第15話 二人の時
塚本さんから渡された《見回り中》のタスキ。
それを肩からかけて校舎の中を歩き、トラブルが起こっていないかを確認する。
しかし、何でだろう。この胸の高鳴りは……。
先程までは美羽ちゃんがいたから、あまり何にも感じなかった。でも、その美羽ちゃんと離れて、二人きりになった瞬間。何を話せばいいのか、どんな距離間を保てばいいのか。そのどれもが分からなくなる。
「本当に来てくれてよかった」
「……うん」
ずっと先を捉えた視線に、普段の学校では見れない生徒達のはしゃいだ顔、近所のお年寄りたちが映る。
「どう? 楽しめてる?」
人が多いせいだろうか。私と中筋くんはお互いの手が触れそうで、触れない距離が縮まらない。
もし、この手が中筋くんに触れたら──
指先に少し力が入る。もう少し手を伸ばすだけで、触れられる。でも、もし触れてしまったら。中筋くんはどう思うかな?
嫌がられるかな? 気持ち悪がられるかな?
そんな負の感情が巡る。
「うん、来てよかった」
そう答え、私は少し手を引いた。人の流れで、中筋くんの手と触れないように。
「それはよかった」
中筋くんの声は小さかった。それでも私の耳にはちゃんと届く。辺りの喧騒が気にならい程に、その声はしっかりと鼓膜を撫でる。
「問題起きてないといいね」
「ほんとに」
北校舎の見回りが終わり、南校舎へと移動する。その際に通るのはやはり美羽ちゃんの写真の飾られた渡り廊下だ。
「でも本当に美羽ちゃん凄いよね」
「うん。未経験で賞まで取るってすごいよ」
通り過ぎながら一瞥をくれ、中筋くんは呟く。
「だよね。私にはそんな才能ないなー」
「僕も、ないよ。僕には何も……」
「そんなことないよ」
考えるよりも先に言葉が出た。
「え?」
語気が強かったのだろうか。中筋くんは驚きが隠せないようで、素っ頓狂な声をあげる。
「中筋くんには人を
「そんなこと……」
自信の無い声に、私はかぶりを振る。
「だって毎日お見舞いに来てくれてたじゃん。言っとくけど、毎日来てくれたの中筋くんだけだったんだからね?」
「そうなの?」
「そうだよ。それにちゃんと毎日話してくれた。委員のことだけじゃなくて、学校のこととか」
「それは御影さんが望んだから」
「最初は望んだよ。でも、次の日から自分から話してくれた」
南校舎の一階に到着する。陽の光が溢れんばかりに差し込み、そこにいるだけでじわりと汗が滲むのがわかる。
「それは……」
「私の事考えてくれたからだよ。私がそれを望んでるって思ったからだよ」
言葉を聞いた中筋くんは、わかりやすく耳の先まで真っ赤にして俯く。
「ありがとね」
入院をした日から今日まで。その日々を思い出し、心に刻んで、総括した。
「……うん」
恥ずかしさを孕んだ声音で中筋くんは告げる。
南校舎の二階へ上がる途中で、そこにはたまたま誰もいなかった。喧騒から解放された気分になる。
そのため中筋くんの声は誰の邪魔もされることなく、心地よく私の中に入った。
そして私はその空気に流されるように、中筋くんの手を私の両の手で包んだ。
「っ!?」
私の唐突すぎる行動に、中筋くんは声にならない驚きを零す。
温かい、人の温もりが感じられる中筋くんの手は私の手とは少し違った。私みたく滑らかで丸みを帯びていない。ごつごつとしており、分厚さも感じる。
「やっぱり中筋くんも男の子なんだね」
「きゅ、急に……な、何?」
まだ驚きから覚めていないのだろう。中筋くんの声には上擦りと戸惑いがある。
「なんでもないよ。ただ、私がこうしてたいの」
誰もいない場所といってもここは学校で、文化祭の真っ最中。いつ、誰がここに来てもおかしくはない。
それが理解できても、私はやめられなかった。募った想いが溢れて止まない。触れるべきではなかった。今更ながらにそう思う。
「な、なんで?」
慌てた様子が可笑しくて、それすらも愛おしいと感じられる。
「なんでもっ」
似合わない甘い声が私の口から零れる。中筋くんは黙りこくった。ただ気恥しそうに握られた手を見たり、天井を見たり、遠くを見たりと視線をころころと変えながらも、何も言わない。色白の彼はゆでダコのように真っ赤になっている。
黙る中筋くんに、私から何かを言うことは無い。私たちは無言のまま両手を握っていた。一体どれほどの時間が過ぎただろう。そこへカツン、カツンと階段を降りてくる音が耳に届いた。
私たちは慌て急いで手を離す。
十秒も経っていないかもしれない。しかし、私にとっては一分以上はそうしていたような気がする。
「行こっか」
どちらからともなく放たれた言葉。離された手にはまだ温もりが残っている。少しずつ近づいてくる足音から逃げたい気持ちは山々。しかし見回りという重責があるため、私たちは並んで階段を登り始めた。
三十代半ばと思われる女性とすれ違い、南校舎の二階に到着する。
ここには美羽ちゃんを含めた三人で訪れたお化け屋敷などが並ぶ、二年生のエリアとなる。トイレの前は少し混雑しているが、それは仕方がないことだろう。来年以降に対策を考えるしかない。お化け屋敷の前を通り抜けると、その隣には執事喫茶等と銘打った店があった。外から少し覗いてみると、中には中々に粒ぞろいな男子生徒が燕尾服でお客さんの対応をしている。
「すごいお店考えるね」
「最近、流行ってるみたいだよ。メイド喫茶ならぬ執事喫茶」
「そうなんだ。男の子が女の子に癒してもらうように、女の子も男の子に癒してもらいたいのかな」
まぁ、私はそんなこと全然思わないんだけど。
「僕にはちょっと分からないかな」
苦笑を浮かべる中筋くんに、そうだよね、と相槌を打つ。
「そう言えば、ここのクラスなのかな? 二年生にすっごいイケメンがいるって聞いたよ」
「そうなんだ」
あまりに興味が無い話に、私の声音は適当そのものになる。しかし、中筋くんの放った「そっか」の声音はどこか嬉しさが混じっているような気がした。
見回りは順調に進み、残すは体育館のみとなった。体育館は午前中こそ舞台発表にあてられているも、午後からはお店などが並び、舞台上では有志演技が行われている。
「うぅ、すっごい熱気」
体育館に足を踏み入れた途端、ただでさえ熱い空気が更に三度ほど熱されているように感じるほどの空気が体内に入る。
「これは……熱中症とかが心配かも」
あまりの熱気に顔を顰める中筋くん。その熱気に負けない声が飛び交う。
「次っー!!」
フリルのついたスカートをはためかせながら舞台に立つ五人の女子生徒のうち一人が高らかな声を上げると同時に、爆音にも近い音でBGMがイントロが流れ出す。
「すごい」
思わず口をついた。私には到底できない。恥ずかしいのもあるけど、やっぱり私がそこに立つ資格があるのかな、とかいろいろ考えちゃう。
「すごい、か」
私の言葉を反芻した中筋くんは、舞台上で汗を光らせながらも可憐に踊って魅せる彼女たちを見る。激しい踊りに、時々歌の音程がずれる。それが今まさにこの場で熱唱をしているということを裏付ける。
「僕にまねできない」
「私もだよ」
その言葉を最後に、舞台から目をそらし館内を回る。火気類を使わない店がメインとなっている。チョコバナナやリンゴ飴といっお祭りのド定番が並ぶ。そのためか、ここだけは文化祭というよりはもっと違うお祭りごとのように感じられる。
「この暑さは異常だと思うから、それだけ伝えればいいかな」
館内を一周し、特筆する異常がないことを確認してから中筋くんはこぼした。
「そうだね」
そう言った瞬間、館内が割れんばかりの歓声に包まれる。
「なに?」
あまりの沸きあがりに驚愕の声が出る。
「わかんない」
それは中筋くんも同じようだ。目を丸くし、肩をすくめて全体を見渡している。
「待たせたなー」
そこへそんな声が轟いた。
