scene84*「あいさつ」




彼女に恋をしてから、僕の日常は「いつもどおり」を保つのに精一杯だ。




【84:あいさつ 】





朝決まった時間に起きて学校へ行く支度をし、ニュースを見ながら朝食をすます。

歯を磨き終えるとちょうど良い時間になり、僕は家族に「行ってきます」と告げて家を出る。

もちろん家を出る時に、玄関脇で番犬をしている雑種のタロウの頭をひと撫ですることも忘れない。


いつもと同じ時間、同じ車両に揺られて、学校に近い駅で降りてコンビニに寄る。

ipodを外すことなく校門をくぐる頃には朝日がすっかり昇りきり、学校の一日が始まる。


いつもと同じ日常。

 

 

僕は人が嫌いというわけではないのだけれど、昔から人と向き合ったり、本音でぶつかり合うのがあまり得意でない。

相手の気持ちを考え過ぎるのか人間関係に関しては消極的で、どちらかと言えば根暗な部類だと自分で思っている。


しかしいつまでも不得手なままでいるのは良くないと思っていたので、クラスメートのカトウ君が持ち前の明るいノリで話を振ってくれたり、性格が前向きなミズキさんが話しかけてくれたりするのは、苦手ながらも正直すごく有難かった。

おかげで人と話すのが苦手だった僕が、だんだん治ってきているかもしれないと感じるから。



だけど、どうしてもうまくいかない場合がある。

場合じゃない。 人 、だ。


数学のオギハラ先生だ。


困ったことに僕は、オギハラ先生に恋をしてしまっている。

彼女に恋をしてから、僕の日常は「いつもどおり」を保つのに精一杯だ。








「じゃあこの問題、カトウ君やってみて」


キッパリと言った先生の言葉に、カトウ君はブーブー文句を言いながら黒板に解答を書く。

その途中式を見て僕は(あ、ちがう)なんて思いながら、オギハラ先生へと目線をうつすと、先生も当然カトウ君の途中式と解答に気づいており、ちょっと挑発するかのように面白そうな表情をしている。

 

後ろでひとつに束ねている髪は今日も艶やかで、銀フレームのメガネの奥にある大きな瞳と濃い睫に見惚れてしまった。


「メガネでキッツイ顔してれば、授業の言い方もキッツイ」と皆がよく言うけれど、それこそメガネを外したらとても整った美人顔なんだけどな、と僕は思う。

僕だけかもしれないけれど、本気でそう思っている。


カトウ君がしょんぼり肩を落として席に戻るという事は、彼自身もこの解答がけして正解でないというのが分かっているんだろう。

先生は、絶妙なタイミングでニッコリ微笑むと「うーん、残念!」と言った。

それがまるでコントの流れのようで、クラス一斉が笑う。

「だから言ったじゃん!ぜってー解けねーよって!」

しかしカトウ君の主張にも先生は容赦なく「私の授業をちゃんと聞いてないからよ」とため息に肩をすくませる仕草をしてみせた。

そういう意地悪なところもグッときてしまう僕は、本当に惚れてしまってるんだなぁと思ってしまう。


いつ指されてもいいように、なおかつ正解できるように、あの日からずっと準備しているけれどそれは叶う事はない。

無駄なくらい数学を頑張っている僕の理由に、先生は気づいている。


半年前に恋をして、2ヶ月前にハプニングが起こってから、先生は僕を避けているし、僕も僕でどうしていいか分からなくなってしまった。

それは、気軽に挨拶することすら、ままならないほどに。




始まりは半年前。

都心の大型書店で偶然会った先生に、僕は最初は誰だか分からなかった。

 

「アマキ君?」

 

背後から話しかけられて、誰だろうと振り返ったら知らない女性だった。

髪は絹のようにサラサラしたロングヘアで、大きな瞳が印象的だった。

淡いブルーのワンピースからは、すらりとしたキレイな足が揃っていて、この美女は僕の知り合いだったかなと、思い出そうとした時に


「やぁだ。数学のオギハラよ!私服だと分からないものなのね」

「えっ!先生ですか!?」


思わず声が大きかったらしく、まわりの視線が一瞬で集まってしまった。

先生は慌てて口前に人差し指を立てると、一瞬だけおちゃめな顔をした。

それがすごく可愛かったので、僕は見惚れてしまっていた。


「まさかこんな大きなとこで会うなんて思わなかったですよ……」

「私も。何かお探しでございますか?」


そう言って先生は店員の口調を真似た。

学校だとツンとしてるのに、素はこんなにユーモアがあるなんてすごく勿体ない。

トレードマークのメガネだってしていない。普通にきれいな人だと思った。


その後は本を一緒に探してくれて、僕はムリを言って近くのコーヒーショップに付き合ってもらった。

本当はお礼もかねてご馳走したかったのだけれど先生は「ここは大人ですから」とオーダーカウンターで先に素早くお金を出されてしまった。

ブラックコーヒーを飲んでいそうなのに、クリームがたっぷりのキャラメルフラペチーノを美味しそうに飲む彼女は、先生というより可愛らしい大人の女性だった。

ニコニコと上機嫌な先生に、僕は聞いてみた。


「まさか都心で先生と会うなんてびっくりです。だって都心まで遠いじゃないですか」

「そうね。私たちからすると距離的に新幹線に乗らないといけないし。びっくりしたのは私もよ。アマキ君はどうしてここに?」

「連休だし家族で親戚のとこに遊びにきたんですけど、せっかく大きな街にきたから、お願いして僕だけ別行動で買い物です。って本だけだけど……先生はどうしたんですか?」

「私はね、明日が友達の結婚式なのよ。式場がこっちだから前乗りしてきたの。これから久々に大学時代の友達とご飯の約束もしてるし、それまで時間つぶしにブラブラしてたとこかな。それにしてもまさかこんなところで教え子に会うなんてね」


