第7話 芦澤家 2

 子供達にお腹一杯ご飯を食べさせたい。わたしがそう言うと、場が凍りついた。


 どうやら、禁句だったらしい。


「別に、おれなんかに気を使わなくてもいいっすよ。施設じゃ、いつも腹へって、お菓子を万引きしたところで仙三さんに見つかったんだ」


 悠斗は、よどみなく、わたしに話しかけてくる。


「それが元で、養子にしてもらえたんだけどさ。もうさ、なんでもいいから、腹一杯食いたいなって思ってたから、うれしくって」


 これまで、語られることのなかった悠斗の過去。両親に先立たれ、施設に入ったことまでは知っていたけれど、そんな経緯があったとは、思いもよらなかった。


「これは、芦澤家だけが知る秘密なのだよ」


 仙三は、煙を吐きながら、重々しい口調で言った。


「もちろん、口外はしませんっ」


 美和子の言葉に同調するように、わたしも大きくうなずいた。


「あんたも、いつも腹へらしてたの?」


 悠斗の問いに、わたしはまたうなずく。橋本塔子は、いつも空腹だった。アルバイトをするようになってからも、ずっと……。自分が食べる分は、施設の子供達に一円でも寄付したい、と願い、実行していたのだから。


「それで、すっげぇ、うまそうに食ってたわけだ」


 言葉とは裏腹に、悠斗はやさしい眼差しを一瞬だが見せた。


「では、きみも、悠斗もだが、たまには家にくればよいではないか。そうすれば、いくらでも食わせてやろう」


 仙三の言葉はありがたかったが、それに甘える権利は、わたしにはなかった。


 せっかく、仙三のおかげでお腹一杯食べられるようになったのに、どうして悠斗はこの家を出て、働くようになったのだろう?


「本当は、大学まで学費を出してくれるって言われたけど、おれが断った。……おれも、施設に寄付することがある。ごく、たまにだけどな」


 空腹を満たすように、働いて、寄付をして、また働く。そんな、橋本塔子とおなじ意思を持つ者が、彼だったなんて。


「どこの施設だ? わたしが買い取って、職員を全員入れ換えてやろう」


 それだと、失業者が出てしまう。施設長は自業自得だとしても、他の職員が寄付金を盗んでいたわけではない。


「寄付金をネコババしていたのは、施設長だけです。だから、他の職員は、教育し直せば――」

「甘いよ」


 悠斗に言葉をさえぎられる。もう、やさしげな表情のない、いつもの彼の目だった。


「根っこが腐ってりゃ、枝も腐ってるさ」


 そうなのだろうか?


 寄付金のことなど知らずに、懸命に働いた職員もいたのではないだろうか? その者が、心狭い思いで働いていたのではないかと思うと、やるせない。


「そんなことより」


 繭子は、突然話を変えた。まるで悠斗にこの話を続けさせたくないかのように……。


「その鳥、いつも一緒なのね。名前はなんて言うの?」

「ピーコと言います。男の子です」


 わたしが答えると、繭子はとびきりの笑顔をピーコに向ける。たかが、鳥、一羽に向ける笑顔じゃない。


「ピーコちゃんか。こんにちは。ピーコちゃん」


 繭子に話しかけられたピーコは、戸惑うようにわたしを見た。


「こ、こんにちは」

「あら? おりこうさんね。ところで、わたしのお部屋においしいお菓子があるのだけれど、来ない?」


 それは、だれに向けられた問いなのかわからず、戸惑っていると、ピーコの目が赤く光った。


「なっ!? ピーコ!?」

「いらっしゃいよ、橋本塔子さん。いいえ、トーコ様、と、お呼びしたらよろしいのかしら?」


 わたしは、事情を察した。


 シャシの協力者は、芦澤繭子だったのだ。


 幻惑の術に惑わされたピーコは、繭子の肩に乗り移ってしまった。


 この誘いを断る権利はない。それに、このままだと、美和子達に危険がおよぶかもしれない。


「さあ、行きましょう」


 わたしは静かに立ち上がると、繭子の華奢な後ろ姿に着いて行く。


 仙三達は、なにもないかのように、普通にしている。


 これも、幻惑の術のせいか?


