其ノ四






『……睡眠不足で幻覚を見ているのか、あるいはもう既に私は床につき、これは夢なのか?』

『いいえ、違うわ。これは紛う事無き現実。貴方の目の前にいる小鳥は話している……もっとも、これはあくまで使い魔ファミリアで話しているのは私自身なんだけれど』


 目をこすり、現実を受け止められないシュマリに、サシャは諭すように言う。


『申し遅れました。これは私の使い魔――今喋っている私は、第二十四代勇者サンシャイン・ロマネス。長いし恥ずかしいので、サシャと呼んでいただければ幸いです』

『――ハッ、そうか。私は間諜を救ったという事だな。全く、間抜けな話だ。父に虚けと馬鹿にされても、素直に謝らざるを得ない』


 《勇者》。それは世権会議と言う同盟の中であれば英雄の代名詞と言うべき存在だろうが、そうではない国からやってきたシュマリからすれば、怪物の代名詞と言っても過言ではない。

 大魔導師でも扱いきれない大我マナを操り、それを譲り受けた《眷属》はどれも特定分野のスペシャリスト。

 自分達大鬼族オーガが束になっても、一人の《眷属》に勝てるかどうか分からない。

 ――しかし、それをしないというのには、何か理由があるのだろうか。そう思い立ったシュマリは、自然と声を潜める。


『それで? そんな《勇者》様が私に何用でしょうか? もし平和交渉をお望みでしたら私ではなく、代表である父にするのが良いかと』

『尊称はいりません。それに、私はシュマリ、貴方に交渉をしにきたの。大将と呼ばれている貴方のお父様には、このまま行けば攻撃されかねないから』

『……その予想は間違いではないでしょうね』


 思わず想像する。きっと相手が《勇者》だという事より前に、小鳥が喋ったと言うだけでとりあえず攻撃しようとするだろう。

 良くも悪くも大鬼族の典型のような父だから。


『ええ、ですからまず理性的な貴方と話そうと思いまして……って、もう敬語を使ってもしょうがないわね。さっきから少しだけ素が出ちゃってる。やっぱり交渉は向いていないわ』


 先程からちらちらと漏れていたいつも通りのサシャの口調は、開き直ったかのように警護おと言う虚飾を止める。


『意外ですね。《勇者》はもう少し固い人物を想像していました』

『そういう人もいるでしょうね。歴史が長い職だから、人に拠って様々よ。私はこういう方が気が楽なの。

 交渉に入りましょう……私の目的は、この事件の平和的解決。見ていると、貴方もそうだと思ったのだけれど』

『……さて、どうでしょう。私もまた血気盛んな大鬼族の一人。戦いを抜きにしてこの状況をどうにかしようと考えているとは、限りませんが?』


 自分の本心を晒さず、虚偽の笑みを仮面にする。

 どこかで読んだ交渉術の指南書を思い出しながら、必死で笑顔を作る。


『そうかもしれないわね。大鬼族と平和交渉なんて、半魚族マーマンに海ではなく陸で暮らせと言うようなもの。

 でも、貴方はその風変わりな人物に思えるわ』


 ……使い魔かのじょの前で愚痴を零してしまった時点で既に自分の虚飾は意味をなさなくなっているようだ。シュマリは小さく溜息を吐き、降参を言わんばかりに両手を挙げる。


『その通りです。私は残念ながら他の大鬼族と違い臆病なのです。今の状況を快く思っていないのも事実。

 しかし、私に何が出来ましょう。この集団の頭領は父であり、父の決めた事は皆従うでしょう。少なくとも何の実績もない私が何を言おうと、父も皆も、こちらを指示する事はありません』


 悩んでいた点はそこもだ。

 簡単に言えば、シュマリには〝説得力〟に欠ける。多くの戦場を渡り歩き戦い続けた戦士として優秀な父と違い、シュマリは初陣が敗戦であり、その後はこの放浪生活に身を落としていた。

 途中で襲われても父が前線で戦い、自分は任せてもらえない。

 当然だろう、こんな状況では一戦一戦が生きるか死ぬかの戦いになってくる。そんな戦場の中に自分の血脈を唯一受け継ぐ息子を出せないし、経験のない新兵同然なシュマリは役に立たない。


 だがその結果、シュマリの現在の立ち位置は『大将の息子』止まり。


 敬意は払われるが、尊敬も忠誠も無い。ようはお飾り、親の七光り状態。大鬼族はその武勇を持って尊敬出来る存在かどうかを判断するのだから。


『私を話したところで、何も得られるものはなく、大鬼族の中の何かを変えることも難しいでしょう』


 自分で言っておきながら、シュマリの言葉は暗い。

 自分の不甲斐なさ。自分の無力さを自分の口から説明するのは、自虐的な性格を持つシュマリにとっても苦痛だった。


『――いいえ、交渉とは言ったけど、貴方の口から何か影響を与えようとは思っていません。それはある意味貴方にとっても父親を裏切る行為。出来る出来ないを置いても、精神的に難しいでしょう』


