第8話 私の計算が正しければ、あの子は


 ミンチン女子寄宿学校は、ロンドン中心部から馬車で半時間ほどの郊外にあった。

 この国の産業発展にともない新興住宅がばかすか建てられている地域だ。〝学校〟と言っても広々とした校庭があるわけではなく、建物の大きさはぼくらの下宿の倍ぐらい。おそらく生徒数は二十人に満たないだろう。

 応接室のどこまでも体が沈んでいきそうなソファに、ぼくたちは並んで座っていた。


「ワトソンくん、だんだんと考えがまとまってきたよ」


「オリヴィアがスパイだなんていう頓珍漢な確信を捨てる気になったかい?」


「……確信だって?」


 リョウは怪訝そうに声を低くした。


「私は一瞬たりともオリヴィアがスパイだと確信したことはないのだが?」


「はぁ~~~!?」


 ぼくはのけぞってしまう。


「あれだけ強情にオリヴィア=スパイ説を主張していたじゃないか!」


「だから、重要性の原則だよ。数ある可能性のなかで、もっとも最悪な仮説だっただけだ」


 ぬけぬけと言ってのける。


「しかし幸いにして、この可能性は棄却されつつある。ほかの仮説の蓋然性が高まってきたからね」


「まさか、オリヴィアの正体が分かったの?」


「まだ断言はできない。この学校の帳簿を見ることができれば確実なのだが――。まあ、校長のミンチン女史に話を聞くだけでも充分に立証できるだろう。……それにしても、君と一緒に暮らしているせいで、私も感化されてしまったようだ。勘が鈍くなった」


 微妙に悪口を言われているような気がする。


「今にして思えば、あのタンスの取っ手を見ただけで気付くべきだった」


「もしかして、あの麻縄のこと?」


「そうだ。南京錠を使わないだけなら、まあ、いくらでも考えようがある。ちょうどいい大きさの鍵があの下宿になかったのかもしれない。新品を買うまでの一時しのぎかもしれない。しかし、問題は結び方だ。あまりにも複雑で、難解で――。あれではまるでゴルディアスの結び目じゃないか」


 ギリシャの伝説だ。

 フリギアの王ゴルディアスは、神殿の柱と荷馬車を頑丈な紐で繋ぎ、その結び目を解くことができた者は絶大な力を得るだろうと予言した。それから数百年、紐は誰にも解けなかった。ところがマケドニアの王アレキサンダーは結び目を一刀両断し、荷馬車と権力を手に入れた。


「私の計算が正しければ、あの子は――」


 リョウが言いかけたとき、応接室のドアが開いた。


「お待たせしました」


 どんな学校にも、一人くらいは〝嫌われ者〟の先生がいる。妥協も例外も許さずに校則を押しつけて、万力のように生徒を締め付ける教師だ。子供を理解しようなどとは毛ほども思わず、猿よりはちょっとマシな動物ぐらいにしか考えていない。

 ミンチン女史は、世界中のそういう教師を鍋に入れて煮詰めたような外見だった。

 がりがりに痩せており、ひょろりと背が高い。いかにもイジワルそうな鷲鼻の上に、小ぶりな眼鏡が乗っかっている。レンズの奥では神経質そうな瞳が、目の前の相手の些細な欠点を見つけようと輝いていた。


「失礼ですが、わたくしはオリヴィア・マクノートンにできるかぎりのことをしました。彼女への教育方針や処遇に間違いがあったとは考えておりません」


 椅子に腰を下ろす時間も惜しむように、女史は早口で言い捨てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます