【ももの過去編】守れなかった人殺し

「くる……み……ねぇ、くるみっ!」


 ももは顔を真っ青にして妹の名前を呼んだ。

 分からない。……分かるわけない。

 どうしてこんなことになっているのか。


「いたいよ……いたいよぉ…………」


 掠れた声で真っ赤な血を床に広げながら泣くくるみに、ももはタオルを当てることしか出来ない。

 だが、それも無駄だった。

 血は全然止まらない。

 ももの手にもくるみの血が染み出し気が狂う寸前まで追いつめられる。


「なんで……っ」






「お……ねえちゃん……たすけて……」


「……だい……じょうぶ……っ、わたしが……助けるから…………」


 そう言ってる間にくるみの顔はだんだん青くなった。

 息もあまりしていない。

 しているのは咳をしながら吐き出す血の塊だけだ。

 それでも、なんとか止まって欲しくてくるみにタオルを押し当て続けた。


「とまって……早く………」


 圧迫止血を試みるが……くるみの傷が深すぎた。

 あの爆発で撒き散らされた破片の一つはももが庇いきれなかった、たった一つの致命傷の部位───脇から侵入し、そのまま背中へ貫通。

 脇付近を通る大きな血管『腋窩えきか動脈』の損傷に加え、肺の一部が抉り取られていた。


「とまって……とまってよ……お願いだからっ!!」


 ただももは、くるみに声をかけながら溢れ出る血を抑えることしか出来なかった。

 何も出来ない。それがどれだけ惨めで情けなかったか、当事者以外は分かりかねない。


「お……ねえちゃん……」


「ごめんなさい……っ、ごめん、なさい……っ」


 虚ろになった妹の弱々しい瞳は……もう消えてしまいそうで……ももはただ声をかけ続けるしかなかった。

 でも……溢れる言葉は……ごめんなさい、これしか出てこなかった。


「ひゅ……っ、こふっ……ひゅぅ……」


「やだ……いやだよくるみ……っ」


 ────無理だ。


 ももの頭にくるみの死が頭をよぎった。

 自分が守らなかったせいで、自分がくるみを庇えなかったせいで……妹が死ぬ。

 涙が止めどころなくももの頬を伝い、真下にいるくるみの顔に落ちた。


「おねがいだから……っ、わたしは死んでもいいから……くるみだけは……くるみだけは……っ」


 ────こんな命いらない。


 くるみが助かるのなら喜んでこんな命捨ててやる。こんな優しい夢を持った子をこんな場所で死なせるわけにはいかないんだと、ももはただ神様に祈り続けた。

 それが、どれだけ無意味であったとしても。




「ぉ……ね……え………ちゃん……」


 くるみの声が聞こえた。

 ただ、生きようと呼吸しているだけのくるみが声を出した。

 ももが首が折れるくらいの速さで顔をあげると、くるみはただ安らかそうな表情をしていた。


「くるみ、もう少しで救急車が着くはずだよ……そしたら、きっと助かるから……」


「………」


 くるみは静かに首を横に振った。

 ……もういいよ、そう言っているかのようだった。


「くるみ……っ、わたし……まだ……っ!」


「─────」


「っ! くるみ……いま……なんて……」


 何か言った。それは間違いなかった。

 しかし、あまりに小さすぎてももは聞き取ることが出来なかった。

 そして……それで全ての力を使い切ってしまったかのように、くるみはゆっくりと目を閉じていった。


「くるみ……やだよ……寝たらだめだよぉ……っ」


「………」


 ───どれだけ痛かったのだろう。


 体を穿たれた痛みは想像を絶し、本当なら痛みに顔が歪むはずだ。それなのに……、


 くるみはただ笑っていた。


 最期の瞬間が来るまで……それだけは崩さなかった。


 ……ぱたり。


 そして身体全体の力が抜け、くるみは瞳を閉じ、動くことはなかった。


「くる……み……? うそ……だよね……悪い冗談やめてよ……お姉ちゃんでも許さないよ……?」


 だが、それでも、ももは諦めなかった。

 ……諦められなかった。

 何度も何度も声をかけ続けた。

 何度も何度も体を揺さぶり続けた。


「ねぇ、早く起きてよ……おこる……よ……」


 もう、くるみの身体はぴくりとも動かない。

 現実を見ろと言う自分。

 まだもしかしたらと囁く自分。




『お前が妹を殺したんだ』と蔑む自分。


「ううぁああああ………っ、ああ……ぁ……いっっ!?」


 色んな自分が混ざりに混ざって半狂いになりかけたその時、突如として激痛がももの背中を突き刺した。

 ももは庇おうとした影響で背中にかなり重い火傷を負っていたのだ。精神状態もあやふやな中、体が思い出したように悲鳴をあげると、意識が保たれなくなり、同じようにその場に倒れていった。


(く、る………………み…………)







 ────死傷者107名。内、死者29名。

 ベンチに仕掛けられた地雷に使われる圧力作動式の高火力爆弾による無差別殺人テロ。土日の親子連れが多く集まる中での出来事だったこともあり、子供の死者が続出した。


 ────その中で救出活動に尽力を果たした1人の男性はこう語った。


「爆発現場と思われる場所には散乱した『なにか』と2人の……女の子が倒れていた。上に被さった子が下の子を意識を失っても庇い続けているようだった。……残念だが、下の子は発見時には既に息を引き取っていた。もし……あれが姉妹なのならば……惨い、そうとしか言えない。このような事件が無くなることを一日でも早く願うばかり」




