5/複雑怪奇 其の一






 ――深夜の城は暗くはあるものの、無人というわけではない。

 姫が抜け出した夜が例外なのであって、実際夜警や御用聞きの侍従など、様々な人間が夜通し動き回る。

 もし姫が抜け出そうとしたあの日が、いつも通りの光景だったならば。姫の家出騒動などそもそも起こっていなかっただろう。

 そんな場所で夜に誰にも見つからずに移動出来る人間など、それこそ暗殺者アサシンぐらいなものだろう。


 個人で動くならば。


 例えばサシャが覚えているいくつかの魔術と魔導。戦闘に関わるものは教えてもらっていないが、いくつかの自衛手段は当然用意している。

 その中には、他人に気付かれないようにするものもあった。音を消し気配を希薄にさせる魔術。


 例えば、ウーラチカの目。人間が歩く以上最低限の灯などはつけられているものの、夜の闇は深く視界は拓けているとは言えない。

 しかしそんな中でも、森の中にある真の闇をも見通せるウーラチカの五感であれば、安全に前に進む事が出来る。


 ――つまり、二人が揃えば、この闇夜に溶け込んでしまった城内を、自由に進めるのだ。


 普通に考えれば、相当危険な行為をしている。

 しかしいくらフラグレント公爵に陛下(の影武者)へのお目通りを願っても叶う事なく、相変わらず体調が優れないというばかりだ。

 それすらも、既にウーラチカの情報で嘘だという事が分かっているし、何よりこの城にいる全員が信じていない。フラグレント公爵本人も、それが建前だと隠す気はないのだろう。

 例え建前だろうがあからさまな嘘だろうが、会わせないという結果さえ得られればそれで良いのだから。


「――ねぇ、サシャ。本当に忍び込むの?」


 夜目が効かないサシャの手を引きながら呟くウーラチカの声には、少々の不安と罪悪感が篭っている。もし情報源がばれて、仲良くなった侍従になにか咎がないかと心配なのだろう。

 彼に見えているだろうという自信の元、サシャは安心させるように微笑む。


「証拠でも突き付けなきゃ、あの公爵がまともに話をしてくれるとも思わないわ。勿論、貴方が話を聞いた侍従にも迷惑を掛けるつもりはないし、影武者にも何もしやしないわ」


 オーレン議長を完全に信用する訳にはいかないが、フラグレント院長は何かを隠しているのもまた明白。こちらのペースで有利に話を進めるには、ある一定の証拠と、出来るだけ多くの事前情報を握っておく事だ。

 ――とは言え、サシャの狙いはこれだけではなかった。

 トウヤと使い魔越しに会話した時に頼まれた事を調査する為だ。

 影武者が《群体蟻》なのか、それとも別の絆に所属する暗殺者なのか。サシャからしてみれば、二つの絆と契約するなどと馬鹿らしいと思う。


 しかしもう一度考え直してみれば、別の可能性があるのだ。

 二つの絆が同時に動く状況というのが。


 まだあくまで予測の域を出ない複数の情報を、果たしてどのように精査し、絞っていくか。どちらにしろ、影武者には一度会っておかねばならない。

 ……勿論、ばれたら国際問題になるのだが、いい加減正攻法だけで何か為せるとは欠片も思えなくなってきた。

 今までさんざん正攻法で依頼して、それでも頑なに断られたのだ。真相を知るには多少のリスクは背負うしかない。

 こう考えてしまうのも、ある意味汚れたという事になるんだろうか。そんな事を思いながら暗闇の中を二人で手を繋ぎながら、ゆっくりと進む。

 時折夜警や侍従とすれ違うが、その時は足を止めて息を殺し、ただ立ち尽くすのみ。

 足を止め、気配を魔術で消しているだけで、人間は案外すんなり気付かず通り過ぎていくものだ。手元の灯りしか頼りがなく、最初から射ないと思っている人間に反応する事は出来ない。

