二人の確執

 家に帰った後、ワープロソフトで部誌に掲載する記事の作成をした。学校誌や、今日、山口天満宮の宮司から聞いた話をもとに、適当な字数でまとめる。事実を列記しただけの、極めて無機質な記事が出来上がったが、学校名の由来に情熱的なものを求めるほうが無理がある。推敲して、作業もそこそこに、俺はパソコンの電源を落とした。


 居間に出てゆき、コーヒーをれて、ソファに腰を下ろす。自分で入れたコーヒーをすすりながら、ほうと一息つく。これで厄介ごとは片付いた。少なくとも俺に課せられていた分は。

 残念なことにそれだけでは済まないのが現実。下校してから二時間が経過している。そろそろ雄清から連絡の来る頃だろう。


 そう思っていた矢先、家の固定電話が鳴った。

 家にはほかの家族もおらず、どうせ、掛けてきた相手もおおよそ分かっているので、素直に俺がとる。

 果たして、電話の相手は雄清だった。

「やあ太郎。記事のほうは書けたかい?」

「ああ。たぶん問題ない」

「そうか、ところで相談があるんだけれど」

「そっちが本題だろう」

「や、さすが太郎。例の……」

「二十年前の会長の件だな。名前はなんて? ほんとに全中に出てたのか?」

「随分食い気味だねえ」


 ……俺にやれよ手伝えよと言っていたのは何処のどいつだよ。という抗議の言葉を飲み込んで、

「分かったのかよ」

 と少々とげとげしく聞いた。

「うん。名前は飯沼春子。記述通り全中には三年連続出場しているよ」

 飯沼春子。飯沼ねえ。……無論知らん名だ。


「とすると、あの記事の言っていることもあながち間違いではないのか?」

「そうだね。少なくとも彼女が、自分の無能さを卑下して、退部をしたのではない、というのは間違いなさそうだ」


 類まれな身体能力を有し、そのうえ、聡明で、リーダーシップを持ち合わせ、高校では一年生ながら生徒会長にまでなった。そんな飯沼春子が誰かを嫉妬して、その人物を傷つけるなんてことがあるのだろうか? 

 そう考えると、確かに記事の記述は、道理に即している。


「写真もあったから、メー

ルで送るよ。パソコン開いてくれ」

 言われたとおり、パソコンを立ち上げる。

 パソコンが起動したと同時に雄清からのメールが送信されてきて、その写真を見てみた。


 写るのは、一人の少女。写真の中で、少し緊張気味にほほ笑む彼女であったが、容姿端麗と言っていい顔立ちをしていた。白黒写真でさえそう思わせるのだから実物は相当なものだろう。


 才色兼備で運動神経抜群の皆のリーダー。飯沼春子はほとんどの人に好意的に見られていたはずだ。だが問題なのは、全ての人に、ではなかったということだな。


 たとえば、中学の同窓生の陸上部員。

 自分の隣にいる人間が極めて優秀なとき人は何を思うだろうか? 初めは努力して、肩を並べようとするかもしれない。だがこの世には確かに才能という言葉でしか説明できないような、差異が存在する。


 無論、トップアスリートや学問分野の権威と呼ばれるような人たちは努力をしている。血のにじむような努力を。


 人は言う、努力は裏切らないと。

 けれども、努力しても越えられない壁というものがある。

 例えば、甲子園。日本に高等学校はおよそ一万校ほどあるが、甲子園に出られる高校は、五十弱。つまり、千人以下の人間しか、その年の甲子園の土を踏むことが出来ない。おまけに甲子園に出たからと言って、野球で食っていける訳ではない。プロになるのはほんの一握りだ。その上、プロになったとしても、花咲かずに、三十前後で引退し、残りの長い人生の保証もされない、という人も山ほどいる。


 甲子園に出られない球児が努力してないのか? プロになれない人が努力してないのか? 一流のプロ選手以外は努力していないのか?


