由莉の強さ

「はぁ……はぁ……っ、阿久津さん、今まで体術無しでやっていたんですか?」


「そうですよ。2つを同時に教えると混乱する危険があったので、ナイフ術がある程度身についてから教えようと思っていたのですが……先日、ナイフ術だけの私に由莉さんが勝ってしまったのでそろそろいいかと思ったんですよ」


 結論から言うと……体術ありの阿久津は今までと別格だった。やっと追いついたと思ったら、全然遠すぎる所にいるんだ……と、由莉はたまらなく悔しい思いでいた。


 ―――…………強すぎる。勝てる気が全くしないよ。でも……っ、こんな所で負けてたら……!


「……だめなんだ……っ! こんな所で立ち止まってたら、えりかちゃんを助けることなんて出来ない……! 阿久津さん、もう1回お願いします!」


「粘りますね? 無理して体を壊してはいけませんよ?」


 阿久津はそうは言ってはみるものの、止まる気配が無いのはすぐ分かった。由莉が誰かのためになると手段は選ばないのは周知の事実であったから……。それに、今の由莉の瞳はいい目をしている。

 闘志に燃えつつ、かつ冷静に、肩の力も抜けていて隙があまりない。この何ヶ月かでここまで本当に成長したと、阿久津は初めての教え子の成長を密かに感動していた。


「……無理しますよ。やらなきゃ……もう、大切な人を目の前で失うのはいやだ………あれ? また私……何を言って…………」


 まただ……また変な事を言った…………。1回、2回ならまだしも……これで3回目、いよいよ何かが変なのは明らかだ。だが……この全3回全ての場合で一切の余裕がない状況下で零してしまうのだから、考えようにも考えられないのだ。

 今はえりかを助ける事だけに集中したいと由莉はその事を頭の片隅に追いやると、気を取り直して阿久津と向き合った。


「由莉さん、どうしましたか?」


「いえっ、なんでもないです! じゃあ……よろしくお願いしま……す!」


 礼するふりをして不意打ちを仕掛ける由莉だったが、難なく阿久津に捌かれてしまう。


「おっと……不意打ちとは由莉さんも少しずる賢くなりましたか?」


「もともとです……よっ。負けたくないですし」


 阿久津のペースに誘われないよう、ナイフでの突きに加え、足払いや左手での急所への打撃を次々に仕掛けるも、足枷のなくなった阿久津はそれすらも涼し気な表情で躱していく。


「意外ですね。ふふっ、そんな所も似ている……」


「……? 喋っていると集中が乱れません……か!」


 今度は阿久津に腕を掴まれないように、攻撃と同時に掴もうとした手を片方の腕で弾き飛ばす防御まで由莉はこなしてみせた。


「生憎と……戦いながら話すのは慣れたんですよね。っと、由莉さん……左手の使い方が前から思ってたのですが、上手ですね」


「そうなのですか? あま……りっ! 気にしたことはなかったですけ……ど!」


 由莉は割と動きながら話すのは少し辛いようだったが、それを他所に阿久津は平然としたままいつも通りの口調で戦っていることに、由莉は既に負けた感じがして少し嫌だった。


「そう言えば、まだ聞いてませんでしたね。由莉さん、利き手どっちですか? っと、ゆっくり話したいので、終わらせますかね」


「利き手……って、ひゃ!?」


 少しだけ大事なことかもしれないと思った阿久津はやや防戦から一気に全力への攻勢へと出たことで、由莉は対応しきれずそのまま倒され、ナイフを持っている腕と首を固められてしまった。

 阿久津の太い腕が由莉の細い首を絡めとり、生命維持のための空気が一切吸えなくなってしまう。


「あ……くつ……さん、こうさん……くび…がっ」


「あっ、ついやり過ぎてしまいました……」


「本当に……こほっ、折れるかと思いましたよ!」


 普段以上の力を入れられて、窒息しかけた由莉はうっかり死んじゃうのではと肝が冷え、少し頬を膨らませながら阿久津に怒ると、阿久津自身も少しシュンとした。が、すぐに阿久津は十八番のスルースキルで本題へと話を移した。