 認識阻害とは言うのはそういうものだ。自分から物音を立てたり、相手がよっぽど気配などに敏感でなければ察しはしない。

 ……手を繋いでいるのは不可抗力だ。肉体的接触をしなければ、ウーラチカの気配まで消せないから。

 城の一番深いところにある後宮の手前。

 公共の最高機関である城と、王族と言う特別な一族が住む後宮の狭間に、姫の軟禁部屋は存在する。まるで彼女の立場を象徴するような、少し皮肉っぽい場所だ。

 もう既に、曲がり角を過ぎれば直ぐのところまで来ている。

 警備が甘いというより、自分達の行動が相手の裏をかいているのだからどうしようもない。

 まさか警邏を行っている兵士達も、城の中から別の部屋に侵入を試みようとしている人間がいるとは予想していないだろう。

 その曲がり角を曲がろうとする直前、ウーラチカが空いている手でサシャの肩に触れ、静止を促す。角にほんの少し顔を覗かせてから、彼はやんわりと後ろに押し始めた。その時、サシャも曲がり角の向こう側がほんのり明るい事に気付く。


 ――警備の人間が扉の前に陣取っているのだ。


 事前に話し合って決めた合図に従い、サシャはゆっくりと後ろ歩きでその場を下がり始める。

 勿論、これから先の展開も話し合っている。

 ほんの少し後ろに下がると、廊下に備え付けられている窓を開け、ウーラチカが背中に装備して合った自分の弓を取り出す。月明かりの中サシャも、腰に提げてあるロープを取り出し、彼の手にその端を渡す。

 大鬼族オーガすら拘束出来る、アレクセイ謹製の金属糸で作られたロープ。そう簡単に折れはしない。

 彼の弓、《矢要らずの弓フェリル・ノート》の弓は、矢という概念系魔力物質エーテルで番えた物を、例えそれがどんな物であったとしても矢に変えてしまう、精霊の生み出す武器だ。

 概念系魔力物質は一定時間を経過しなければ解除されない。無形のものでも、しばらく形を維持し続ける事が可能だし、有形のものであれば普通の腕前の魔術師や魔導師では解除出来ない。

