第7話 余計な詮索はなしだ


 どうもおかしい――。

 手綱を握りながら、馭者(ぎょしゃ)の男は思った。

 彼が操っているのは四輪の辻馬車(フォーホイーラー)だ。客席にきちんと扉のついた、個室になるタイプの馬車である。目では前方の道を見ていても、耳は背後の客室に向いていた。

 地下鉄キャノンストリート駅の前で、二人の男を拾った。

 この仕事を二十年も続けていれば、身なりや口調から客の人物像を推理できるようになる。シャツのカフス一つとっても、先祖代々の金持ちは上品なものを身につけているし、先の戦争で大もうけした成金なら、派手なデザインの安物を選ぶ。

 客の職業を推測することは、ちょっとしたゲームのようなもので、馭者の男にとって密かな楽しみになっていた。目的地までの道すがら想像力を広げて、客を降ろすときに答え合わせをするのだ。毎度ありがとうございやした、ところでお客さん、結構なお召し物を着ていらっしゃいますが、いったいどんなご職業で――?

 だが、いま乗せている二人組は違った。

 シルクハットに黒いコート。革の手袋をはめている。その服装だけなら、金融街で働く紳士のように見える。

 しかし馭者の男には、彼らが変装しているように思えてならなかったのだ。

 二人組のうち年嵩(としかさ)のほうは、表情を隠すかのようにひげをもじゃもじゃと伸ばしていた。もう一方は色白の若者で、にたにたと奇妙な笑顔を絶やさなかった。もしも本当に銀行職員や保険屋なら、馬車に乗るやいなや新聞を広げて、最新の経済情勢について声高に議論を始めるだろう。しかし背後の客室からは、ついぞそんな声は聞こえてこない。

 彼らは、ベイカー街に向かって欲しいと言った。


 どうにも様子がおかしい――。


 蹄鉄が地面を打ち、かぽかぽと軽やかな音を鳴らす。風変わりな乗客二人に抱いた感想は、ひとことで言えば「嫌な感じ」だった。

 だから《ベイカー街》という案内板が見えたときには、馭者はホッと胸を撫で下ろした。妙な二人組ともこれでお別れだ。料金を受け取ったら、急いでシティ地区に戻ろう。帰る途中で客を拾えたらラッキーだな……。

 馬車を停めるなり、ひげの男が飛び降りてきた。


「申し訳ないが、ここでしばらく待っていてもらえるかね」


 スターリング銀貨を押しつけつつ、男は言った。


「われわれは女の子を一人、迎えに行かねばならん。彼女と一緒に戻ってくるから、ここに馬車を停めておいてくれ」


 馭者はいぶかしげに眉をひそめた。


「お待ちするのは、まあ、お代を頂戴できるなら文句はありませんけど……。女の子ですか? 失礼ですが、旦那のご息女でいらっしゃいますか?」


「それを君が知る必要はない」


 なんだこいつは、と馭者は思った。

 自分の娘を迎えに来ただけなら、はぐらかすこともないはずだ。


「まさか誘拐ってことはないでしょうね。あっしは二十年、真面目に馬車を駆ってきたんだ。今になって犯罪の片棒を担がされるなんてゴメンですよ――」


「あまりペラペラ喋らないほうがいいぜ、おじさん」


 いつの間にか、若いほうの客も降りていた。ひげの男とは反対側の扉から降りたのだろう。馭者は男二人に挟まれるような格好になった。


「こっちはね、おじさんのことをよく知ってるんだ」


「はて……。以前にも旦那がたをお乗せしたことがあったでしょうか」


 若い男はケタケタと笑った。ひげの男はにこりともしなかった。


「いいや、乗るのは今回が初めてだ」


「身辺を調べさせてもらったんだよ、今日のためにね」


「今日のため……?」


 十一月だというのに、馭者はじっとりと汗がふき出すのを感じた。


「あなたは立派な父親だ。辻馬車の馭者なんてさして儲からないのに、きちんと三人の子供を育てている。とくに、末っ子だ。そろそろ学校に通わせる年齢かな? じつに可愛らしい、聡明そうなお子さんじゃないか」


「だ、旦那がたはいったい――」


 若いほうの男はナイフを取り出し、くるくると空中に放り投げて遊んだ。


「このナイフ、牛タンを切るのにちょうどいいんだ。牛だけじゃないよ。ヤギとか、羊とか、大抵の動物の舌をちょん切るのにぴったりの大きさなんだよ。舌は固い筋肉の塊だけど、このナイフなら綺麗に切れる。スパッと、根元から」


 馭者はごくりと唾を飲んだ。ひげの男が言った。


「余計な詮索はなしだ。君は今日、われわれを乗せていないし、われわれがこれからすることも目撃していない。もしも警察に訊かれたら、そう証言するように。さもなくば――」


 肩を掴まれて、馭者は飛び上がりそうになった。ひげの男は耳元で囁く。


「――あの可愛い末っ子は、一生、うまく喋れない体になる」


 気付けば馭者は、関節が白く浮き上がるほど強く手綱を握っていた。


「わ、分かりました」


 何とか声を絞り出す。


「あっしは何も見ていないし、何も言いません」


「よろしい」と、ひげの男は満足げに微笑む。


「それで、だ、旦那がたは……いったい誰をお迎えするおつもりなのです? いったいどんな女の子を?」


 若いほうの男が、あごをしゃくって道の向かい側を指し示した。


「あの家のメイドだよ」


 下宿として貸し出されている建物のようだ。一階の玄関の脇には、小さな真鍮のプレートが打ち付けられている。

 そこには〝ホームズ会計探偵社〟と刻まれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます