そのまま司令室まで連れていかれるのかと思いきや、ぼく(と赤月瑠璃)は、校舎の地下にある射撃練習場に連れてこられた。

「会長、円藤と〈首刈り〉の二名を連れて参りました」

「ごくろうだったね」

 鮮やかな黄金色の髪をたなびかせた長身の男。そう、うやうやしく八坂が頭をたれた先には、白虎学園生徒会長にして事実上の支配者、そして日本を代表する帝財閥の御曹司である帝陽輝みかどはるきが、数名の生徒会メンバーとともに、ぼくらを出迎えた。

 そして、射撃場の向こう側、五つの人型の的が並んだその中央に、大和十三が、両手を後ろに縛られた状態で正座していた。的の上方に大きな壁掛け時計があり、ちょうど夜の十一時を回ろうとしているところだった。一部の宿直を除いて、みな寮で寝静まっている時間帯だ。こんなところでもし銃を使ったとしても、誰もわからないだろう。

「では、はじめようか。八坂くん、彼女を向こうへ」

「はい」

 わけのわからぬまま、八坂が〈首刈り〉こと赤月瑠璃を大和の隣に放り投げる。地面に投げ出されたショックで彼女は眼を覚ましたようで、おそらくは鈴子に撃たれた傷が痛んだのか、激痛にもだえ苦しんでいる様子だった。彼女はもともと敵だったとはいえ、怪我人が乱暴に扱われるさまを見るのはあまり気分のいいものではなかった。こんなんだから麗那先輩に甘いと言われてしまうんだろうな、ぼくは。

 帝はふたたびぼくに向きあい、爽やかな笑みを浮かべた。いかにも育ちのよさそうな上流階級のお坊ちゃんという気品に満ちあふれていた。夢葉の笑顔にも上流階級の人間特有の柔らかさが感じられるが、彼女の笑みは(時にぎこちない作り笑いをすることはあっても)相手に対する親愛の情がにじみ出ていた。対してこの帝陽輝の自然なようで作られた笑みの仮面は、ぼくがこの世で最も嫌いな種の顔である。

「夢葉くんの救出作戦、ご苦労だったね。円藤縁人くん。君のことは谷垣主任から聞いているよ。結局、彼女は死んでしまったようだが……」

 表情を一変させ、眉を寄せて伏し目がちにそう語る帝。その態度からはどこか芝居がかっているような印象を受けた。彼はそのまま続けて言った。

「君に以前からスパイ容疑がかけられていたことも、聞いている。あの大和十三や赤月瑠璃と行動を共にしていたそうだね。これで君にかかったスパイ疑惑は、限りなく黒に近くなってしまった」

 ぎくり。まさにそんな擬音が相応しかった。帝のその言葉を聞いて、ぼくの全身を緊張が駆けめぐり、心臓が跳ねあがった。独房から釈放されてすっかり安心しきっていたが、そう、ぼくはあの〈人間兵器〉こと火馬力也に、大和や赤月と一緒にいたところを見られているのだ。むしろそんなぼくがなぜいきなり釈放されたのか。なぜそのことを、もっと疑問に思わなかったのか。色んなことが起こりすぎててすっかり頭の中から消え去っていた。なりふり構わず着の身着のままでさっさと学園の外に逃げ出してしまうべきだったと、今さらながら後悔するが時すでに遅し。

「しかし、だ」憂いの仮面をかぶった帝は、さらに述べる。「私としては、身を粉にして白虎学園のために、そして私のフィアンセのために、命を賭して戦ってくれた君を敵だと疑いたくはない。だから」

 帝は部下のひとりに眼をやると、部下のひとりがぼくに小ぶりの自動拳銃・コルトガバメント380オートを手渡した。

「その拳銃には弾が二発だけ入っている。君に名誉挽回のチャンスを与えよう。彼らからはすでに必要な情報は得られた。拷問部屋に連れていっただけでべらべらと情報を吐いてくれたよ。検証もおおかた済んだし、彼らはもう用済みだ。そこで……」

 ぼくには、その続きが容易に想像できた。

「彼らの始末を、君に委ねよう。もし君が青龍学院の人間なら、彼らを殺せないはずだ。だからここで彼らふたりを射殺すれば、私の権限で君にかけられた容疑を解き、晴れて無罪放免にすると約束しよう。さあ、やりたまえ」

