由莉は納得させました

「ゆ、ゆりちゃんどうしたの? ゆりちゃんをなぐるなんて、そんなの……」


「大丈夫だよ。絶対に避けるから……その代わり、目は閉じるけどね」


 由莉は椅子から立つと少し広い場所に立つとゆっくり目をつぶった。えりかはその行動の意味が分からなかったし、由莉の考えてることが全く理解できなかった。


「ゆりちゃん……なんで、」


「えりかちゃんの不安を無くしてあげるためだよ。今日1日の成果───出せるか分からないけど、やってみる」


 由莉がやろうとしていたのはゾーン状態への自発的突入だ。ゾーンに入る事さえ奇跡に近いのに普通の人には出来るはずがない。

 だが、由莉はそれを分かっててもその扉をこじ開けようとする。


(えりかちゃんともっといたい。えりかちゃんと笑っていたい。えりかちゃんと遊びたい。えりかちゃんと強くなりたい。えりかちゃんの隣に寄り添っていたい。えりかちゃんにもっと教えてあげたい。えりかちゃんが喜んでいる所を見たい。えりかちゃんが……安心出来るようにしたい。そのためなら私はどんな壁だろうと─────、





 越えてやる)


 すべてはえりかのためだ。そして、その莫大な気持ちと覚悟がトリガーとなってその扉は僅かにこじ開けられた。すぐに消えてしまうだろうが、由莉にはその一瞬で問題なかった。


「……来て。私を信じて」


「……分かった。そこまでゆりちゃんが言うなら……っ」


 えりかは覚悟を決めて由莉の前に立つ。由莉が自分の不安をとっぱらおうとしてくれているのだ。えりかは由莉を信頼し、自分の考える絶対に当たる場所───後ろに音もなく回り込むと、予備動作ほぼ0で由莉の後頭部めがけて全力の拳を打ち込んだ。

 今の由莉とえりかの打撃なら、不意打ちでクリーンヒットすれば女の子の頸椎なら軽く折れるくらいの筋力がある。えりかは信頼と不安の境界でどうにかなりそうだったが、由莉の言葉を信じるしかなかった。


 そうして放たれた拳が銃弾の如く由莉の後頭部を撃ち抜こうとしたその数瞬、由莉は来るのを分かっていたように首を僅かに動かして擦ることも許さず回避した。そして、よほど不安を打ち消すようにして強く殴ろうとしたのだろうか、空振りしてしまったえりかは前につんのめりそうになるも、サッと身を翻した由莉がそれを力強く抱きとめた。

 そして、その一瞬にうっすらと見えた由莉の瞳にえりかは未だかつて無いほどに震えた。直感せざるを得なかった。


 ───このゆりちゃんには……かてない


 えりかはもう一度確かめようと由莉の事を見たが、その時には既に普通の由莉へと戻っていた。


「……ふぅ、たまたまだけど入れたよ……」


「ゆりちゃん……今のは…………?」


「ん〜……ごめん。こればかりは音湖さんからも内緒にするようにって言われてるんだよ……。でも、これで信じてくれるかな?」


 内心は賭けに近かった。だが、納得させるにはこれ以外の選択肢がなかった。今回は偶然入れたが、これに頼ってるようではいけない。そんな思いを由莉は一層強めた。


 結果としては、由莉の行動はえりかを納得させるには充分だった。えりかはどうやったのかが気になる所だったが、それでも……音湖の練習が間違いなく由莉を成長させることは火を見るより明らかだった。えりかは由莉の顔を見てしっかりと頷いた。


「うんっ。今のゆりちゃんを見てわたしも安心したよ」


「ありがとっ、えりかちゃん。……そう言えば、音湖さん大丈夫かな?」


「あくつさん、すごいいきおいでつれていったからね……」


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「あっくん、手を離してにゃ……っ、そんな強く引っ張られると痛いにゃ…………!」


 部屋の外まで強引に連れてこられた音湖はやっと阿久津の手を振り払うと、じっと睨んだ。阿久津も同じような様子だった。


「ねこ、気が変わりました。由莉さんに何を学ばせようとしているのか教えなさい」


「うーん……どうせなら2週間後とかにでもあっくんやえりかちゃんと戦えるようになれればと思ってるんだにゃ。対策を考えられてもなんだからその時のお楽しみではだめかにゃ?」


 音湖の呑気だとも聞こえる発言に阿久津は一抹の焦りと不安を抱かずにはいられなかった。


「……いつ、えりかさんが変わるか分からないんですよ? 聞く限りだととても追いつけさせられるとは思えないんですが」


「心配しなくても、由莉ちゃんは強くなるにゃ。あっくんが鍛えてくれてたみたいだから、身のこなしと瞬発力は相当なキレがあるにゃ。それに……今日、うちは由莉ちゃんに一撃加えられたって言えば分かってもらえるかにゃ?」


「っ、……それは驚きました。まだ由莉さんではねこには届かない可能性が高いと考えていましたが……」


 たとえ、初弟子で実力を見る戦闘とは言え、むざむざ攻撃を喰らうような事は音湖は絶対しないというのは阿久津も何となくは分かっていた。だからこそ、逆にこの1日で何をしたのかも聞きたくなってしまうが、そこはこれ以上は音湖は口を割らないと察して聞くのをやめた。


「2週間……いや、3週間欲しいにゃ。由莉ちゃんの力を引き出すなら恐らくそれくらいはかかるにゃ」


「……分かりました。ねこと、ねこを信じた由莉さんを信じましょう。……くれぐれもお願いしますよ?」


「可愛い子達のためにゃ。うちだって頑張らせてもらうにゃ」


 阿久津に認められた嬉しみも少し込みで音湖は覚悟を伴った目で阿久津から大事な弟子を1人、一任されることとなったのだ。


 2人が由莉とえりかの元へと戻ると、急に由莉の事を信じると言ったえりかに少しだけ驚きを見せつつも、とりあえず今日はここまでと言うことで、それぞれ部屋へと戻ると由莉とえりかはそのまま倒れるようにベットに身を投げると、お互いの足と手の指を絡ませあいながら眠りについたのだった───

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