すごく年が離れているわけではないのに、服装もそうだけど、先生の口から出る『友達の結婚式』や『大学時代』というワードは、まだ僕には未知な世界に感じて、僕が全然知らない彼女自身の人生が見えた気がした。

その後の会話も学校のことは話さず、今読んでいる本や夢中になっている数独の話、意外にも夏のロックフェスが楽しみなのだとか、そういう他愛のない話をした。



ほんの数時間の出来事なのに、僕はあっさりと恋に落ちてしまった。


こんなにもカンタンに恋に落ちるとは思わなかったし、本当に何が起こるかわからないものなんだなぁと、変化が苦手な僕は痛感してしまった。


しかし、ああいった偶然が何度も起こることはなく、学校において先生は先生だったし、僕は僕だった。

彼女は担任ではないから、分からない問題を聞きに行く以外に接点はない。

数学を頑張りすぎたのが裏目に出てしまい、受験はまだまだ先だというのに過去問もバッチリ解けるようにもなってしまい、先生に質問する機会を作れなかった。

分からないフリをして聞きに行けばいいとこを、嘘をつける自信もなかったからそれも出来ずにいた。



……――そうして2ヶ月前のハプニング。


他の先生に頼まれた物品を数学準備室にしまってくるよう言われて入ると、そこに先生だけがいた。先生は教材を置きに来たようだった。

僕は内心動揺したけれど、チャンスかもしれない、と思った。

物置みたいな数学準備室に他の人が来ることは多分ない。

だから気持ちを伝えるチャンスかもしれないと思った。


オギハラ先生は僕に気づくと、この間の本屋の時のような笑顔を見せてくれた。

僕らは軽く世間話をして、先生がそろそろ出ようと言った。

そこで先生がドアノブに手をかけた時、思い切って告げたのだ。


「先生が好きです」と。


先生は「え」と一瞬だけ怪訝な顔をして、僕を見た。

何かの聞き間違いだろうかと言わんばかりの先生の表情だったから、僕はもう一度言った。

「オギハラ先生のことが好きなんです。」と。


しばし無言になった。

それから先生は「ごめん」と小さく呟いた。 僕は「いいえ。僕こそ」と思わず謝ってしまう。謝る必要なんかなかったかもしれない。ただ先生の困惑した顔を見たら、何故か罪悪感で申し訳なくなってしまったのだ。


だけど、言った気持ちを無かったことにできないし、誤魔化しがきかない発言なのは分かっていた。そもそも分かって言ったのだ。

今さら有耶無耶にすることはやっぱり嫌だと思った僕は、黙ったままも俯く事も、やめた。



「先生に彼氏がいるかもわかりません。年齢なんてのは気にしません。立場だって、来年卒業すれば解決することだし、本当に真剣に好きなんです」


「先生が困ってるって今思っているのは分かってますけれど、それでも先生がすきです。僕の想いは変わりません。それと……えと……とにかく、か、考えてくれませんか?本気で。 いつになってもいいし、待てる自信が僕にはあります」


「だから、お願いします。オギハラ先生が好きです」



精一杯の気持ちで目を合わせた僕に、先生は呆気にとられたのかポカンと口をあけていた。

その隙間から見える白い歯や、少し覗いた柔らかそうな部分が、なんだか色っぽいと少しだけ思った。

僕は先生より先にドアノブに手をかけると、立ち尽くす先生を残して出て行った。

そして次の日から先生は、校内で会っても目を合わせなくなった。


ほら、今だって。

僕と一瞬目が合ったのに、流すように逸らされた。


告白してしまえば、ただの生徒と思ってもらえなくなる。良くも悪くも。

分かっていたことだけれど、結構キツイことだった。





3時間目休みに、ミズキさんが僕の席へ寄ってきた。

そして照れくさそうにしながら「あのね、新しい幸せを掴んだよ」と報告してくれた。

最初はよく分からなかったけれど、あぁ、彼氏ができたのかと理解できて、おめでとうと言ったらアマキ君のおかげだよと言われた。


心当たりが浮かばない僕は、何もしてないのに?と聞くと、ミズキさんは少し照れ臭そうにしながら、何もしてなくてもだよ、と言った。

女の子の言葉は本当に謎だと思う。

でも彼女が笑顔になって良かったと思った。

何故なら前に街で偶然見かけて声をかけた時は、失恋したてで本当に辛そうだったから。

道すがらポロポロと涙を落とした彼女を連れとりあえず近くのカラオケに入り、話を聞いて励ましたことがあったのだ。


ミズキさんは廊下で友達に呼ばれ「またね。アマキ君もいい事ありますよーにっ!」と言ってくれた。


いい事かぁ。

なんだろう、と考える。

もちろん、ひとつに決まってる。


それは先生が僕に恋をしてくれる事。

いや、それはワガママかもしれない。

……せめて、もう一度僕の目を見て、会話してくれたら。


ミズキさんも彼氏ができるまで諦めずに色々行動したんだろうな。

じゃあ僕は一体どうだろうか?

2ヶ月前の告白で先生に避けられてから、何もしていない。

あの日、精一杯の気持ちで先生の目を見てから、人見知りに逆戻りしている場合じゃない。

何か行動を起こさなければ、動くものも動かないじゃないか。何も変わらないじゃないか。


そんなカンタンな事にようやく気が付いた僕は、何としてでも今日中に先生とすれ違わなければと思った。

そして先生に出来なくなった挨拶からとりあえず始めなければと、心に決めた。





( 隠れ情熱ボーイ・アマキくんの真相 )

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