 淡々と、帝はそう言い放った。その眼からは人間らしい温もりのようなものが一切感じられなかった。彼にとっては、他人の命なんてそのへんの養豚場で屠殺とさつされるだけの豚と変わらないのだろう。

 ぼくは大和十三と、そして赤月瑠璃を見た。

 大和十三は眉ひとつ動かさずに黙ってぼくを見据えていたが、赤月瑠璃は先日の独房のときと同じ、いやそれ以上にびくびくと、怯えた小動物のように身震いしていた。

「い、いや」体を震わせ、大粒の涙をぼろぼろ流しながら赤月瑠璃は哀願した。「や、やめてください、殺さないで。な、何でもしますから」

 これが寿や酉野先生を殺した、あの勇猛果敢な〈首刈り〉なのか。

 ぼくは躊躇した。そして考えた。これは本当に芝居なのか? 彼女もまた、自分が生き延びるために、または仲間の命を守るために、無我夢中で戦ってきただけなんじゃないか? そう思ったのだ。この地獄に放りこまれて壊れてしまった、哀れなひとりの少女なのではないか、と。ぼくだって、自分や仲間が生き延びるために反乱軍の年端もいかない学生たちを何人か殺している。彼らが死んで、悲しむ遺族や友人のことなど、今まで考えたこともなかった。ただ、生き残ることだけで頭がいっぱいだった。この戦争が諸悪の根源で、ぼくらは同じ穴のむじな、犠牲者なのではないか?

『子供たちまで戦争に駆り出す、この世界そのものが間違ってるのよ』

 ふと、江口先生の言葉が脳裏に蘇った。ぼくは、この狂った世界でまっすぐ生きようとしている。けれどそれは、はたから見たら、どうしようもなく狂っているのかもしれない。

 ぼくは、ゆっくり帝の方をふり向いた。

「か、か」

 緊張のあまり、口がうまく回らない。でも、まあいい。映画の主役じゃないんだし、ここぞってときにびしっと決めゼリフを噛まずに言う必要なんてありゃしない。

「何かね」

 帝がいぶかしげにぼくを見た。

「か、彼らは無抵抗の捕虜です。いくら敵だったとは言え、殺すのは……」

 まったく、本当にぼくは甘い。

 これはもう性分で、麗那先輩が言うように非情になるなんて、ぼくにはどだい無理なのかもしれない(でも、麗那先輩はそんなぼくの優柔不断さも好きだと言ってくれた)。

 殺すのは嫌だ。でも死にたくない。

 心底自分が情けなかったが、ぼくにはこうして帝の、ありもしないであろう温情にすがるのが精一杯だった。

「撃てないのかね。無抵抗の捕虜を殺すのは気が引けるというのはわかる。しかし、できないというなら、君を我々の仲間であると認めるわけにはいかない。君が人道主義者だから撃てないのか、あるいは彼らが君の仲間だから撃てないのか、我々に見抜く方法はないのだ。スパイを校内に置いといて敵に情報をリークされれば、味方に甚大じんだいな被害が出るからね。辛いかもしれないが、ここで彼らを殺したという事実ができれば、君は私や司令部の信頼を勝ち得ることができる。捕虜殺しのことは、ここにいる者たちだけの秘密にしておこう。私だって本当は、こんなことはしたくないのだよ」

 平然とした態度でそんなことを言われても、まったく説得力がなかった。呼吸をするように嘘をつく。しっかりと大物政治家であるお父上の血を引き継いでらっしゃるようで。

 しばらくぼくがぐずぐずしていると、帝陽輝はとうとうしびれを切らしたようにして、ホルスターの銃を抜いた。

「早くしたまえよ。私はいつまでもこんな茶番に付きあっていられるほど暇ではないのだ」

 前言撤回。彼は正直者だった。

 金色の装飾が施された高価たかそうな帝陽輝の自動拳銃の撃鉄が下ろされ、ぼくは初めて自分が直面している状況を、すぐ眼の前に迫っているであろう死神の存在を、肌で実感した。

 ああ。やっぱり、だめだった。

 この戦争ゲームの元締めのような男に温情を期待することなど、しょせん無駄だったのだ。

 あのふたりを殺さなければ、ぼくが殺される。

「どうした。できないのかね」

 躊躇ちゅうちょするぼくに容赦なく浴びせられる帝の言葉。ぶるぶる、と、ぼくの手が震えだす。

 くそ、いいから殺してしまえ。さもないと……

「円藤くん」

 今まで沈黙を貫いていた大和十三が、ようやく口を開いた。

「ひとりの男として、君に頼みたい。私は撃ち殺してもかまわない。好きにするがいい。だが、瑠璃くんのことは……どうか、助けてやってほしい。青龍学院の生徒会長である私を殺せば、君の潔白は証明できるはずだ。頼む、この通りだ」

