恋慕日記

日本の聖夜ほど人間の欲望にまみれた夜はない

 十二月二十四日。例のあの日だ。

 言うまでもないことだが、あえて言おう。


 明仁陛下あきひとへいかの御降誕の翌日である。


 日本では、明仁陛下の御誕生日を祝い申し上げ、およそ、御誕生日の一ヶ月前から、街中に、キラキラとイルミネーションが施される。店のなかも、愉快な音楽で、祝賀ムード一色となる。

 貴賤貧富の別なく、皆陛下の誕生を心から祝福するのだ。

 これほど、国民に愛される、ロイヤルファミリーがかつて、どこの国にいただろうか?

 伝統的共同体の崩壊とともに、愛国心など、崩れ去ると言われた日本ではあるが、この状況を見るに、日本国が存続する限り、皇室制度は続くだろう。

 天皇万歳!


 ……何て現実逃避をしても、鼻で笑われるのが関の山。現に目の前に座る、雄清は呆れ顔だ。

「ひねくれっぷりは相変わらずだね。太郎もいい加減そういうのはよして、綿貫さんをデートに誘ったらどうだい?」

「馬鹿たれ。それが気に食わんのだ。思うに、日本の聖夜ほど欲望にまみれた夜はないぞ」


 全く以て、日本のクリスマスイブは、汚れている。

 発情したバカップルどもが、道に溢れ、そのままいかがわしいホテルで、甘いだけの空虚くうきょな言葉をささやきあうのだろう。馬鹿かってんだ。聖夜をなんと心得る。


 聖夜はイエスの誕生を祝う時間であるべきで、自分たちの欲望を満たす夜ではない。

 雨が夜更け過ぎに雪へと変わり、静的で、神聖な夜が来る、というの迄は良い。

 けれど、思い人が来ないかなあ? 来てほしいなあ、というのは、おかしい。恋人に、サンタクロースよろしく、赤い服を着せて、テンション上がっている馬鹿な男どもを張り倒していきたい。

 どうでもいいが、silent night とholy night を和訳すると、静夜と聖夜とになって、同音となる。畢竟ひっきょうするに、セイヤは静かに大人しくしているべきで、ホテルでアンアン騒いでいる場合ではないのだ。

 馬鹿か。


 ぶつぶつ言っていたところ、部室の扉が開いた。

 ひんやりとした空気が入ってきたが、扉に立っているのは俺のすさんだ心を暖かくいやす存在に相違ない。そうだ、きっと天使なんだ。そうでなければ彼女の神聖な美しさを説明することは出来ない。

 そこに立つ女、綿貫さやかは、中に俺たちがいるのを確認すると、にっこりとほほ笑んだ。……これは悩殺もんですわ。端からサンタコスとか要るはずがないんだ。時代は、セイントニコラスから、エンジェル綿貫に移行すべきだ。そうすれば、世界のありとあらゆる問題が解決するに違いない。

「こんにちは、深山さん、山本さん」

「やあ」

「おっす」

 それから、綿貫はパタパタと駆け寄ってきて、席に腰かけた。

 御尊顔が俺の方を向いて言う。

「二十四日、何かご予定はありますか?」

「無論ない」

「でしたら、ちょっと付き合ってもらえませんか。叔父の知り合いから、水族館のチケットを頂いたものですから」

「おお、いいぞ」

 うぇーーーーーーーーーい。クリスマスに欲しいのはお前だけだぜ。

 マライア・キャリーのクリスマスソングが頭に流れてきたところ、雄清の方を見やる。

 お? お? 雄清、何苦笑いしてんだ?