「すみません……。それで、さっきの続きを話しましょう。……由莉さん、利き手は右手ですか? 左手ですか?」


「……利き手……利き手です……か。ええっと……箸を使う時も銃の引き金を引く時も右手ですけど……そういう事ですか?」


 利き手と言われても由莉は気にもしたことがなかったので、とりあえずいつも使っている方の手を言うと、阿久津がこれまた神妙そうな顔ぶりをしていた。


「そうですね……では、ナイフを『左手』に持ち変えて、さっきまでと同じ動きを逆でやってみてください」


「……やってみます」


 由莉は不思議そうにナイフを左手に持ち替えて、深く息を整えると試すように初めはゆっくり動いてみた。

 阿久津もしっかりと見据えるようにして由莉の動きにしっかり合わせていった。

 少しぎこちなくて、右手の時と比べると赤ちゃんが手をバタバタさせているようで、右と同じ動きをしようとすればするほど動きも何もかも雑になってしまった。


「……? おかしいですね……由莉さん、力を入れすぎてませんか?」


「右と同じ……ようには行きませんよ……。あれ? だったら……合わせようとしなければいいんですかね……? すみません、阿久津さん……もう1回いいですか?」


「ええ、構いませんよ」


 由莉が出した結論は単純に動きを意識するあまり、乱れてしまったということだ。それならば、合わせるのをやめて左手で攻撃する意識だけ持ってもう一度、阿久津へ攻撃を仕掛ける。由莉の一番の武器は瞬間的なスピードにあると自身も感じていたから、自分が最も得意として、かつ、初見では見破られない自信のある技の左右対称バージョンを撃ち込んでみた。

 阿久津も今までに見た事の無い由莉の動きに動きが一瞬遅れるも何とかそのナイフを受けてみせた。


「……っ! 由莉さんのその動き、何度やってもあんまり慣れませんね……本当にあと数瞬遅れていたらやられてましたよ」


「うぅ、当てるつもりだったんですよ?」


「そう簡単に師匠が負けたらそれこそ、私の立つ場所がなくなりますよ? それに……今ので確信しました」


 あの動き、あのスピード、あの振り上げたナイフの速度、どれをとっても右の時と比べても遜色はなかった。それで阿久津は確信を持った。




「由莉さん、あなたは間違いなく両利きです。以前にいつも何かを両手操作していた。……概ねパソコンを打っていたのでしょう。違いますか?」


「っ!!」


 阿久津はどこまで自分のことを読んでいるのかと言いたくなるほどに由莉には完全に心当たりがあった。


 ゲーマー時代、由莉は常日頃から両手の指10本を動かさなければなかった。だからこそ、集中的に使うことの多い右手を休める時間を作ろうと、3ヶ月かけてキーボードを左でも叩けるようにしたのだった。


 ―――由莉自身も、それが両利きなのだとようやく知った。


「はい……でも、両利きだと戦闘でいいことがあるんですか?」


「中途半端な両利きでは……重心を崩しかねないのであんまり良くはありませんが、完全な両利きの場合、右の動きと左の動きが両方出来ると色んな場面で役に立ちますよ。そもそも左利きの人が右利きより少ないので、経験的にもかなり強みになります」


「そうなのですか……でも、今から左手でナイフを扱う練習しても中途半端な状態でえりかちゃんと……戦いたくないので、万が一の状況で使えるくらいにしようと思います」


「それでいいと思います。2つを極めるのは時間もかかりますし、色々と終わってからにしましょうか…………と、そろそろ1時間経ちますね。えりかさんを呼んできましょうか」


 由莉は頷くと鞘にナイフをしまって、1時間も一人きりのえりかの元へと早く行きたいと急いで駆けていった。

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