「二階よ、トーコ様」


 うふふふっと、笑いながら、繭子が階段をのぼってゆく。


「うっふふふふ。あっははははは」


 繭子の笑い声にハリはなく、ただ、言葉を発しているだけになっていた。


「こっちこっちー!」


 繭子は時々振り返り、わたしを挑発するように笑う。


「紅林さん、一緒に来てちょうだい」

「はい、お嬢様」


 繭子はメイドの紅林を巻き込んで部屋に入る。


「さあ、こっちよ」


 繭子に導かれてると、なんともファンシーな部屋の中にいた。


 居心地が悪い。


 だが、ピーコはまだ幻惑の術にとらわれたままで、わたしには浄波璃の鏡しかない。


「橋本塔子さん、に器を借りた閻魔大王様、ようこそ、いらっしゃいました」

「……すべて、わかっていたのだな。では、あなたが、シャシの協力者なのか?」


 もはや、問うまでもないことを口にしていた。


「そうよ、トーコ様。だって、シャシ様ってすばらしいのよ。このわたしに永遠の若さと美貌を約束してくれたの。ただの鬼でしかない、このわたしに」

「紅林さんとは、どんな関係がある?」

「彼女の中に、ユートの魂の半分が入っているの。でも、見ての通り、彼女からユートの魂を引き出せば、寿命がかなり短くなるわね。どうする? おやさしい大王様」


 思っていた通りのシナリオに、わたしは息を飲んだ。


「やはり、鬼だったか」


 低級の鬼が、人間に成り変わり、住み着くことはよくあることだ。


「なぜだ!? シャシは友達ではなかったのかっ!?」


 混乱して、おろかなことを口にしていた。


「はん、友達!?」


 紅林の口から、シャシの魅惑的な声が響いてきた。


「シャシ、あなたがクーデターを企てたというのは、本当なのか!? だって、あなたは……」

「トモダチ、ねぇ。ずいぶん甘いお考えをお持ちのようね、大王様。でもね、あたしはあなたを利用してたの。繭子を利用してるのと一緒。信じたあなたが悪いのよ」

「ウソだっ。あなたは、そんな残酷なことができるわけがないっ!?」

「なにかかんちがいしているみたいだけど」


 紅林は、冷たくわたしを見下ろす。


「あたしが自分の手を汚すわけないじゃない。おろかな閻魔大王」


 うっふふっと、シャシが笑う。


 あっははっと、繭子が笑う。


「偽善、お芝居、やらせ。この世にはびこってるのは、知っているクセに、だまされちゃうあなたって、クズだわね」


 ……本当に、最低だ。人間がどれだけおろかなのかは、裁判で見知っていたはずなのに。


 それなのに、勝手に信じて、傷ついてる。


「わたしが本当は鬼だってこと、シャシ様に隠してもらったの。だって、ね。その方がたのしいでしょ? わたしの前世がなんに見えたのかしら? その、役に立たない浄波璃の鏡」


 繭子のその言葉で我に返った。わたしは、ためらっている場合じゃない。父上とユートの命を奪ったシャシに復讐するのだっ!!


「うっふふっ。浄波璃の鏡なコンパクトを出して、見てみなさいよ」


 っ!? まさかっ!?


 わたしは、コンパクトを取り出した。そこに写っていたのは、手足を縛られたキータと、部屋にある浄波璃の鏡に写ったシャシの姿。その手には、小型のナイフが握られ、その切っ先は、ぬけがらとなったわたしの喉元にあてられていた。


「ゲームオーバー。さあ、こっちに戻って来なさい。そして、お父様を解放しなさい。そうでなければ、あなたがやってきたことのすべてを、老人達にあばくわよ。どう思うのかしらね、彼ら。あなたのこと、あまり好意的には思ってなかったみたいだし」

「……わたしが、そちらに戻ればいいのだな?」

「ええ。お待ちしてるわ。閻魔大王」


 わたしは、繭子に向き合う。


「こんなこと、たのめる筋合いではないが、まだ、橋本塔子を殺さないでいてほしい」

「おっけー。待ってるわよ。あなたにはまだ、使い道があるんだから」


 わたしは、繭子の答えを確認すると、キータのにおいへと意識を集中した。


 つづく












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