scene59*「遠い未来」
結婚はゴールじゃない、なんて誰が言った?
【59:遠い未来 】
今日は朝からソワソワして落ち着かない。仕事が終わるまであとちょっと。
今日だけは残業は絶対にしない。何が何でも早く帰るという事に決めている。なぜなら私にとって今日は大事な記念日だからだ。
「オギハラ先生、今大丈夫~?」
「こら!入ってくる時はちゃんと、失礼しますって言いなさい!」
「いいじゃ~ん!あたしと先生の仲じゃん♡」
「こういう事はケジメつけないとダメなの!」
数学準備室に入ってきた生徒は屈託のない風にケラケラ笑った。
手に持ってるのは数学のノート。きっと練習問題が分からなくて聞きにきたんだろうと思ったら、案の定だった。
早く帰りたいんだけどなぁ。と思いつつ、生徒を導くのが私の仕事だから、ここは本題に入りノートを見せてもらい教え始める。
聖職にまっとうせねばという私の気持ちをよそに、恋に敏感な女子高生は興味津々に遠慮なく聞いてきた。
「オギハラ先生、今日なんかあるの?」
「こら、ちゃんと人の話聞いてたの?」
「聞いてるよ~。問題はもうわかったもん!それより、今日なんかあるんでしょ?デート?」
「プライベートまでは教えられませーん」
「デートだ!だって今日は朝から先生ソワソワしっぱなしだったから、クラスの皆もデートだデートだって言ってたよー。それに今も問題の教え方、分かりやすかったけど何となくいつもより急いてたし」
「!!!!!!」
なんたること!教師失格!
顔が一気に赤くなるのが分かった。
けどまぁここまでダダ漏れなんだから、隠してもしょうがない、か。
「そうなの、これからデートなの!もう遅刻よ!」
「そりゃマズイね!先生さんきゅ!頑張ってね~!」
「ハイハイ。余計なお世話、ありがとう」
部屋を出たところで、彼女は思い立ったように振り向いた。
「先生、お泊りでも明日の朝は遅刻しないように気をつけてね~」
「それこそ余計なお世話よ!!大人の事情はほっときなさーい!」
「あはははは!はぁ~い!」
パタパタと走る音とキャッキャとした笑い声。
最近の子供はどうもマセてるなと思う。
やれやれという気持ちだけど、そういうとこも可愛くてこっちまでつい笑ってしまうのだった。
時計を見ると6時20分。
本当は6時きっかりに学校を出るつもりだったけどしょうがない。
私は「遅れます、ごめんなさい。」と、すぐ恋人にメールを打った。
足早に駅へ向かい、ご帰宅ラッシュな電車を乗り継いでようやく落ち着いた時に、彼からメールがきていた。
「待ち合わせに向かっているから、着いたらまた連絡する」と書いてあり、きっと私よりも几帳面な彼のほうが早く着いてるんだろうなーと思う。
けど仕事はきっちりしたい私だから、申し訳ないけれどこれだけは譲れない。
そこに理解のある彼で本当に助けられているし、良かったと思う。
それにしても学校を変わっても、雰囲気っていうのはどこも変わらないなぁ。
生徒のもつ情熱だとか、屈託なさだとか、繊細な部分だとか、根っこは変わらない。
一生のうちに一瞬しか味わえない思春期にずっと触れあえる仕事なんて本当に貴重だと思う。
子供なんだけど大人になっている部分が混ぜこぜになって、完璧になりたいともがいているもどかしい気持ちに寄り添って励まして、気がつけばこっちが感動させられることが沢山あって……。
しんどいと思ったり、向き合う事が痛かったりすることも沢山あるけれどどうしてか続いている。
続けられているのはやっぱり子供たちの瑞々しいパワーに感動させられているからだと信じたい。
……自分も彼も、そういう時があったんだなぁ。
自分の時はどうだったかなんて分からないけれど、彼のことは見ていたからよく分かる。
彼の真っすぐさやひたむきさや誠実さは本当に変わらない。
それに8つも年上の私を前も今も変わらず好きでいてくれて、
とうとう私の年齢が大台に乗ってしまい別れるって泣きながら喚いてもびくともせずに受け止めてくれたんだから、年下ながらも天晴れだとしか言い様がない。
第一、私が彼と付き合ったのも、彼が私に告白してから1年後なのだからその時点で彼の気持ちの変わらなさはすごいと思った。
だって、8年前は彼はまだ高校三年生だったし、私は教師になって間もなかった頃だから。
それなのに卒業を待たずに秘密に付き合い、なんだかんだで25の若い男子が何を好き好んで33の女を娶ってくれるんだか自分でもわからない。
いや、我ながら33には見えないはず!と思ってても、やっぱり負い目はある。
だからこの7年間のうち、少なくとも10回以上は私から「別れよう。別れたい。」って言ったはず。
それなのにことごとく却下され、むしろ年々彼は頑固になってゆくばかりだったんだからどうしようもない。
待ち合わせであるオシャレなレストランが見えてきた。
店の前にはスーツ姿でメガネをかけた男性がいる。 彼だった。
私は見ただけでも嬉しくなって、小走りに近寄った。
「遅れてしまってごめんなさい」
「大丈夫。入ろう」
ゆっくり、穏やかに微笑む彼が好きだ。
すごく優しいし、思いやりもある。
おまけに若い。若いからこそ、本当に自分が申し訳なく感じる癖が未だに抜けない。
それを口にすると本当に怒られるので言えないけれど、でもそれってすごく幸せな事なんだと思う。
予約していたのでサーヴはとてもスムーズだった。
ワインも美味しい、食事も美味しい、雰囲気も最高。
一緒に暮らしてるのに、仕事の話や今までの話が尽きない。
ほろ酔いになって気分もフワフワして、顔もにやけっぱなしだ。
「サトルといると、本当に楽しい。お酒も美味しいし今日は最高だね」
「エミコ」
何気ない会話でレスポンスじゃなくて、ふいに名前を呼ばれた。
いつもは「エミコさん」と呼ぶのに、呼び捨てするのは大事な話のときだけだ。
彼は改まった風に緊張し、つられて私も姿勢を正してしまった。
目が合う。
時が一瞬止まった。
「勘がいいから気づいてると思うけど、これ」
スーツのポッケから出してきたのは、小さな箱だった。
ロイヤルブルーの布が貼られている箱。指輪が入るくらいの。
彼は深呼吸して、こう言ったのだった。
「 エミコさんは、遅いって思ってるかもしれないけど、受け取って。 ……俺と、結婚して……下さい 」
勿論、想像してた。
今日プロポーズされるんだろうなって。
だけど会話の途中にいきなり渡されると、やっぱり驚いた。
嬉しいのは当たり前なのだけど、本当にドラマみたいな光景にぽかん、としてしまう。
あれだけ望んでいたのに他人事のように呆けていると彼が思いだしたように苦笑した。
「その顔、俺がエミコさんに数学準備室で告った時と同じだよ」
「えっ!うそ!」
「嘘じゃないよ。で、受け取ってくれるの?」
「……私の年齢考えたら、分かってるくせに」
「知ってる」
「もう!タイミングといい、オシャレなお店といい、ベタベタだわよ」
「だってエミコさんの年齢のドラマってこういう感じかなって。俺、夜な夜な勉強したんだよ」
「もう!余計なお世話!」
「はははは」
ちょっと小突く振りしてやったあとに、両手でその箱を受け取った。
開けてみると、輝く一粒ダイヤを乗せたプラチナのシンプルな指輪が、当たり前のように光っていた。
「付き合った時からずっと、年齢差があるんだから結婚なんて遠い未来よ!って、誰かさんが言ってたからさ。一昨年とかお見合いするって言われた時、俺、本気でキレたでしょ。……俺はずっとずっと、考えてたからね。ちゃんと。
プロポーズしても恥ずかしくないように、俺も一人前の年齢になるまですげーもどかしかったんだから。
だから俺のため思って、今更断るなんてことしないでよ?」
33歳、女性数学教師。
25歳、新人のエンジニア。
交際歴7年。一緒に暮らして1年半。
もう、誰にも何にも言わせない。
だって私はこう言えばいいんだもん。
『年下にしょうがなくせまられちゃったんです』 って。
「あーあ。やっぱり明日、ムリヤリお休み貰えば良かったかな」
「大丈夫だってば」
「何が大丈夫なのよ。アナタと私は体力違うんだからね」
「トシじゃないから大丈夫だよ」
「トシって言ったわね、トシって!」
「ごめんごめん!」
「もう!アマキくん、内申点にチェックいれさせていただきます!」
「勘弁してってば~」
最後に運ばれてきたのは、甘い甘いケーキ。
これから味わえるのも、甘い甘い時間。
結婚はゴールじゃない、なんて誰が言った?
結婚はやっぱりゴールよ!
そんなこと言えば、ジェネレーションギャップだと言われかねないから黙っておく事にして、甘いケーキを一口食べたのだった。
( トレンディドラマだなんて言わないで。 )
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