由莉は2人目の師匠の弟子になりました
―――そして翌日
由莉とえりかはいつも通り起きて、走り込みと筋力トレーニングをして拳銃やライフルの射撃訓練を午前中の間に全てこなしてみせた。
「ふぅ……えりかちゃん、狙撃が上手になってきたね、嬉しいなぁ」
「えへへ、ゆりちゃんに比べたらわたしなんてまだまだだよ。でも、前よりもぜったいに『あの子』はわたしに応えてくれるようになった、そんな気がするよっ」
昼の休憩がてら、ペットボトルに入った常温水を飲みながら2人はそんな話をしていた。えりかの成長は少しずつではあるが、それでも確実に実力をつけていることは由莉にも分かる。後は、どんな時でも当てられるだけの冷静さを鍛えればもしかしたら―――
(でも、私も負けるわけにはいかないよ。えりかちゃんの師匠としてもだけど、私の本当の役割はスナイパーなんだから、ね!)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そうして話していると阿久津と音湖が階段から降りてくる音が聞こえた2人は急いで出迎えた。
「音湖さん、よろしくおねがいします!」
「にゃ、よろしくにゃ、えりかちゃん」
「…………」
元気な由莉とは対極的にえりかはぷいっとそっぽを向いていた。必要な時以外は話したくないという意思表示だろう。
「さて、由莉ちゃんに練習させる前に2人に見てもらいたい物があるにゃ。……あっくん」
「こうしてやるのも何年ぶりですかね。暫く仕事もやってないねこは鈍ってるんじゃないですか?」
「にゃはは、うちを馬鹿にするのかにゃ? そう簡単に負けるのも正直癪だし、初弟子の前で負けるのは真っ平だから勝たせてもらうにゃ」
「ほざきますね、いいでしょう……本気でやりますか」
2人は模擬戦用のナイフを右手で持つとお互いに背中を合わせた。見た事のない形に由莉もえりかもどうなるのかと離れた所から固唾を飲んで見守っている。
……
…………
戦闘は不意に始まった。阿久津は一切の容赦のない中段回し蹴りを振り向きざまにねじ込むが、音湖は振り向きもせずしゃがんで回避する。
空ぶったタイミングで音湖は阿久津が両足を着く直前に背後に回り込むと背骨のど真ん中にナイフを突き立てようとする。だが、それは阿久津が音湖の手首を右手で鞭のようにしならせて弾いて軌道を完全にそらした。
瞬きすら忘れさせるような攻撃の鎖に由莉もえりかもガッチガチに縛られ眼球が乾くのも忘れてしまった。会話するのさえも忘れてしまった。
(速い……これが、阿久津さんと音湖さん……)
(つよい……わたしが見てもすぐに分かる……)
そうしている間にも音湖の形勢がだんだんと悪くなっていき、一旦状況をリセットするために音湖は思いっきり距離をとった。
「あっくん、まーた強くなってる気がするんだけどにゃ」
「ねこが弱くなったのでは?」
「にゃはっ、女の子を怒らせると怖いにゃんよ?」
「知ってますよ、由莉さんとえりかさんが同時にぶちきれられたら勝てる確証はないですよ。……あ、ねこも女でしたね」
「……」
「…………」
相手を小馬鹿にするような阿久津の発言に音湖のこめかみがピクっと動き青筋が浮かんでいるのが見えそうなくらいキレてるのが2人にはすぐに分かった。何より、阿久津の煽り方がここまで腹立つものなのかと他人の由莉とえりかでさえ腹が立った。
「……あっくん、そろそろうちもキレそうにゃ。死んでも知らないにゃんよ? 1度、うちを完全にキレさせて殺されかけたのを忘れたとは言わせないにゃ」
「あーそうでしたね。舐めてかかってボコボコにされましたっけ。……それでもねこの勝率2割……」
「うん、わかったにゃ。本気でぶっ殺されたいようにゃんねっ!!!」
音湖はたっぷりの笑顔を…………殺意たっぷりの笑顔を振りまきながら阿久津へとさっきとは比べ物にならない速さで飛びかかっていった。
由莉とえりかの考えることは……同じだった。
―――そりゃあ、音湖さんも……
―――さすがに、ねこさんも……
――――――怒るよね…………
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「こうやって本気でやるのも本当に久しかったですね、ねこ」
「…………それ、この状況で言うのかにゃ?」
ナイフを首に添えていたのは……音湖だった。由莉が舌を巻く速さを生かして、阿久津をほんの一瞬だじろかせた隙に一気に懐へと入り、ナイフを当てたのだ。
由莉は目を輝かせずにはいられなかった。音湖の動きがとてつもなくトリッキーで一挙一動が最後まで読み切れなかった。
「全く……可愛い弟子の前でいい顔が出来たからいいけどにゃ。さて、どうだったにゃ、由莉ちゃん?」
「すごかったです! 阿久津さんに勝っちゃうなんて……!」
「まぁ、それでも勝てるのは5回に1回程度だけど、にゃ」
若干、自嘲気味に笑いながらナイフを手の上で回す音湖が由莉は心の底から頼んで正解だったと嬉しく思った。そして、えりかも悔しながらにその実力を認めるしかなかった。
「さて、由莉ちゃん。早速だけど練習を始めるにゃ。ただし、やるのは……」
目をキラキラさせている由莉の予想を裏切るように音湖は人差し指を上の天井を指した。
「外で……だにゃ」
「……外……ですか?」
「ここは確かに設備は揃ってるにゃ。……いや、ここ以上はこの国には存在しないと断言するにゃ。けどにゃ、別の視点からじゃないと分からないこともある、それをこれから由莉ちゃんには見せてあげるにゃ。……ついてくるにゃ」
意味ありげに呟いた音湖は由莉をチラッと見てから階段の方へと向かう。それについて行く前に、由莉はえりかの側に行った。
「じゃあ、えりかちゃん。私、頑張るからね?」
「うんっ。……もし、いやな事をされたりしたら言ってね?」
「心配しないでも大丈夫だよっ。じゃあ、またね!」
えりかに手を振ると由莉は振り返って音湖の元へと駆けていった。
その様子をえりかと阿久津はぼんやりと階段を叩く音と共に眺めていた。
「……あくつさん」
「なんでしょうか」
「どうして、ねこさんをあんなにばかにするのですか? あんな事を言われたら……わたしもああなっちゃうと思います」
「いいんですよ、あれはああしないと私に本気を出せないみたいなので。……ねことの勝率は8割ですが……完全に容赦のないねことはまだ5割も勝ててないんですよ?」
「え……っ?」
それはつまるところ……音湖と阿久津が完全に同格、いや、音湖に分があると言うことだった。その事実にえりかも思わず言葉を失った。
「どうして……なんでしょうか?」
「それは私にも分かりませんね……さて、えりかさんもやりましょうか」
「……はい」
音湖の思いには気づかない阿久津だったが、浮かない返事をしたえりかの思いは何となくだが、分かってしまった。
「心配……ですか?」
「ちがう……なんていえばうそになります……でも、分かってはいてもやっぱり……」
由莉を殺されそうにみえたところを2回も見ているえりかは音湖がどうであろうと、不安を拭いきれなかった。そんなえりかの不安を和らげてあげるように阿久津は優しく頭に手を置いた。
「ねこは……馬鹿です。筋金入りの馬鹿ですが、それでも仲間のためにならない事はしないのがねこです。信じなくてもいいですが、知っておいてくださいね」
「わかり……ました…………」
阿久津が言うのであれば、音湖に任せてみようとえりかは一度考えをすっきりさせると、阿久津との練習に臨むのであった。
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