声は舞台のほうから聞こえ、視線を向ける。そこにはホステスを思わせる、派手なスーツに身を包んだ長井くんがいた。
「「え!?」」
予想だにしていなかった人物の登場に私たちの声は思わずハモってしまう。
「お待たせ、子猫ちゃん」
どこぞのアイドルを彷彿させる台詞にもかかわらず、黄色い声援があがる。やはり整った顔立ちに高い身長の長井くんは女子からすごい人気があるようだ。
「いこっか」
長井くんは肩からギターをぶら下げている。彼の後ろからも数人が順番に出てきて、舞台上にはドラムまでもが設置してあることから今から行われることには推測が立てられる。
それを私は見たいとは思わない。
「いいの?」
「私、興味あるように見える?」
「んー、どうだろ」
「ないから行こって言えるの」
煮え切らない中筋くんの言葉にイラつきを覚える。それが何かを私は理解していた。
――嫉妬をしてほしい。
それに尽きる。イケメンを相手にしてほしくないとか、自分を見てほしいみたいな、そんなことを思っていて欲しい。私なんかがそんなことを思うのはおこがましいのかもしれない。でも、私は中筋くんがもっと自信をもって、私にぶつかってきて欲しい。
そんな叶わぬ願いを胸中に溜めながら、私は中筋くんより一足先に体育館から出たのだった。
「な、何か怒ってる?」
「別にー」
思いは口にしないと伝わらない、なんて言うのは本当にその通りだ。特に、好き、嫌い、なんて簡単な感情でない限り人の思いを知るのは難解で、想いの紐解きなんてできるわけがない。
「じゃあ、なんか悪いことした?」
でも、雰囲気の違いは読み取れるらしい。中筋くんは私の微妙な気持ちの変化から生じた雰囲気の変化に反応する。
「大丈夫だよ」
「ほんとに?」
「ほんとだってば」
心底心配そうな声音と表情が何だかとっても楽しくて、面白くて、先程までのイライラがどこかへ飛んでいってしまったような気がした。
「それならいいんだけど……」
弱々しい声音にくすっと笑い、私は中筋くんの肩に手を乗せた。
「心配性なんだね」
「そ、そんなことは」
近くなった距離は、お互いの呼吸が伝わるほど。視線と視線の交錯は気恥ずかしく、自分から逸らしてしまいそうになる。それをぐっと堪えていると、中筋くんの方から視線を逸らした。
「赤くなったよ」
「暑いからだよ」
どんどんと顔を赤く染めていく中筋くんはそんな言い訳をする。言い訳かどうかは分からないけど、言い訳だと思いたい。
──好きって思い伝えてもいいかな。
不意に過ぎる思考。距離が縮まったことで気が大きくなっているのかもしれない。
そんなことを逡巡させた時だった。
「今日、文化祭が終わったあとなんだけど」
中筋くんからそう切り出された。
「うん」
「予定あるかな?」
「別にどこかに行くってことはないよ。ただ……うんん、なんでもない」
病院に戻る時間を伝えるべきかと逡巡する。逡巡して、いま口にするべきことではないというものに落ち着く。
「なら良かった。後夜祭が始まってすぐ、音楽室に来てもらえる?」
「音楽室?」
「うん。あそこなら誰も来ないはずだから」
中筋くんの真摯な目が私を捉える。簡単に逸らすことができる視線に、私は囚われたかのように逃げ出すことができない。どうすれば? どうすればいいの?
誰も来ない場所で何をするの?
様々なことが予想される。私のことが嫌いって言われるの? それともす、す、好き……かな? それよりももっと凄いこと? いやいや、中筋くんに限ってそれはないよ。
「どうかした?」
伝えたいことを伝えられ、スッとした表情を浮かべる中筋くんが訊く。
「なんでもないよ、ばか!」
恥ずかしさが上回り、思ってもいない罵声を浴びせてしまう。言ってから後悔する。しかし、中筋くんは気にした様子もなく「ばかはそっちだよ」と呟いたのだった。
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