episode10-4
青く澄み渡る海の上を、漆黒の体を持つ竜人が飛んでいた。
その両腕には、二つの人型が引っ提げられている。
〈よりにもよって、なんでこんな運び方なんですか!〉
鋼の鎧を来た椿姫が叫ぶ。
鎧は背中の丁度いい部分に手を突っ込まれているだけ。
海面ギリギリを飛んでいるせいで、偶に機械の足が接触して水飛沫が飛ぶ。
「すまないな。なんだったら安全紐代わりに尻尾を掴むか?」
〈生々しいので遠慮しておきます〉
「尻尾って、掴まれると痛いのよね」
〈え、クロエさん、尻尾あるんですか?〉
「あるわよ、そりゃ。ヒトと竜の子なんだし」
〈そんな当然のように言われましても……〉
と、椿姫が困惑したと同時に。
「雑談している暇はなさそうだぞ」
〈何、熱源が増えていく? 数は二〇、三〇、四〇!?〉
敵に動きが起こり始めた。
白い樹の表面から、生えるように異形が生み落とされていく。
鳥やカマキリ、コウモリのような姿をした異形がどんどん増える。
異形たちの肉体は塩の塊のように白く、生命体とは思えなかった。
それらは明確な敵意と殺意を以って、竜人たちに向かって飛んでくる。
〈まるで幻獣の生産工場みたいですね……〉
「お父様、私たちの出番ですね」
「そうだな」
竜とその子どもの瞳が煌々と輝いた。
その瞬間、閃光が奔り、異形の群れに大きな孔が開いた。
「あの孔を突っ切って、中に入るぞ!」
「振り落とされないようにね!」
〈そんな事を言われても……!?〉
先程までとは一線を画す速さだった。
椿姫は今までに感じた事のない加速に、声を殺して耐えた。
あまりの加速に、椿姫は視界の全てが引き延ばされて見える。
ただ、孔を突っ切るほんの一瞬、異形と目があったような気がした。
人形のように無機質で冷たい瞳に、椿姫は背筋が凍る感覚を覚えた。
白い樹に近づくと、おあつらえ向きの扉が開いていた。
中は建物のようになっていて、上へ続く螺旋の階段が見える。
不思議なことに陽が差していないはずなのに、外と同じくらい明るい。
アリシアたちが言っていた場所なのだろうが、果たして入るべきなのか。
いや、迷っている時間などない。
「他に入れそうな場所はなさそうだけど、どう考えたって【幻相】は感づいてるわよね。入るの? これ罠がある方が自然なくらいよ。勘もそう言ってるし」
「アザレアに似たか? 樹の根が海底に達するまで時間がない、正面突破だ」
〈何処までお供できるか分かりませんが、最善は尽くします〉
「縁起でもないことを言うな。入るぞ」
竜人は白い扉を開くと勢いよく中に入り、二人もそれに続いた。
すると、
『来たな』
白い世界に何モノかの声が響いた。
それは男とも女とも判らない、奇妙な声だった。
「その声は、【幻相】だな」
だが、竜人にはそれが誰であるか理解できた。
深い因縁から来る、直感を超えた何かによるもののお陰だった。
『如何にも』
「随分とキャラが変わっているようだが、大丈夫か?」
『そんな事はどうだっていい。ヴァルジール、私の目論見を壊したいのなら、さっさと上まで上がってくるんだな』
「言われなくても行ってやるさ」
『その減らず口、きけなくしてやる』
【幻相】の声とともに、白い壁や床が沸々と泡立つ。
それは外でも起きた、異形のモノたちを産み出す行為だと判った。
「お父様! 先に行ってください! ここは!」
〈私たちが何とかして見せます!〉
「頼んだぞ!」
竜人はクロエと椿姫に任せて、螺旋階段へ走った。
街で起きた一連の事件に終止符を打つために。
同時刻、滝上重工本社ビル・ロビーにて。
「【轟焔】? 君は一体ここで何をやっているんだ」
「【聖賢】、久しぶりだな。それについては、こいつに訊け」
柳沼は予想だにしていないモノとの遭遇に驚いていた。
対して、【轟焔】は驚く様子など微塵もなく嗤っている。
【轟焔】が顎で指した人物は、滝上隆源その人であった。
「滝上理事、でしたね。私を呼び出した本当の理由は何なのです?」
「もう時間がない。説明はバンに向かいながらでお願いしたい」
隆源は【轟焔】と柳沼を連れて、ドックに向けて歩いていく。
その有無を言わせない凄みは柳沼に過去の自分を思い起こさせた。
そう、【雷龍】ヴァルジールと肩を並べて戦っていた時の記憶を。