 そんなシュマリに、サシャは柔らかい言葉を使いながら言う。


『私が欲しいのは――情報です』

『私に、間諜のような浅ましい真似をせよと? それこそ父を裏切る事になるでしょう』

『そういう事でもない。




 私達が知りたいのは――貴方達が欲しているものが知りたい』




『欲している、もの?』


 シュマリの戸惑いの言葉に、サシャは使い魔の首を器用に動かして頷く。

 何を必要としているのか。そこを知れなければ交渉など最初から成立しない。お互いの欲するものを、多少の妥協を対価に手に入れる。それが交渉だ。

 今シュマリとサシャが行っているのは本交渉の前の事前交渉――簡単に言ってしまえばすり合わせだ。


『貴女方が欲しているものを、こちらが用意する。こちらが必要としているものを、そちらが用意する。交渉の根本はそこです』

『確かに、否定はしませんが……しかし、貴女方がそれを用意出来るとは思えない』


 今この集団が欲しているのは「飢えない事」、「自分達が自由に出来る土地」だ。そんなものを世権会議が用意出来る――いや、するとは思えない。

 大鬼族達の出身地倭桑ノ国はこの数百年の内乱続き、世権会議にも加盟せずに自国内で戦争を続けている国だ。そんな国からの難民を受け入れるのは、場所の確保が困難以上に、政治的な意味で難しい。


『それは、貴方が言った物次第。まぁ、これでも一応勇者だから』


 ……その言葉に、シュマリは少し躊躇する。

 本当に叶うかもどうか分からない事を言ってどうしようというのか。無駄なのではないのか、徒労なのではないかと。


『――貴方今、『そんなの無駄だろう』って思ったでしょう?』

『――――――』


 まるで見透かすような事を言うサシャに、シュマリは目を丸くする。


『……《勇者》というのは、読心術も会得するものなのですか?』

『いいえ、なんとなく分かったってだけ。貴方、自分では出来ていると思っているかもしれないけど、本心が表情に出ちゃってるわ』


 しまった。

 思わず顔を押さえる。


『……自分の未熟を恥じるばかりです』

『そういうのじゃないの。私だって《勇者》としてはまだまだだし、貴方と同じくあんまり装うのって得意じゃないのよね。だからこうやって使い魔を使うの。これなら表情が出ないでしょう?』


 言葉と共に、小鳥が少し偉ぶる仕草をしたように見えて、少し可笑しくなって笑う。

 好感が持てる人物の言葉と言うのは、人を笑顔にするものなのか。そう思い、シュマリは姿勢を正す。

 好感が持てるからこそ、聞かなければいけない事がある。


『――《勇者》様は、何故そのような事を聞くのですか?


 貴女達から見れば我らは無頼の徒。そのような者の欲しがるものなど、知る必要などありますまい……いや、元を辿って行けば交渉そのものが不要でしょう』 

 世権会議から見れば、樹人族エント達からすれば、そして《勇者》にしてみれば。

 自分達はただ和を乱し、勝手に人の土地を奪い、精霊に無体を働く悪人。犯罪者だ。そんなものにわざわざ温情を与える意味はない。

 《眷属》に一方的に殺されても文句が言えない根拠を、《勇者》側は持っているはずだ。


 それなのに、交渉をしようという。


 自分達が欲しいものを交渉材料として提示しようと言う。

 それが、シュマリには分からない。


『これはもはやただの小競り合いではなく、戦争であると判断します。しかも明らかにそちらに正義がある戦争。そんな状況で、我らを救おうというのは、理解出来ません』


 《勇者》は中立中庸。

 その論調が通じるのは、世権会議に所属している国々の中での話だ。厳密には世権会議の庇護下に入っていない大鬼族達を庇う意味が分からなかった。


『あら、簡単よ。全部救いたいからに決まっているわ』


 ――水を打ったような静寂が小屋の中を支配する。動揺するシュマリはその言葉に、どう言えば良いのか分からなかった。

 全てを救う?