 ■■■■■■■■■■■■■■■■■


 気がつけばももは暗い闇の中にいた。

 辺りを見回すと大勢の人が遥か遠くに見える光へと歩いていた。

 ももは必死に父と母、そして妹の名前を口にしながら探し回った。

 誰ももものことは見ようとはしない。


「お父さぁぁん!! お母さぁぁぁん!! くるみーーー!!!」


 延々と探し回る中……ももはようやく3人の姿を見つけられた。


「見つけた! みんなどこ行ってたの!? 心配した……よ……」


 ももはくるみの手を掴もうとするが、その手はすり抜けてしまう。

 それどころか、3人はもものことを見ることさえしなかった。


「なんで……?」


 ももは追いかけようとした。

 だが、足元が急にももの足に絡みついてその場から離さない。

 そのまま黒い地面へと引きずり込もうとする。


「このぉ……っ、離してよ……っ!! ……みんなぁぁ!! 置いてかないで!  わたしを……1人にしないでよぉ!」


 ももは足掻く。

 だが、もう1歩さえ歩けない。

 遠ざかる家族をももは泣き叫びながら、ただ、待ってと言い続けた。

 すると、くるみが少しだけ立ち止まりももの方へと振り返った。

 その時にはももは黒い地面に飲み込まれかけ、くるみの顔がよく見えなかった。


 だが、ももはくるみが泣きそうな声で一言だけ呟いた、そんな気がした。




『お姉ちゃん…………の…………せ……い……… ………だから……ね? ……さよなら』





 ■■■■■■■■■■■■■■■■■


「っ!?」


 ももは急いで目を開けると、見えたのは白い壁だった。

 日光が差していて思わず手をゆっくりと顔まで持ってくると、手首に管が巻き付けられているのを見て、ここは病院なんだと理解する。


「……あれ……? でも……どうして……」


 ももはここ最近の記憶がよく思い出せなくなってどうしてここにいるのか分からなくなった。


「お父さんとお母さん……くるみは……どこ……? みんな……ど───いっ……たぁ……!?」


 ももは動こうとした時、背中に痛みが迸った。

 何も思い出せないももはそもそも病院にいる理由すら分からないのだ。


「……いたいよ……っ、なにこれ……」


 歯を食いしばって経験したことのない痛みを耐えるももは誰かが来るまでずっと、みんなの名前を呼び続けていた。


 やがて目を覚ましたことが看護婦に発見されると、すぐに医師がももを診察しにやって来た。


「取り敢えず、落ち着いてくださいね。まず……声は出せますか?」


「は、はい……」


「お名前、それと年を聞かせてくれるかな?」


「暁希もも……11歳……です」


「今日の日付は?」


「……分かりません……」


「最後に覚えている日付は?」


「10月28日です……けど、その日のことは……なにも……」


「ここはどこか分かる?」


「病院……」


「私たちは誰か分かる?」


「医者……ですよね」


「最後です。手をゆっくりと曲げてください」


「はい……」


 そこまで質問が終わると、医師は頷いて『よかった』と言い、持ってきた紙に診察結果を書き込んだ。

 その間、ももは不安げに連れそわれてやってきた看護師に視線を向けて尋ねた。


「お父さんとお母さん……くるみ……じゃなくて妹を知りませんか……?」


「……っ」


 看護師の人は目を見開き、そしてすぐにももから視線を反らした。


「先生……」


「…………」


 看護婦の人が医師に目を合わせると、その人も口を噤んだ。その異様な雰囲気はももに不安を募らせるには充分だった。


「どうしたの……ですか……?」


「いや、なんでもないですよ。……ももさん、少し席を外しますね」


 そう医師は言うと、看護婦を残して外へと出ていった。


(なんで……みんな不安そうな顔するの……?)


 管のついていない右手で痛む頭を抑えながら、自分に何があったのか必死に思い出した。


(あの時……わたし、どこにいたの……? 家……違う、どこか……行くってお母さんが……あっ!)


「ゆう……えんち……」


「ももちゃん……なにか思い出したの……?」


 看護婦の人が聞くのも無視してももの頭は記憶を手で掘り起こしていく。


(そうだ……わたし、みんなで遊園地に行ってたんだ……それで、ベンチに座って……座って……)


「うぅ!?」


 急にももの頭が酷く痛んだ。

 狂いそうな痛みだ。

 心臓が握りつぶされそうになりながら、ももは段々とその時のことを思い出して行った。


(爆発……みんなの悲鳴……それから……)



 ───いたいよ……いたいよぉ……


 ───お姉ちゃん……たすけて……




『お姉ちゃん…………の…………せ……い………

………だから……ね? ……さよなら』




 カッとももの目が見開かれ、瞬く間にその瞳からは涙が落ちた。痛みを気にしないかのように……ももは叫んでいた。


「うわああああああああああああああああああああぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁあああーーーーーーーーっっっ!!!!!」


「ももさん、ももさん? どうしたのですか?」


「いやだ……いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!!」


 錯乱状態に陥ったももは既に誰にも止められなかった。


 ……何があったのか。


 ……何をしたのか。


 全てをももは思い出したのだ。



「あ゛あ゛ああああぁぁぁ………ああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁあああーーーーーーーー!!!!!」


 自分がくるみを『殺した』んだと。

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