刑務所よりもヒドい生活を余儀なくされる。ヴィクトリア朝のイギリスでは貧困は罪である。貧しさは本人の怠惰が原因であり、罰を与えて矯正しなければならない――。少なくとも金持ち連中はそう考えているらしい。


「あの子をメイドとして雇ったのは、せめてもの慈悲です。冷淡だとなじられる謂われはありません」


「だ、だけど……」


「にもかかわらず、あの子はほんの二、三ヶ月で辞めたいと言い出したのです」


 辞めたくなる気持ちは、痛いほど分かる。

 学校でいちばんの金持ちの娘として、何の不安もなく生きてきたのだ。なのに、ある日突然すべてを奪われた。父の死を悲しむ暇もなくメイド服を押しつけられて、働かざるをえなくなった。それも、同級生だった少女たちがぬくぬくと暮らす寄宿舎で。

 どれほど悔しかっただろう。どれほどやるせなかっただろう。


「もう少し家事を覚えないとメイドとしてやっていけないと、わたくしは忠告したのですけどね……。あの子の決意は固いようでした。だから、以前からお付き合いのあった職業紹介所に行かせたのです」


「それがノースロード職業紹介所?」


「ええ。学業成績はともかく、掃除洗濯の手際は悪い子でしたから、きっと新しいお宅でご迷惑をおかけするだろうとは思っておりました。とはいえ、今お話しした通りです。彼女が何をやらかしたのかは知りませんが、わたくしはできるかぎりのことをしましたわ」


 リョウは組んでいた腕をほどいた。


「勘違いがあるようだが、あの子は別に何もやらかしてはいないよ」


「……何も?」


「まあ、燻製ニシンの焼き加減は覚えてもらいたいけどね」


 冗談めかしてリョウは言う。


「あの子は自分の出自を語りたがらないから、少し調べていただけさ。おかげで、かなり謎は解けたよ。あの詩集もきっとここで使っていた教科書か何かだろう」


「詩集、ですか?」


「覚えがありませんか」と、ぼくが答える。「オリヴィアはホラティウスの詩集を持ち歩いていたようです。八折り判の古本なんですけど」


「さあ、分かりかねますね……。もちろん本校でもホラティウスは教えております。けれど、教科書に使っているのはもっと大判のものです。八折り判といわれても、わたくしには何のことやら」


 そして、「ああ」と声を漏らす。


「マクノートンさんの死後、遺品を詰めた小包がいくつか届きました。その中に入っていたものかもしれませんね」


 つまり、あの詩集は父親の形見なのだろうか。

 だとすれば、どれほど古びていても手放さなかった理由は分かる。そして、衣装ダンスの上という目に付きにくい場所に、まるで隠すように保管していた理由も。きっと、視界に入るだけでツラい気持ちになるからだ。けれど、捨てるには忍びないからだ。


「念のためうかがいますが……。本当にあの子は何もしでかしていないのですね。ご迷惑をおかけしていないのですね?」


「もちろんだとも。私たちの下宿に来てまだ一週間だが、彼女にできる範囲で精一杯働いてくれている」


「一週間ですって? 昨日、今日ではなくて?」


「どういうことだ?」


「じつは、つい数日前にもオリヴィアさんの雇い主が来たのです」


「マーガレットおばさんが?」


「おばさん? いいえ、二人組の紳士でしたけれど……」


 すちゃ――。


 リョウはわずかに身を乗り出した。手にしたそろばんが音を立てる。彼女の黒い瞳には険しい光が宿っていた。


「その男たちは何と言ってきたんだ?」


「そういえば、少しばかり礼儀に欠けた方々でしたわ。挨拶もそこそこに、オリヴィアさんが今どんな暮らしをしているか知っているか、と訊いてきました。……わたくしは、知らない、運がよければどこかのご家庭でメイドを続けているはずだと答えました。すると、自分たちこそがオリヴィアの今の雇い主であるとお答えになったのです。知人の紹介で雇ってみたが、まったく使い物にならない。いったいどんな場所で育てられたのか見てみたくなったのだ、と」


「そんなのおかしいよ。だってオリヴィアは一週間前から――」


 言いかけたぼくを、リョウは腕を掴んで黙らせた。


「それで、あなたはその男たちに教えたんだね。私たちに話してくれたのと同じ内容を」


「何か問題がありまして? 隠し立てするような話ではありませんし、本校の教育方針について悪い噂でも流されたら、たまりません」


「ならば、その男たちにノースロード職業紹介所のことも?」


「ええ、たぶんお伝えしたと思いますけど」


 女史が言い終わるよりも先に、リョウは立ち上がった。


「ご協力ありがとう。よく分かった」


 そしてぼくを見下ろした。


「行こう、ワトソンくん。ことは急を要する」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます