第56話 空白の池袋④

 広場に一陣の風が吹く。洗いざらしの木綿のハンカチのようにすがすがしい。


「ありえない。窟は不可侵だ。偉大なる母なる大木マザーツリーが蛇の目の縄張り拡張に手を貸すはずがない」

 羅森ラシンはそう反論した。


「本当だよ。その証拠にジャンさんがボスってことになってる。鉄玉も新宿華僑も蛇の目も表にはでられないから。恐がりでビビリのあの人がそんなの受け入れるのは? 受け入れさせることが出来るのは? ……あの婆しかいない」


「ヒロユキ……偉大なる母なる大木マザーツリーを侮辱することは許さない」

 どうやら婆は琴線に触れる言葉だったようだ。けど知ったことじゃない。


「怒った? あんたがその気になりゃ俺なんか瞬殺だろうけど、未来はどうかな?」


「やはりおかしいぞ、ヒロユキ。いったいなにがあった?」


「いや特別なにも。ただ、『不合理を受け入れて合理的に生きる』のはやめにした。『不合理には不合理で向き合う』ことに決めただけ」


「言っていることが支離滅裂でわからない。私とヒロユキがやり合う未来? ……? ……? ……波寧ポーニン? 私に照準あわせているのか? なにを……」


「俺が、美紫メイズに飛びかかろうとしたなら吹き矢でプシュっと一瞬で眠らされるだろうけど、あんたのことは嫌いだってさ」


 また一陣の風が吹き抜けた。


「いつ手なずけた?」

「別に手なずけたわけじゃない。なりゆきで気に入られたよ。俺はどういうわけだか天使とか子供には好かれるようだ。好かれすぎて、俺の近くに寄ってくる成人女性はもれなく髪の毛に柿ピーのピーで悪戯されるのは困りものだけど」


「……私は素人には手を出さない主義……だが、やっていい事と悪い事がある」


「子供を利用する下種げすに言われたくないね」


「あの年頃、私も同じようなことをやらされていた。おまえは窟を誤解している」


「じゃあこれについてはどうだ?」

 怒りで立ち上がった羅森ラシンが座っていた場所に、俺は新聞を放り投げた。記事にはマジックで囲いがしてある。


「詐欺師が出てくるコンゲーム映画かよ。確かに新聞そのものを偽造するとは普通は考えもしない」


 羅森ラシンがなにか言葉を発することはなかった。俺は深呼吸するように眼球に過去を吸い出した。


「出版社に勤めている知り合いがいてさ。密かに調べて貰うよう頼んだ。地方版にもこんな記事は無かった。なにが『新聞のデジタルデータと似顔絵のデータが一致した。偶然に等しい』だよ」


「……偉大なる母なる大木マザーツリーには話したのか?」


「告げ口しなくても、お見通しだったよ。流石は美しい紫だ。意味わかんないけど。あんたらのケジメの付け方がどんなのか知らないけれど、ボスの命令を無視したのはまずかったんじゃない? それにえーと初めて名前聞いたけど波寧ポーニン? 発音これで合ってる? 波寧ポーニンは一つ間違えていれば、あそこで死んでいた」


「警察の施設だとは思っていなかった」


「どうだか」


「5日泊まり込みで3日間の完全休養。そんな待遇の良い、規則正しいアウトローはいない。公務員ではないかとは思っていたが……仲間を危険にさらした覚えはない。波寧ポーニンなら捕まってもどうとでも言い逃れが出来る。そういう風に育てられている。それにおまえのことはどうでもいいと考えていたのは事実だが偉大なる母なる大木マザーツリーを裏切ったつもりは微塵もない」


「はっきり言うなぁ。でもそれが本音だろう。俺の目にも嘘を付いているとは映っていない。この国の公務員の情報は宝の山。業績を上げたくて必死になっているそこらのサラリーマンと同じ理屈で勇み足をしたんだろ?」


「私はなにひとつ間違ったことはしていない」


「うん。そのとお~り。だから、今回の件は不問ってことで美紫メイズとは話が付いてる。ケジメをつける必要はなし! ま、怒られはするだろうけど」


 

 羅森ラシンは、タヌキがキツネにつままれたような顔をしている。



「ロンジョイは今回の抗争で最終的に暗殺を選ばなかった。と言うより相手が誰なのかわからなかったんだ。蛇の目のボスと同じく、今回の首謀者は闇の中で息を潜めている。これじゃ、まるで目隠しジャンケンだ。新しい元号になることだ。みんな金が欲しい。池袋の連中を焚きつけた奴の補給を断ち切りそいつをあぶり出して、蛇の目もヤクザも新宿華僑も窟もみんなが儲かってハッピーってのが美紫メイズの提案さ」















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