音湖の苦しみ

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「ぐぅ……っ、数年ぶりに……当たっちゃったかにゃ。痛すぎるにゃ……本当に……」


 音湖は後ろからえりかの銃弾を浴びて血が流れ出てきたが……それ以上に痛かった。痛くて痛くてどうしようもなかった。


 ―――ぜったいに……ぜったいに!! 殺してやる!!! わたしの手で、ぜったいにねこさんを撃ち殺してやる!!!


 えりかの叫び声が響き渡った後も……あの痛切な叫びと共に込められた殺意が頭の奥底にこべりついて離れないのだ。それに加え……あの時の、由莉の絶望を体現したかのような表情が……被弾した痛みよりも遥かに激しく自身の首を絞めていた。


(なんでにゃ……こんな痛み、うちは知らないにゃ……っ、ずっと暗い世界で殺すことしか考えてなかった、死んでも別にいいし、銃弾を受けたことだって何回もある。死にかけたこともある、なのに……そのどれよりも……)


「いたい、にゃ……」


 たかが肩に被弾したくらい何回もある音湖はその痛みの元凶が分からない。なにを以てここまで自分が苦しんでいるのか分からない。身体も重くてもし、今からえりか……由莉でも登ってこられたら間違いなく追いつかれると思っていても身体が言うことを聞かないのだ。


「くるしい、にゃ……」


 ポタリ……ポタリと血が階段の段に垂れているのがはっきりと分かる。真っ赤な血が……鈍く不気味に光る銀の階段に落ちていく。


「どうして、にゃ……」


 被弾した部分はもう痛みすら感じないはずなのに……痛すぎる。上りながら考えているうちに音湖は心が痛がっている事に気がついた。よく考えれば……音湖がここまで他人と関わりをもったのは何気に初めてだったのだ。阿久津に思いを寄せつつも、もう関わることなんて今後滅多にないとひっそりと店をしていた音湖の前に突如として現われた阿久津と小さくて可愛らしい少女たち。


「もしかして………」


 最初はそれだけのイメージだった。だが、阿久津自ら会いに来てくれた事が音湖の白黒な……いや、赤色しか映らない人生にほんの少しだけ色がついた、そう思っていた音湖は由莉とえりかが半強制的に連れ出したことで……今までの人生をすべて合わせても全く足りないくらいの幸せを感じた……感じてしまったのだ。


「…………だから……こんなにも胸が苦しいのかにゃ」


 そんな2人……由莉にはもう何も信頼されなくなり、えりかに至っては自分を殺そうとしている、その事実が……音湖には痛くて辛くてどうしようもなくて…………


「……やらなきゃ良かったかもにゃ」


 音湖は……自分に明るい場所を見せてくれた2人という存在を……失ってしまった。気づくには……もう遅すぎたのだ。今から戻ってえりかや由莉にズタズタに殺されるのも悪くもない、そうも思っていた。


 ―――そもそも、なんでうちはあの場から逃げたにゃ……


 そんな事を考えつつ階段を上りきった音湖は扉を開けると……阿久津が目の前で待っていた。


「…………」


 音湖はもう阿久津のことすら呼べなくなっていた。えりかが言った……『名前をかるがるしく口にするな』がえりかの事だけじゃない、由莉と阿久津を呼ぶのでさえするなと言っているように今となっては思うのだ。


「……見せてください」


 そして、なぜか……阿久津の手には治療セットがあった。だが、音湖は素直に見せようとしなかった。後ろに赤い後が何滴も垂れててバレバレなのに頑なに首を振って拒んだ。もう……呪いがかかったように音湖は口から声が出なくなっていた。出したくても出せない、面と向かって話す価値すらないと出ていこうとする音湖の左肩を、阿久津は敢えて強く掴んでそのまま押し倒した。


「見苦しいぞ、ねこ。黙って言うことを聞け」


「…………っ」


 もう、音湖にそれに抗うだけの力は残っていなかった。心なしか……顔も青ざめていた。多量の血液を失った影響で出血性ショックを起こしかけていたのだ。


「馬鹿ですか? 一体何をすればこんな怪我を負うのですか。……すぐに弾を取って止血して輸血するので待ってください。下手すれば命に関わるかもしれません」


「もう……いやにゃ……あっくんでもいいから……うちを殺すにゃ。……辛いにゃ」


「馬鹿なこと言ってると本当に殺しますよ」


 音湖を仰向けにして衣服を引きちぎると……音湖の左肩に真っ赤な花のようにして皮膚を引き裂き、弾が見えない所までめり込んでいた。致命傷ではないがそれでも出血させるには充分な箇所に被弾していた。


「……今から取るんでタオルを口に加えていてください。痛みでショック死でもしたら一生許しませんからね」


「……っ!? んんんんんーーー!!!」


 肉を強引に引き裂いてピンセットで銃弾を取り除くと、言われるがままにしていた音湖がえも言われないくらいに絶叫していた。そうして金色のメッキが剥がれ落ちた銀色の弾を取り出した瞬間に、更に血が流れだそうとしているのを見た阿久津はすぐさまXSTAT-30と呼ばれるスポンジ性止血剤を消毒と同時に幹部にねじ込んだ。


「はぁ、はぁ、はぁ…………っ、ぐぅ……!」


「弾は取りましたし、止血もしました。後は……輸血しましょう、ねこでもここまで登ってくるまでに相当の血を出したでしょう。いつまで持つか分からないので早く腕を出してください」


