えりかの異変

「ひゃははははっ! どうしたどうしたァ!!」


「ぅ……っ」


 迫る拳をえりかはほぼ本能だけで避けていた。自分でも、その速さに追いつききれず制御出来なかった。


(どうしよう、どうしよう……っ。わたし、素手で戦ったことなんてないのに……!)


 えりかは……はっきり言ってしまえば甘く見すぎていた。戦いというものを、殺し合いというものを―――――


 だからこそ、えりかは現在進行形で絶望的な戦闘を強いられていた。


「ひゃははっ、避けてばっかじゃつまらねぇぞ、おい!!」


「っ!!」


 ―――でも、気を抜いたら……1回でも当たれば、わたしは気を失う。そして…………



 ころされる



 えりかには何となくだけど分かった。今、自分が向かい合ってるこの男達の人は……本当に人を殺った事があるんだと。


 だから、1回でも攻撃を当てられるわけには行かなかった。それは即ち…………死だから。


 ―――だから…………避けるしかない!!


 脇腹を抉るように繰り出されるフックパンチを危なげに回避すると、続けざまに回し蹴りが空気を唸らせて飛んでくる。

 それを手をクロスにして受け止めるも衝撃で後ろへ跳ね飛ばされた。


「うっ……!」


 尻餅を付く寸前で地面に手をついて横に転がるようにして体勢を立て直すと、元いた地面に狂人が奇声を発しながら突き出されたメリケンが地面を砕いた。


 ―――このままじゃ……もうあまり長くない。でも……まだあの子がにげられるだけの時間を作ってあげられてない……だから、もう少しだけ…………っ!?



 下手な思考は時に判断力を鈍らせ、反応をほんの一瞬遅らせる。だが、それが……


『この世界では命取りとなる』


 考え込みすぎたえりかは目の前にメリケンが飛んでくるその瞬間まで反応する事が出来なかった。


 咄嗟に反応するもえりかの頬をメリケンの尖った部分が薄く切り裂き、その流れで繰り出されたエルボーがえりかのお腹に入った。


「かはっ………! いき、が…………」


 えりかは四、五歩ほど後ろへとよろめくと足の力が抜け倒れてしまった。


 お腹の痛みが全身を蝕み、息も出来ない。一気に死が近づいたのをえりかは感じていた。


(はぁ、はぁ…はあ…………痛い……いたいよ…………でも、まだ……もう少しだけ……っ)


 それでも、えりかは諦めなかった。もう、負けが決定的な今でも、生きるために何とか立ち上がろうとするが、ふと地面に赤い『何か』が垂れているのが見え頬に手を触れてみると……自分の『血』がべっとりと付いていた。




 その瞬間、えりかの中で……何かが動き出した。



(いやだ……いやだ、嫌だ、嫌だ!! まだ死にたくない、ゆりちゃんと約束したのに……ゆりちゃんと……ゆりちゃんと…………ずっと一緒にいるってっ! だから、生きなきゃ……生きないと……生きなきゃだめなんだ、生きるんだ、どうすれば生きれる? どうすれば、どうやって、どんなふうに、どのくらい……わたしはやればいい? わかってるはずだよ、わたしなら。生きるためには、そうするしかない、うん、わかってる。だったらやるしかない、やらなきゃいけない、やるべきなんだ、やって、やって、やってやってやってやってヤッテヤッテヤッテヤッテヤッテヤッテ殺って殺って殺って殺って殺って殺って殺って!!)



 頭を貫く激しい痛みも気にしないようにえりかはふらりと立ち上がる。血が頬を滴り、首元を伝う。肩の力も入っておらず、足もまっすぐに立てていない。


「そろそろ、甚振るのもほどほどにして……一思いに殺してやるよぉ!」


 そんな少女に向かって狂人の男は容赦なくえりかの顔面にメリケンを突き出す。そんな行動をえりかは避けなかった。まっすぐ、一直線に、寸分の狂いなく、えりかの顔面ど真ん中に向けて振り払われたその拳は…………





 えりかには届くことはなかった。


 届く直前、手をすり抜けるように横に回ると手首と腕の関節を掴み、右足で腕の中心を膝で蹴り上げると……腕が小枝を折るような音を立ててあらぬ方向へと曲がった。少女では決して出来るはずもないのに、大人の……ましてや男の腕の骨を容易く真っ二つに割った。


「な゛っ!? このガキぃ……っ!何をしやがったぁぁぁぁぁぁぁあーーー!!!」


 絶叫しながら、目を血走らせながら睨む男をえりかは…………ごみを見るような目で見ながら……笑っていた。


「ふふっ、あははっ、どうしたの? そんな大きい声出して。……あっ、さっき殺すって言ったよね? だからね」


 その顔には……いつものえりかの表情なんて存在していなかった。…………いや、もはや今のえりかは本当に『えりか』なのだろうか? 口元は笑いながらも、目は虚ろで、目の前にいるもの全てを食い潰すプレデターのような莫大な、巨大な、膨大な殺意の塊をその男に押し当てていた。


「殺してあげるねっ」


 ニッコリと笑いながらゆっくり近づく、えりか……らしき人物を見た男は分が悪いと察知し尻尾を巻いて逃げ出そうとした。だが……


「……逃げないでよ。まだ終わってないよ?」


 それに軽々と追いつくと足を思いっきり払ってうつ伏せにするとそのまま大きく跳躍する。男の背骨を狙って下駄のつま先を自分の全体重を乗せて突き出すと、ゴキっと鳴ってはいけないような音が辺りに鳴り響いた。


「うがぁ……っ! てめぇ……!」


「なに? ふふっ、痛いよね? 腕と背骨を砕いたんだから、もう動けないよね?」


 男の顔の前に行き、しゃがみながらそう言うえりかに男も流石に恐怖を感じた。


「じゃあ、もう殺してあげるね。さよなら」


 えりかは男の頭の横に立つと足を振り上げた。蹴った勢いで首の骨を折るつもりだった。


 ―――殺す、殺す殺す! ころ……す…………? っ!?だめ、それはだ、め……! 殺しちゃったら……ダメだ……っ


 そうして、足を振り抜く直前、えりかは自分の意識を取り戻した。……いや、奪い返したと言った方がいいのかもしれない。

 そして、落ち着いて今の状況を見た時、えりかはショックで声が出なかった。


 ―――え……っ? これをわたしが……やったの? こんな……事を…………っ


 危ない状況で頭がおかしくなっていたのかもしれないが、いくら何でも酷すぎる、と言うのがえりの率直な思いだった。


(確かに……死にたくなかった。生きたかった。ゆりちゃんとの約束を破りたくなかった。けど……どうしてこうなったの……?)


 今のえりかには周囲の音は一切聞こえてこなかった。ただ、今、目の前の現実を受け止めることで精一杯だった――――


「えりか、ちゃん…………?」


 後ろからやってきた一番大切な人の声も聞こえないくらいに。

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