 それは違う。


 努力して、努力して、それでも超えられない壁が立ちはだかる。頂点に立つ以外の人間、つまりこの世のほとんどの人間は遅かれ早かれその事実に気が付き、絶望する。


 隣に優秀な人間がいると、思い知らされるんだ。自分がどれだけ才能に乏しい人間であるのかということを。いずれは勝とうとするのを諦める。だが、同じ立場にいない彼女を畏怖し憎みさえするだろう。


 だから、攻撃する。


 飯沼春子の敵が、中学の同級生だけだったなら、事態はそれほど悪化しなかったかもしれない。


 今日読んだ山岳部の記事では、陸上部に会長が残っていれば、エースとして栄誉ある賞を手にしたかもしれないと書いてあった。それはつまり、先輩方を差し置いてという意味に他ならない。


 自分より格下な、格下であるべき存在が、自分の頭をおさえつけようとするとき人は何を思うか。

 簡単だ。怒り、妬み、そしてその存在を排斥する。

 だから飯沼春子は退部した。

 

 そんな状況の中で、起きたマスコット倒壊事件。波紋を呼ぶのは当然か。


「太郎もいろいろ思うところはあると思うけど、これだけだと、どうにも記事にはしにくいよね」

「まあそうだろうな。これだけだとほとんどが推量になってしまう。根拠のない記事を書くわけにはいかないだろう」

 いくら、俺の予想が真実に近いとしても、根拠なき予想を書いてしまえば、それはフィクションだ。


「どうしようかなあ……」


 本当ならばここで止めてしまえば良いのだ。おそらくこの調査を続けたところで、誰も良い思いはしないだろう。誰しもが不幸になるのならば、そんな不毛な行為、するべきではない。


 この辺でやめておけ、そう言いたかった。

 けれども、俺は目に入った飯沼春子の写真を見て思うのだった。


 彼女の高校三年間はどのようなものだったろうか。マスコット倒壊事件は禍根かこんを残したのだろうか? 彼女はまっとうに生きていただけではないのか? それなのに周りの人間の嫉妬のせいで高校生活を滅茶苦茶にされなかったか? 


 萌菜先輩の言葉を思い出す。


 出る杭は打たれずに、抜かれ、排斥される。


 飯沼春子は頭一つとびぬけていた。周りの人間にとってはそれだけで攻撃するに足る理由だ。

 まだ懐疑的だが、世界が歪んでいるせいで生きにくい思いをしているという点で、俺と彼女は似ているのかもしれない。


 自分に似たような人間がいたら、俺はそいつのことを好きにはなれないだろう、と思っていたが、どうやら、この場合は同気相求どうきそうきゅうが成り立つらしい。やっぱりマイノリティー同士は助け合わないとね! というかそもそも、妹の夏帆かほちゃんを溺愛するところの俺にしてみれば、同族嫌悪どうぞくけんおは当てはまりようがない。


 雄清の言葉を借りると、山岳部員による山岳部員の二十年越しの意趣返しということになるのだろう。


「なあ雄清」

「なんだい」

「質問したいんだが、二十年前の山岳部員が飯沼春子を擁護ようごするような記事を書いたのはなんでだと思う?」

 質問という名のヒントを雄清に与える。

「……事実を知っていて、女の子がひどい目にあっていると知っていれば助けてやるのが人情だろう」


 雄清らしい答えだが、期待しているのとは違うな。

「そうかもな。じゃあ、聞き方を変えるが、なんで二十年前の山岳部員は詳しい内情を知っていたんだと思う?」

「それは……」

 雄清は言い淀む。俺は代わりに答えた。


「飯沼春子は陸上部を退部した後、山岳部に入部していたんじゃないか?」

「そうなのかなあ……」

「部誌を調べればわかるだろう。とりあえず、明日確認して見ろよ」

「そうだね」

「じゃあ切るぞ」

「あっ、ほかにも資料は見つかっているから、明日見せるよ」

「ああ」


 俺は受話器を置いて、ソファに戻り、どっかりと座った。


 二十年前、高校一年生か。今は三十五か六だな。写真の中で堅く微笑んでいた美少女は、大人の魅力満点の、素晴らしい女性になっているに違いない。……どうでもいいけど。

 どちらかというと俺は年下好きか? 夏帆ちゃんが妹でなかったら、速攻でプロポーズしている自信がある。

 いや萌菜先輩のようなお姉さんに押し切られれば、そのまま流れちゃうかもしれない。

 けれども、オンリーワンは綿貫さやか。つまるところオールマイティー。プラスマイナス四くらいは、四捨五入で年齢差ゼロだしね! プラマイ十くらいはいけるぜ。

 いやそれはないか。下が六なのは、条例的にまずい。せめて十三以上でなければ。


 馬鹿な妄想はさておき。

 二十年前だと、あの人の年齢は……。うん、あり得る話だ。それならなぜ山岳部か、というのも納得がいく。……まだ推測の域を出ないが。

 

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