 それでいて小我オドを込めれば、下手な金属より頑丈になるのだから、反則も良い所だ。

 ウーラチカはゆっくりと息を吐き出しながら、弓の弦を引き、同じく提げていた一本の枝を番える。燐光と共に矢に変じるのに、そう時間は掛からない。

 すぐさまロープを矢羽の直ぐ手前に結びつけ、放つ。

 矢と言う概念を与えられたとはいえ、ただの矢とは思えないほどあっけなく、石で出来ているはずの窓の手摺りに突き刺さった。

 行程だけ見れば時間が掛かりそうなものだが、サシャの目のはあまりにも一瞬で、瞬きをした時には既に矢は突き刺さっていたようにすら見えた。

 相変わらず、腕は確かだ。


「ん、」


 ウーラチカの言葉足らずの指示に、黙って言う通りにする。持っていた杖を腰の後ろに備え付けてあるホルダーに取り付け、そのままウーラチカの胸元に身を寄せる。

 姿だけを言うならば、片腕で抱きしめられたと言えるだろう。細い体つきに似合わず、その腕はしっかりとしていて力強い。


「――『勇者の名に於いて、我が弓に命ずる。力を行使し、我を目的の場所へ』」


 小声で早口であっても、《勇者》の宣言は充分に効果を発揮し、ウーラチカの体を膨大な大我オドで強化する。

 その力を確認するように足を何度か動かすと、そのまま窓枠を足場に、夜の闇に飛び上がった。

 勿論、空いている手はしっかりとロープを握り締めている。さながら振り子のように壁に向かって勢い良く滑っていく。

 普通であれば、このまま壁に衝突し、ぺしゃんこになって落下するのがオチだろう。

 ――だが元々木々を飛んだり跳ねたりしていたウーラチカにとって、強化を受けている今、音を立てず壁に足をつける事は苦ではなかったようだ。

 想像したよりもずっと衝撃も少なく、重力などという物を感じさせない姿勢で壁に着地する。

 そのまま、ロープを手で巻き取りながら、ぐんぐん上に上がっていく。


「結構上手いじゃない、登攀」

「っ、おれウーより、トウヤの方が、上手い、思う。トウヤ、何でも出来る」

「トウヤは一匹狼の傭兵よ? 出来ない事より、出来る事の方が多いわ」


 でなければ、サシャと会う前に死んでいたかもしれない。

 そんな物騒な事を笑顔で話す内、既に件の窓は目の前だ。


「……本当に、やる?」

「やる。大丈夫よ、《眷属》におんぶに抱っこだけじゃ、《勇者》やってらんないんだから」


 ウーラチカの念を押すような言葉に、サシャはもう一度笑顔を浮かべて言う。

 本当はすこぶる怖い。

 それでも《勇者》になる修行の過程で、当然肉体的鍛錬もこなして来た。

 本職であるトウヤやウーラチカに比べればそりゃあ素人に毛が生える程度の腕前でしかないが、コレくらいの軽業﹅﹅はこなさなければ。


「――ん、じゃあ、いく」


 腰に巻かれているベルトを掴まれ、




 視界がぶれ、足元に流れていく。




 少しの気の緩みも許されない。


「ッ――浮遊Curabitur


 体が重力に逆らっている一瞬を数瞬に変えるため、重力を軽減する魔術を起動する。

 そうするだけで、身体能力そのものは普通のサシャでも、目の前の窓の手摺りに足を、そして窓枠を手で掴む事くらいは、そう難しい事でもなかった。

 トンという足が付く感触と音を感じて、ようやく地に足が着いた感覚に、一度だけ安堵の息を吐く。


(もっとも、ゆっくりはあんまりしていられないんだけど)


 時間は有限。いつ見回りの警邏が来るか分からない状況……というだけではなく、足場があるとはいえ些か頼りない場所にずっと立っているわけにも行かない。

 一度ホルダーに取り付けた杖を片手だけで器用に取り出し、その先を窓にほんの少し当てる。


「――開錠アンロッキング


 鍵が開く音もなく、一人でに窓は開く。

 そのまま出来るだけ物音を立てないようにしながら、ゆくりと中に入った。

 部屋は庶民に想像も出来ないほど豪華だが、王族が住む部屋としては非常に質素なものだった。閉じ込められているとはいえ、あからさまに鉄格子嵌まっていなかった事を考えると、

 あくまで仮住まいという認識らしいのが、内装を見るだけで分かった。


「――サシャ」


 縄にぶら下がっていたウーラチカはその身体能力で、あっという間に後ろに立っていた。ウーラチカに大丈夫だという事を証明するために軽く片手をあげると、サシャは慎重に部屋の奥に進んでいく。