 大和十三は両腕を背後で縛られた状態で、そのまま深く頭を下げた。そういえば彼は、〈人間兵器〉にトラックを破壊されてぼくら三人とも殺されかけたときにも、赤月瑠璃だけでなくぼくの命も助けるため、自分の命を差しだそうとした。赤月瑠璃が彼を慕う理由が、少しわかったような気がした。それに引きかえ、ぼくは自分が助かるためだけに、彼らを殺そうとしている。

 ぼくは、彼を撃っていいのか?

「だ、だめ。だめです。会長」

 震える声で、しかしどう自分の気持ちを表現したらいいかわからない、そんな口ぶりで、赤月瑠璃は言った。そして彼女はこうべをたれた大和十三に覆いかぶさるように、わかりやすく言うなら彼をかばうようにして、その身を預けた。先日青龍学院の強制労働で倒れたぼくを、月野が身を挺して看守の暴力から守ろうとしたように。

 大和十三はそんな赤月瑠璃を、上半身の力だけで退しりぞけた。

「下がっていたまえ、瑠璃くん。君まで死ぬことはない。私を撃たねば、彼はスパイ容疑で殺されてしまうのだ」

 赤月瑠璃は眼に涙を浮かべながら首を横に振る。これじゃ、ぼくが完全に悪者みたいだ。

 ぼくは、本当に彼らを撃っていいのか?

 いくら敵同士だったとは言え、今は無抵抗の捕虜で、彼らに戦意はない。

 夢葉が麗那先輩に斬られて死にかけていたあのときだって、武器を捨てて投降したぼくを、赤月瑠璃は殺さなかったじゃないか。

 体が、鉛のように重く感じられる。

 このまま彼らを殺したら、この体は本当に鉛のように固まって動かなくなる。そんな気さえする。

 本当に、本当に、撃っていいのか?

 自らの保身のために?

 あの青龍学院のクーデターが起きる前、恥ずかしげもなく、むしろ誇るように自分たちの夢を語った彼らの姿が脳裏に蘇る。たしか大和は天文学者に、赤月は小説家になりたいと言っていた。ぼくには彼らのように他人に語れる夢なんかない。ただ死にたくないから、あの地下水路のホームレスのようにみじめったらしく生きたくないから、こうして強者の側に立っているだけにすぎない。

 そんなぼくが、本当に、彼らを、殺していいのだろうか?

 がちがち、と、震える手。引き金にかけた指が、うっかり動いてしまいそうになり、そのたびにぼくの心臓が全身に過剰な血液を流しこむ。戦場で敵を殺すのと、無抵抗の人間を殺すのとでは、まるで重みが違った。しかし、撃たねば殺される。殺されるのだ。

 ……仕方がないじゃないか。

 何を今さら、善人ぶっているんだ?

 今までだってぼくは、自分が生き残るために、敵を殺してきた。彼らにだって家族や友達はいただろう。今さらきれいでいようとしたって無駄で、ぼくの手は、もうとっくに血まみれなんだ。眼の前にいるのが夢葉や鈴子、忍ちゃんだったら、ヒロイックな気持ちに浸りながら帝に頭を撃ちぬかれて、彼女たちに泣かれながら、映画の名シーンのように視聴者の記憶に残る最期をとげるというのも一興だったかもしれない。でも、眼の前にいるのは、捕虜とは言っても、恩師や友人を殺した、元はといえば敵だった連中だ。

 甘さを捨てろ。そうしなければ、生き残れない。

 そうしなければ、本当に大切なものを守れない。

 ぼくは、行方の知れない母と、夢葉を、探さなくてはならない!

「ごめんね。ふたりとも。ぼくは、こんなところで、死ぬわけにはいかない」

 自分でも驚いてしまうくらい低く、冷酷な声だった。

 赤月瑠璃の体がびくっと、一瞬硬直したのがわかった。

 でも、もう止まらない。

 もう迷わない。

 そのまま、ぼくは、拳銃の引き金にかけた指に、そっと力をこめた。


 響きわたる銃声、吐き出される灼熱の死神。

 この残酷な世界で、またひとつ、命の灯火が消えていく。

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