「ふはははは! どうだ、【聖賢】。中々に面白いやつだろう」
「……君が言うと、何とも言えないな」
「こき使われるのを覚悟しておいた方が良いぞ。ご老体」
【轟焔】は柳沼の肩を小突き、意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほざけ」
柳沼は瞳に黒い焔を灯しながら、【轟焔】を睨み返した。
その瞳はまさしく戦士の、いや、復讐の悪魔のものだった。
「何体倒した?」
〈五七体目です〉
「そんなのよく覚えてられるわね」
〈カウント機能が付いてるんです。貴女のも数えましょうか?〉
既に戦いが始まってから、三〇分ほどが経過し始めていた。
椿姫とクロエは軽口を叩き合きつつ、白い木偶を次々と破壊していく。
だが、彼女たちの体力にも、徐々に陰りが見えてきたことは確かだった。
「ジリ貧ね。やっぱり【幻相】を何とかしないといけないのかしら」
〈弱音ですか? ここで食い止めるのも大事なことです。まあ、最悪一旦離脱することも考えるべきだとは思いますけどね〉
「はあ、こんな事なら一緒に行けば良かったわ」
この塩のようにきめ細やかな白い構築物は美しかった。
とても幻想的で、この世の何よりもきらきらと輝いていた。
だが生気、いや、自然に宿る温かみというものが存在していない。
完璧ではあるが、それ故に、自然の何モノとも協調することがない。
完全な個、それはこの世の全てから孤立した、最も異形の存在と言える。
「どけェェ!」
竜人は目の前に立ちはだかる白い木偶たちを薙ぎ払う。
衝撃で壁に叩きつけられ、白い異形は砂のように崩れていく。
螺旋階段を無視して、自身の翼を広げ、最上階を目指して飛ぶ。
凄まじい速度で、視界に映る総てが絵具のように引き延ばされていく。
彼の障害物となるモノはすべて、彼の手によって砂状に変えられる。
彼を止められるものなど、この場には最早存在しえなかった。
そして、竜人は天井を突き破り、頂上に辿り着く。
そこは純白の玉座とも言うべき場所だった。
「……着いたか」
これまでの何よりも幻想的な光景だった。
だが、ここは今まで以上に異常な空間に感じられた。
部屋は異様なまでの清涼感のある空気に包まれている。
竜人はこの異界に、自分の故郷である、ミラジオ・ユスフェリエを思い出させられた。そしてここは“王”の玉座なのだ。白い樹は宮殿だったのだと、竜人は悟る。
「ん?」
白い空間の中に、一つだけ、異物がある。
それは男モノの黒い服だった。
竜人は警戒しつつ近づく。
「……っ!」
この服は【幻相】が身に着けていたものだ。
だが、【幻相】の姿はそこにはない。
でも、何かがいる。小さいが。
「……」
竜人はゆっくりと【幻相】の黒いベールを剥ぐ。
「そんな、……そんなはずがない」
そう、そんなはずがない。
何故、こんな所にこいつがいるのだ。
黒き竜人は驚きを越して、困惑する。
「何でお前がこんな所にいるんだ……」
黒いスーツに包まれていたのは、一匹の黒猫だった。
それは竜人にとって掛け替えのない友でもあった。
彼の名は【ノワルツ】、ミラジオの化け猫である。
そんな彼が、何故【幻相】の衣服に包まっている?
「察しが悪いな、全く」
「っ!」
部屋中に響いた声は確かに【幻相】のものだ。
しかし、何処にもあの憎たらしい姿は見えない。
いや違う。声は部屋そのものからしているのだ。
「……」
「あぁ、ようやく、ようやくこの時が来た。その貧弱な鎖に縛られながら、こそこそ裏で手を回し続け、ようやく私は私になることが出来たのだ。随分と時間は経ってしまったがな」
一体何を言っているのだ。
竜人は構えながら、疑問符を浮かべていた。
「まだ解っていない顔だな。それとも、記憶が完全に戻っていないのか?」
「…………」
「しょうがない。私が直々に教えてやろう」
「……」
「“私”と【そこの猫】が一体化した姿こそ【幻相】だったのだ」
部屋中に悪意に満ちた声と気配が溢れ出す。
それは身も凍るような冷たい感触を伴っていた。
「我が名は【ケセルスス】。ミラジオの真の“王”である」
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