「いいから……早く、殺してにゃ……っ。もう疲れたにゃ、はやく……ぶっ!?」


 音湖は手当てなんてして欲しくはなかった。苦しくて苦しくて……もう阿久津の手で楽になりたかった、大好きな人の手で死ねるなら本望だと言おうとした音湖は阿久津に思いっきりぶたれた。


「いい加減にしろよ! いつまでもガキみたいに強情張ってるくらいなら黙ってろ!」


「な、んで……そこまでするにゃ」


「……分かってましたよ、ねこがしたい事なんて。あぁ、くそっ……違う血液製剤だ……少し待っててください!」


 いらだちを隠しきれない阿久津は急いで立つと、韋駄天の如く速さで家の中に戻っていくのを音湖は動けない体で見ていた。


(どういうこと……にゃ。うちがする事を分かってた? そんな訳ないにゃ、だったら……あっくんは止めるにゃ。もしくは……その前にうちを殺すにゃ。有り得ないにゃ……)


 そんな事を考えているうちに阿久津は少しパックの色が黄色の血液製剤を持ってきた。……いや、そもそもこの行動自体がおかしかったのだ。


「うちは……AB型のRh+だにゃ……Rh-だったならともかく……どの型の血液製剤でも当てはまるのに……何のために別の袋を持ってきたにゃ」


「黙ってください。今から少し集中するので」


 阿久津は急いで血液製剤と針を結合させ手筈を整えると音湖の動脈に的確に針を刺して輸血を始めた。治療を始めてからここまでくるのに……5分もかからなかった。阿久津だからこそ出来る応急処置の速度だった。


「ふぅ……これで危険はないです。じゃあ、聞かせて貰いましょうか。ねこが何をしてえりかさんに撃たれたのか」


「っ! ……ハッタリだったのかにゃ?」


「そう言えば、ねこは気を失ったりしないでしょうからね。さて、すべて話してください」


 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


「―――これが……全部にゃ。……うちにしか出来ないと思ったにゃ。由莉ちゃんの謎を……確かめられるのは……まだ知り合って日が浅いうちだけだって……」


「…………」


 音湖から聞かされた情報に阿久津は目を見開いた。これが真実なら……相当な事になる、そんな事が頭をよぎった。


「冗談みたいに思うにゃ? けど……本当だにゃ。それに……あの、由莉ちゃんは……今のうちでも……あっくんでも何回戦っても100%負けるにゃ」


「まさか……そんなことが……なら、早く由莉さんとえりかさんに伝えないと、ねこが……今後、命を狙われる事になりますよ?」


 安静にしている音湖を置いて由莉達にこの事を話そうと地下に向かおうとした阿久津を音湖はやめるように言った。


「そうにゃ。それで……いいんだにゃ」


「とうとう頭まで狂いましたか。人に好き好んで嫌われるなんて趣味が悪すぎますよ」


「……あっくん、聞いて欲しいにゃ」


 無理やりにでも行こうとする阿久津に音湖は自分がこうした訳を話した。


「人を成長させるのはなにも……いい事だけじゃないにゃ。復讐心で伸ばすことだって可能だにゃ。……いや、成長の速さは後者が遥かに早いにゃ」


「本気で言ってるのですか」


「……こじつけに決まってるにゃ。けど……こんな事、今さら話した所で由莉ちゃんはともかく、あの子は認めないだろうし、うちを殺そうとし続けるにゃ」


 音湖は……もうえりかの名前を言うのを完全に避けてしまっていた。えりかが由莉の事を……究極論、由莉が世界の全てであるえりかは音湖に由莉が殺されようとする姿を目の前で見ている。それで謝った所でえりかは何としてでも殺そうとすることは自身も分かっていた。


「目的は……2人とも同じ方が……伸びるにゃ」


「ねこ……本当に大馬鹿ですか。むかしっから馬鹿だとは思ってましたが馬鹿にも程がありますよ」


「馬鹿馬鹿うっさいにゃ……でも、それ以外に方法がないにゃ」


 阿久津も音湖も意見が完全に対抗していた。何だかんだ、まが合わないのは昔と同じだった。


「はぁ……ねこ、由莉さんがここまで本気になってねこにまで助けを呼んだのは全てえりかさんを助ける為です。ねこはこの考えを甘いって思っていたでしょうが……今、もう一度同じ事が言えますか」


「……分からないにゃ。うちが信じていたものが何もかも分からなくなったにゃ」


 助けるなんて甘い……本当にそうなのか? 自分が人と関わった事がなかったから言えることなのじゃないのか。1人がいい……そんなものなのか?

 ―――と、持っていたセオリーが音を立てて崩れ去り………今の音湖はただの人の形をして、話せて、人を殺せる『人形』と言った方がいいのかもしれない。


 何も残ってないのだ……何も。


 ★★★★★★★★★★★★★★★★


「さて、そろそろ終わりますかね」


 幾許かの時が過ぎ。血液製剤がなくなったのを確認した阿久津は針を抜き、ガーゼをしっかりと当てて、応急処置は済ませた。


「……あっくん、教えてにゃ。その製剤はなんなのにゃ」


「では話しましょうか。これは……ねこから前に貰った血と私の血、そしてマスターの血が入っていて……」


「…………」


 そんな特別なものをうちなんかに使っても良かったのか……なんて音湖はうっすら思ったが、次の瞬間、まさかの事実を阿久津から聞かされる。


「『由莉さんの血とえりかさんの血』、計5人の血液だけで出来た製剤ですよ」

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