第9話 眼科

「トーコ様でも、緊張することがあるのね?」


 まだ震えているわたしを見て、美和子が微笑んだ。


 そうじゃない。


 権田原に真実を聞かされたせいだ。


 でも、そんなことは、美和子には言えない。


「この後は、眼科によりましようか? トーコ様の大事な目が心配だし」

「わたしなら、大丈夫だ」

「でも、コンタクトつけっぱなしにしてたでしょ? 心配だから、見てもらおうよ?」


 なかば強引に喫茶店を出ると、またピーコがカラスにつつかれていた。


「トーコ様、トーコ様ぁ!」


 ピーコは、わたしの肩に甘えるようにしがみついた。


「そうだ。コンビニに丸で一本バナナロール売ってるだろうか?」

「あると思うけど。意外と甘党なのね?」

「いや、うん……」


 キータへの土産だとも言えない。


 コンビニでバナナロールを買うと、昼食をすませて、眼科に行った。


 午後からの診察だというのに、すでに患者であふれている。


 そこで、はたと気がついた。


 橋本塔子の保険証は、昨日使ったばかりだったが、ちゃんと持ってきただろうか?


 すりきれた布の三つ折り財布の中を確認すると、きちんと保険証があって、安心する。


「お財布も、あたしのでよければ、あげるからね」


 あまりにぼろぼろだったので、はずかしくなった。


 だが、この財布は、橋本塔子が生きた証なのだ。


「財布は捨てなくてもいいわよ。大事にしてたんでしょ?」


 美和子に微笑まれて、少し照れる。そう、この財布は――!?


 思い出そうと、橋本塔子の記憶データをのぞきこんでいたら、クーデターを遠目に見ているシャシが出てきた。


 こんな場面、わたしは知らない。


 ……やはり、彼女のしわざなのか?


「どうしたの? トーコ様。あ、もしかして、こわい!?」

「ああ、うん」


 なにを言われているのかわからなくて、適当に相づちをうつ。


「そうだよねぇ。眼科の検査って、なんかこわいよねぇ。ああ、この問診票に記入してくれる?」


 美和子は、看護師から受け取った問診票をわたしに手渡した。


 人間界にも協力者がいる、と権田原は言った。それが本当なら、美和子も信用できないかもしれない。


 でも、権田原と美和子は仲が良さそうだった。美和子がシャシの協力者なんて、とても見えない。だが……。


 あせるな。


 美和子の前世はトビウオだった。


 ……しかし、佐々木悠斗の前世はアライグマと書き換えられていた。


 そうなると、美和子も信用できない?


 ひとつずつ問診を記入していきながら、考える。


 美和子は敵なのか?


 だとしたら、最初の出会いから仕組まれていたのか?


「書けた?」


 気楽に腕をからめてくる美和子に、悪意なんて少しも感じない。


 だが、そう思わされているのだとしたら?


 ……だとしたら、夕べ、わたしの魂が魔界に行っている間に殺していただろう。


 そうだ、そうにちがいない。


「書けたよ」


 悟られてはいけない。まだ、敵か味方かもわからないのだから。


「うん、じゃあ提出してくるね」


 わたしから問診票を受け取った美和子は、受け付けに提出している。


 その後ろ姿は、やはり、悪巧みをしているようには見えなかった。


 わたしは、取り込まれてしまったのだろうか? シャシが得意とする幻惑の術に。


 わからない。


 不安を抱えたまま、視力検査をする。


「両目とも一.五ですね。右目が少し充血してますね」

「わお、一.五。うらやましい!」


 そういう美和子も裸眼らしく、一.三という視力を披露していた。


 一通りの検査の結果、右目の充血がある以外はなんともなく、目薬を処方してもらうことになった。


「よかった、トーコ様の大事な目がどうかなってなくて」

「たしかに」


 こればかりは、橋本塔子が丈夫だったことをありがたいと思った。


「でも、じゃあ、なんでコンタクトなんてつけてたの?」


 はっ。浄波璃の鏡だなんて、口が裂けても言えない。


「瞳を大きく見せるやつかな?」

「そ、それだ」

「んー、じゃあ、それ、つけなくてもいいよ。トーコ様、充分魅力的だもん」


 そうはいかない。夜はともかく、昼間は浄波璃の鏡をつけていないと、なにかと不安だ。


 ……だが、それも、シャシの幻惑術によって、ごまかされる可能性がある。


 だとしたら、充血のリスクをおかすより、裸眼でいた方が混乱しなくてすむかもしれない。


「わかったよ。でも、ここ一番の時には使うから」

「それでいいわっ!」


 美和子は、納得してくれた。


 丸で一本バナナロールも買ったことだし、今夜、この件も含めてキータと話し合う余地がありそうだ。


 しかし、浄波璃の鏡のコンタクトレンズを改良したところで、シャシの幻惑はまぬがれない。


 いよいよもって、めんどうなことになってきた。


 それに、佐々木悠斗。


 彼の生い立ちも、シャシが魂の半分を奪ったせいだとしたら、彼にどう話せばいい?


 話せたとして、信じてくれるかどうかわからない。


 なにしろあの目。


 人生に希望を持てず、やけっぱちで、とても、冷たい目をしていた。


 ああいう人間を、何人か裁いたことがある。


 彼らの前では、地獄も天国も関係ない。ただ、ぼうぜんと、理不尽な不幸がまとわりついている。


 彼は、もうわたしの知っているユートではなくなってしまった。


 仮に、魔界での記憶がよみがえったところで、混乱するだけだろう。


 助けられない。


 だったらこのまま、人間界で自堕落な生活をさせておいた方がいいのかもしれない。


「ねぇ、トーコ様?」


 突如、美和子に話しかけられた。彼女がシャシの協力者かもしれない、と思うと、身がすくんでしまう。


「なんだ?」

「帰りに靴屋さんによって行こうよ。ほら、足元大事だから」

「いいけど、ヒールの高いのは履かないぞ?」

「わかってるって。それに、トーコ様、パンプス履かなくても充分背が高いもの。うん、高すぎず、ちょうどいい感じかな」


 そうなのか?


 だとしたら、これまでの橋本塔子の生活はなんだったのだろう? 必死になって新聞配達やスーパーでの裏方で働いて、最後には心臓が止まってしまった。


 彼女の魂はまだ、人間界にとどまり、どこかにいる。


 腹一杯ご飯を食べる夢を見ながら……。


 思えば、なんて残酷な仕打ちをしたのだろう。


 こんなに魂のきれいな橋本塔子の器を借りて、父上とユートを探し出すことはできた。


 だが、父上は肺がんで余命いくばくもなく、ユートは世をはかなみ、自堕落な生活を送っている。


 救えない。だれのことも。


 それなのに、わたしはまだ人間界にとどまっている。


 どうすれば、正解にたどりつけるのだろう?


 わたしは、美和子に連れられて、靴屋までたどりついた。


 つづく


















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