 冗談なのかとも思ったが、《勇者》の言葉はあまりにも事も無げで、それがより一層本気である事を感じさせる。


『私はもうこれ以上、この戦いで誰かが傷付く事を良しとはしない。というか出来ない。

この状態で武力を用いた解決法は、確かに決着が早く着くでしょう。でも、それでは多くの犠牲が出る』

『それは、……仕方ないのでは? 実際、戦いはもう平和的解決を図れる段階を既に超えております。双方被害が出ている以上、とてもではありませんが何の犠牲もなくとは、』


 いかない。

 最後の言葉は出なかった。

 もしこれで大鬼族の、父と呪師も目論見が成功しても、多くの命を奪う事になるだろう。

 もしこれでシュマリが思うような代替案が手に入ったとしても、別の場所で同じ事が起こる。

 そして――もし樹人族達、つまり《勇者》側が勝利しても、少なくとも計画した呪師、率いていた父……そして自分の命も無いだろう。

 それだけ大きな事をしたのだから、そこは納得している。

 だから、血が流れない。被害が出ない解決策など、ない。




『――冗談じゃないわ』




 先程まで優しげな色すら含んでいたサシャの声に、怒りが混じる。


『もうこれ以上の血は、絶対に流させない。そういう結末、私は嫌い﹅﹅よ』

『嫌い、などと、……好き嫌いの問題では、』

『いいえ、問題よ。だってそんなの――ハッピーエンドには程遠いじゃない』


 サシャは強い言葉で断言する。

 もしこれで大鬼族が勝てば、多くの命を奪う事になるだろう。

 もしこれで大鬼族が去っても、別の場所で同じ事が起こる。

 そして――もしサシャ達が勝利しても、頭領とその息子を失った大鬼族の精神的負荷は大きい。

 どこかが得をしても、どこかが損をしている。

 誰かが救われても、誰かが犠牲になる。

 サシャの目標には、程遠い。


『――《勇者》には現場での一定の裁量権があり、世権会議内の裁判であっても私の発言は一種の証拠となる。

 貴方達が死なないようにする事だって可能なの』

『それは、――あまり褒められた事ではないのでは?』


 中立中庸の《勇者》が片方に偏り過ぎる事は。


『いいえ、今回の場合それはどうかしら?

 だって貴方達、曲りなりにも〝難民〟なんだから』


 どんな事情があったにせよ、国を追われ住む場所もなく、このような悪辣な計画に乗らざるを得ない﹅﹅﹅﹅状況が出来上がっている。

 それまでの段階で受け入れる事が出来ていればこうはならず、世権会議に所属する国々がそれをしなかった方が違法だ。


『どんな出自であれ、人類の枠の中に入るものを差別せず、また弱者を受け入れる――世権会議発足時にそのような規範が出来て、ちゃんと勇定律法ブレイブ・ルールの序文に記載がある。

 ソレを守っていなかった時点で、世権会議側の落ち度は大きいわ』


 大鬼族の罪を問うのであれば、まず政権会議上層部にそういう基本理念を守る市井が足りなかった事を指摘しなければいけない。

 その上で考えれば、大鬼族達の行動は生きていく為には必要な事だったと言う「根拠」だ。

 勿論、法的に何の咎も無しでは示しはつかない。だが、減刑を求める事は可能だ。


『まぁ流石にあの呪師は難しいでしょうね。禁呪の利用はどんな理由があれ罰則が大きくなるものだし』

『……本当に、良いのですか?』


 シュマリの言葉は躊躇いに満ちていた。

 昨日、遠目からだったが、〝影〟が樹人族の一人を殺すところを見た。

 自分達に必死に抵抗していた精闇族ダークエルフの青年が泣き縋り、サシャも、そしてその《眷属》であろう青年が悲しんでいる姿を見た。

 見ていて、何もしなかった。

 そんな自分がそんな寛大な処置を受けて良い筈が無い。

 心の中の罪悪感が、それを拒否する。


『我らに、そのように温情を与えられる資格は、』

『――甘えないでよ』


 サシャの言葉は、まるで雪解け水のように冷たかった。


『罪悪感から死を選ぶのは、甘えよ。

 ――死ねば赦してもらえるなんて考え、私は認めないわ』


 責任者が自害して罪を軽減してもらう。

 頭が責任を負って死に、他が生きる。

 それでは、今までの《勇者》達が悔やみながら、苦しみながら出した結論と何が違うのか。小を切り捨て大を救うという事では、変わらないじゃないか。

 それを、サシャは許さない。

 赦されたいならば、まず『ごめんなさい』だ。

 相手がそれを赦さなかったとしても、誰にも後ろ指を指され、時に石を投げつけるものがいたとしても。

 赦されるまで謝り続けるのが、『贖罪』だ。

 死をもってその罪を軽くしよう、その罪から逃げようなどという事が――あって良い筈が無い。


『恥も忍んで謝りなさいよ。逃げないで謝り続けなさいよ。生きて、泥水啜っても生きて、殺した人達に頭を下げながら生きていきなさいよ』


 全てを救い続ける。

 だが罪を赦す気は無い。

 人を憎む事はしないが、罪を憎む事を忘れない。

 それは人間の弱さが生み出した化け物だ。化け物を見過ごしてはいけないのだ。




『これは〝温情〟なんかじゃない。私なりの〝厳罰〟なの。

 そうしている限り――《勇者》は貴方達の味方よ』




 真っ直ぐ前に進み、生きる事を諦めず、罪を認め、自分の心にしっかりと刻み付けて生きていく事。

 それをサシャは求めていた。


『――貴女は高潔で、とても恐ろしい方なのですね』


 英雄で、怪物。

 どちらも間違いではなかったのだ。

 どちらでもあったのだ。

 その事に尊敬と畏怖を抱くシュマリは、ゆっくりと頭を下げる。


『全てをお話します。私達のこれまでの経緯、そして何を欲しているのかを』


 この英雄であり、怪物になら。預けてもいいかもしれない。

 優しさの中に厳しさを持つ《勇者》になら託せるかもしれない。

 シュマリの心の中には、そんな確信めいたものがあった。





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