「留奈さんには、山本さんの方から、伝えといてもらえますか」

 綿貫は雄清のほうを向いてそういった。


 えっ、あっ、……そういうこと。……はあ。


 ジェットコースター張りの感情の起伏を見せた俺を見て、雄清は堪えきれぬという顔をしている。

「雄清、何笑ってんだよ」

「べつに」

 ……畜生。 


 結局、佐藤もイブに予定はなかったので、山岳部四人で、二十四日は水族館に行くことになった。


 帰り道。校門で綿貫と別れ、前を歩くのは佐藤。5メートルぐらい先を行くあたり、俺と彼女の関係性がうかがえる。

 雄清は、予餞会よせんかい、つまり三年生を送る会の準備があると言って、ここにはいない。

 帰ったら、何をやろうかと、勉強の計画を立てていたところ、佐藤がこちらを振り返った。そして俺に歩調を合わせる。


 伊吹下ろしの吹き荒れる冬の尾張平野。寒さが身に応える。隣に来た佐藤は、何を言うでもなく、マフラーに顔をうずめるようにしている。

「……寒いな」

 何とはなしに、俺はそんなことを言う。天気の話しかしないのは、英国人。畢竟、俺は英国紳士。

「そうね……」

「俺が暖めてやろうか?」

「遠慮しとく。いや全力で拒絶する。まじ気持ち悪いから」

 精神攻撃……。効くぜ。


 俺が禁断の悦に浸っていたところ、おもむろ

「あんたってさ、山岳部の他に友達いる?」

 と言われる。

「なんと!」

「なっ何よ」

「お前が俺のことを友人と認めていたことに感動。俺は嬉しいよ」

「あーごめん。間違えた。あんたはただの、幼馴染の痴人ちじんだった」

「お前すごく酷いこと言ってないか? 知るに病垂つけてないか?」

「フッ、気のせいでしょ」

 佐藤は心底俺を馬鹿にしたような目で笑った。

 ……畜生。

「……この恥人ちじんが」

 ポツリと小さな声で言う。

「なに?」

 佐藤は怒気どきはらんだ声で聞き返してきた。

「……なんでもない」


 閑話休題。


「で俺にお前ら以外に友達がいないかだって?」

「うん」

「答えは決まっているだろう」

「ああ、いないのね」

 ぬう。

「いないんじゃなくて、作らないだけだから」

「友達って作るもんじゃないでしょう。自然とできるものよ」

 やめろ。俺を憐れんだ目で見るな。


「いいか。友達なんてうわっ滑りしている存在など、大勢いたところで価値はないのだ。本当の友達というのは、困っているときに見捨てないやつのことを言う。俺は偽物は要らん」

「私はあんたのこと助けたりしないけどね」

 この女。


「それは置いといて。あんたってさ、多分教室では黙り込んでいるんでしょう。そして本読んでニヤニヤしているんじゃないの?」

「見てきたように言うな」

「だって、B組の子に聞いたもん。気持ち悪いって」

「ご丁寧に報告ありがとう」


 名前は聞かない。……別に傷ついてないし。本当に。……グスン。


 俺の悲壮の顔を見てか、

「いや、私は別に傷つけようとしたわけじゃなくて、……その、あんただって本当は良い奴だって、知ってもらいたいというか、誤解してほしくないっていうか、……一応幼馴染だし」


「……お前、今日は優しいな。熱でもあるんじゃないか」


「とっとにかく! あんたも、もっとまともになりなさいよ。じゃあっ」


 そう言って、佐藤はいつの間にか目に見えてきた、彼女の家へと向かって、駆けて行った。

 

 まともにしろ、か。

 確かに俺は、クラスの奴には気味悪がられているだろう。けれど、それがどうだというのだ。誰も困りはしない。他人に気に入られたところで、得るものがどれだけある。

 自分を演じ、他人に気に入られようとヘコヘコして、ストレスのたまるくらいなら、好きなようにした方がいいではないか。

 自分を誤魔化ごまかし、他人をあざむく。それのどこに意味がある? 結局人間というものは他人のことなど理解できないのだ。

 馴れ合いは好かない。そんなものに俺は価値を見出しはしない。


 

 自宅の戸を開けようと、ポケットから鍵を取り出す。普段は、母親もパートに出ているので、俺の帰る時間に人はいない。

 しかし、今日は違っていた。鍵はかかっておらず、玄関を見ると女物の靴が置いてあった。お袋はこんな靴持っていただろうか。

 リビングの扉を開いた。

 そこにいたのは


「俺の可愛い夏帆ちゃんではないか」

「お兄ちゃんの可愛い夏帆ちゃんだよ」


 俺の顔を見てにっこりと笑う、妹だった。





 


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