 中央に据え置かれた天蓋付きのベッドには、一人分の人影。暗い中にあっては分かりづらいが、掛け布団から出ている髪の毛は金色のように見える。

 そこまでは、トウヤから事前に聞いていた通りだ。

 問題は、その顔。

 自分は直接姫にあったわけではない。手練れの影武者であれば、トウヤが情報としてあげて来た特徴は出来るだけ網羅している姿形になっている事だろう。

 どちらにしろ、起こさなければ話にならない。


「――遮音結界Nullasonus


 騒がれた時ように音を防ぐ結界を張ってから、サシャが影武者をゆり起こす為に近づき、手で触れ、




「――サシャッ!」




 外に漏れないように器用に叫んだウーラチカの声、そして行動と同時に、ベッドの隙間に蹲る闇がこぼれ落ちるようにサシャに襲いかかって来た。




 ウーラチカが、その影とサシャの間に割って入った。

 影は人間の形をしていた。闇に溶け込めるようになのか、黒いフード付きの服に、艶消しされている革鎧、そして黒く塗りつぶされた短剣を構えた、二人の影。

 大きさと恰幅の良さを見るに、おそらく男性だろう。

 暗殺者アサシン

 本物の気配に、サシャの皮膚が粟立つ。


「……サシャ、指示」

「――殺さず生け捕り」

「了解」


 それだけを答えると、ウーラチカは持とうとした弓から手を離す。

 この近距離では、どんなに強力な弓でも使い物にならない。さらに言えば、この弓を使い始めたら、殺さないという選択肢が取りづらい事に、本人が一番分かっていた。

 その代わりに取り出したのは、腰に下がっている一本のナイフ。

 元々狩猟を行った際、獲物を解体する時に使うナイフ。戦う事には向かないものだが、あくまで防御用のそれに切れ味を求める事はしない。

 ――影が襲いかかって来たのは、一呼吸のうちだった。

 一人が天井の高いこの部屋で、ウーラチカあいてを脳天から突き殺す為、ダガーを逆手持ちにして跳躍した。

 そしてもう一人は足の腱を狙っているのか、両手にダガーを持ち、床を這うような前傾姿勢で進む。


「――ンッ!」


 ウーラチカは一瞬考えるような素振りを見せると、即座に行動を起こす。

 避ける為に左右後方に動く事はしない。したところで、広いとは言え限定された室内で避け続けるわけには行かず、後ろにサシャがいる。

 だから敢えて、前に踏み出し、その足で前方足元に進んでいる暗殺者の方に、その爪先を勢いよく上げる。


「ぐっ!?」


 気づいて避けようとするが、速度を重視して前進する彼の姿勢では、とてもではないがその脚を避ける事が出来ない。

 爪先は見事に相手の顎を捉え、球蹴りの球のように跳ね上がった。布で口を覆っているお陰か、説教は非常に小さくなり、外に気づかれる心配もないほどだった。

 脳は人間の体で、頑強さという意味において鍛えられない場所の一つだ。軽く揺らしてやるだけで、簡単に意識は彼方に飛んでいくし、そうでなくても目が眩み、すぐに行動する事は出来ない。


「ッ――!」


 上方に飛び上がっていた男は困惑の息遣いを出すが、既に跳び上がってしまった時点でもう手遅れ。そのまま意を決したように、ウーラチカの頭や肩を狙う。


「……ごめん、ちょっと苦しい」


 軌道の分かっている攻撃など、飛んでいる鳥を落とすよりもずっと簡単な事だった。

 サイドステップだけでそれを回避すると、そのまま背後に回り込み、ダガーを持っている腕ごと首を抱え込む。

 トウヤも行い、ウーラチカに教えてあった頚動脈を締める攻撃だ。

 もっとも今回は拘束を大前提としている所為か、頚動脈が完全に締まる事はない。その代わりに片腕には思う通りに動かない。

 ――いや、そもそも一人がやられている時点で彼らに勝利の道はないのだ。

 恐らく、上空に跳んだ男は囮で、下を動いた男が本命だったのだろう。そうだなければ、さも狙ってくださいと目の前を跳躍する事もない。

 しかしその本命は良い所に蹴りが入ったのかすっかり昏倒し、囮の人間は捕まっている。ウーラチカの拘束を脱し、もう一人を起こして仕切り直し、もしくは一人で戦いを挑むのは、あまり良い策とは言えない。


「――抵抗しないで。私は話をしに来ただけ……というより、確認かしら。

 今回は貴方達を傷つける気も、拘束する気もない」


「………………」


 サシャの言葉に、まだ意識がある男の方が、マスクの隙間から見える目で睨みつけてくる。

 そんなことを言われて信用する馬鹿がどこにいる?

 目がそう語っているような気がした。


「そうね。普通はそう思うでしょう。でも殊私の約束っていうのは、どんな約束よりも絶対なの」


 自身の紋章を翳す。

 歪な天秤の紋章――《勇者》の紋章を。


「――何故こんな場所に《勇者》がいる。ハッタリだ」


「ま、普通はそう思うでしょうね。でも貴方達の雇い主に確認すれば良いんじゃない?

 この城に《勇者》が招かれている事は知っているのだろうし、顔を見れば分かる。少し前のパーティーで、もしかしたらお会いしているかもしれないし」


「………………」


 サシャの挑発的な言葉に、暗殺者の男は何も返事をしない。

 ここで挑発に乗って話してしまえば、下手な情報を与える事になり兼ねないから。


「いいわ。貴方に答えてもらう必要性はないもの。私の用事はあくまで、」




「あたし、だろう?」




 凛とした声が、その場に響く事もない音量で、しかしその場にいる全員に聞こえるようにはっきりと聞こえた。





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