episode9 【雷龍】の力/滝上隆一の正体

episode9

 滝山病院は騒然としていた。

 青年が担架に乗せられ、手術室を目指し、慌ただしく運ばれていく。

 その担架の傍らには、青年にそっくりな顔をした男が、彼に声を掛けている。

 彼らは一卵性双生児と見紛うほどに瓜二つな顔で、まるで鏡合わせのようだ。

「先生! この子を死なせてはいけない!」

 男は彼を運ぶ者たちに願う。

 どうか、どうか、この青年を生かしてくれ。

 決してこの世を旅立たせてはならない子なのだ。

 彼が死んでしまったなら、俺は、私は、きっと。

 自分の過ちを彼に償うことが出来なくなってしまう。

「まだ息はあるんだ!! きっと助かりますよね!」

 ある意味でその場にいる誰よりも痛々しい姿だった。

 赤黒い両目から大量の涙が滴り落ち、声は嗚咽交じり。

 何と、酷く惨めで、滑稽で、哀れな存在なのだろうか。

 ――――――――そもそもの原因は彼にあるというのに。

「いいから君は離れて!」

 自身を退けて、血濡れの青年を連れ行く医者を眺めることしか出来ない。

 ああ、自分は何と無力な存在なのだろう。

 まさか、こんなことになるとは。

 いや自業自得か。

 …………。

 ……。





 時を遡った、滝山病院の敷地内にて。

 椿姫はAPCO捜査班の花咲に呼び出されていた。

 彼女が言うには、アドバイスが欲しいとか何とか。

 捜査のプロに一体何をアドバイスをするというのだろう。

 そして現在、彼女たちがいるのは幻獣のサンプルを保管、研究する施設である。

 白を基調とした、嫌味なほどに清潔感がある何の変哲もない建物、だったモノ。

「大変な時に呼び出して申し訳ないわね」

「いえ……大丈夫です。それよりも酷いですね」

「昨夜、黒いヤツ……【疾風】だったかしら。ヤツに襲撃されたの」

 今となっては見る影もない。

 施設の玄関はそれを守る柵ごと切り刻まれ、侵入されたようだった。

 柵や玄関に、鋭利な刃物で袈裟懸けに切られたような痕跡が残されている。

「【疾風】、ですか」

「ええ、中に入りましょうか」

 明かりがない施設は、酷く不気味だった。

 異常なまでに潔癖さがある白い壁や床は少し煤けている。

 鼻孔を刺激する独特な薬品の香りが、背筋に悪寒を奔らせた。

 他にも様々な要素が重なりあって、まるで廃墟のようにさえ思えた。

「多分、【疾風】の目的はここね」

「ここは……」

 その部屋の入口の横には第四サンプル保管室と書かれている。

 無残に破壊された警備システムなどからも、その重要さが分かる。

 だが、それも玄関と同じように奇麗に切断され、侵入されていた。

 室内はこれまでに見た何よりも破壊されていて、保管庫はがら空きだ。

「【疾風】は幻獣のある一部だけ奪い去っていったらしいわ。大き目のトランクケースに収まるくらいだけど、それでも、これまでにAPCOが倒してきた五〇体以上が持ち去られたことになるわ」

「その体の一部ってどこなんですか?」

 腕や脚など、いや、脳でさえトランクには収まらないだろう。

「えっと、確かここには“ブルーアイ”を使用した人間の幻獣、巷でシーカーと呼ばれてた人たちに必ずあった、心臓にある腫瘍? みたいなのが保管されてたそうよ」

「腫瘍、ですか?」

 一体何のためにそんなものを。

 椿姫の胸に疑問が浮かび上がる。

「ええ、まだ研究が進んでいない代物だったそうよ」

「奴らにとっては、意味があるものだった、ということでしょうか」

「まあ、そう考えるのが妥当というか、そう思うしかないのよね。人の常識の向こう側にいるんですもの」

 花咲がそう言ったと同時に、椿姫の携帯が鳴る。

 タッチパネルに表示されたのは、APCOの人間からだった。





 暗い暗い、何処か。

 遠くからは波の音が聞こえてくる。

 薄ら寒い闇の中で、何人もの人が同時に喋っているようだった。

 壁や床にずらりと並んだ人間が寸分の違いなく、同時に喋っている。

「いやあ、よくやってくれたね【疾風】」

「……」

「私は君にはすごく感謝しているよ」

「……」

「君とあの日出会えていなければ、私は今のようには成れなかっただろう」

「……」

「これも君のお陰だ。君は私の友の中でも最も忠誠心が高い」

「……」

「まさに、そう。……忠犬とでも言うような。他の連中とは違う」

「……」

「その黒い出で立ちが前は気に食わなかったが、もうそんなことはいいさ」

「……」

「君には祝福を与えたい。私からのせめてもの気持ちさ。君にはこれからも」

「……」

「私の傍で頑張ってもらいたいからね」

 獣の雄叫びが暗闇に響いた。





「起きろ、起きろと言っている」

「ぐ、ぐぅ……」

 ここは一体何処だ。

 身体が動かない、縛られている。

 私は確か車で【轟焔】に連れ去られ……。

「滝上隆源、起きろ」

「……聞こえている」

 窓からの日の差し方を見るに、まだ昼ではない。

 埃や傷などがある、凝った柄のカーペットや壁。

 恐らくここは廃墟と化したホテルか何かだろう。

 それにこの波の音から察するに、ここは滝山市の沿岸部にあるようだ。

 しかし、この状況を知らせる手立てが、今のところは全くないのが問題だ。

「私をここに拉致して、一体どうするつもりだ」

「それは今から話す。貴様には“真実”を話してもらわねばな」

「…………」

 真実を話せ、とは一体何のことだろうか。

 彼らと具体的な対話をしたことはないはずだ。

 まだ。

「五年、いや、もう六年前のことだ」

 私の背中にぞくりと悪寒が奔る。

 六年前、そう、彼らと対話する機会になるはずだった日だ。

 そして同時に、隆一が事故に遭い、記憶を無くした日でもある。

「我々のトップに君臨していた【雷龍】とその配下、【幻相】と【堅剛】の三柱を始めとした使節団が、貴様ら人間と会合をする予定だった、そうだな」

「そうだ」

 細かい名前は憶えていないが、確かに使節団が来るはずだった。

「しかし、使節団が来ることはなかった」

 あの日のことは、忘れもしない。

 息子が事故に遭う直前と直後は、今でも夢に見ることがあるほどだ。

「それは本当、なんだな?」

 【轟焔】は鋭い視線を浴びせてくる。

 久しく忘れていた、武人の覇気を感じる。

「本当だ。あの日、予定時間を過ぎても使節団が来ることはなかった。その後一か月もの間、予定されていた場所に役人を配置していたが、来ることはなかったんだ」

「……そうか」

 彼は一体何を考えているのだろう。

 こんなことを訊くためにわざわざここへ?

「君は何をしたいんだ。こんなこと、訊かれればいくらでも答えるさ。何故、あんなテロ行為を行う必要がある!? この街だけで! 私の息子をどうするつもりだ!」

 質問に答えたのだから、彼も応えるべきだ。

「テロの主犯も実行も全て【幻相】の計画だ。細かいことは知らん。【幻相】のヤツにでも訊くんだな。それに、滝上隆一について何故私に訊く?」

「何も知らないのか?」

「知らん」

 真っ直ぐこちらを見ながら、はっきりと【轟焔】は言う。

 他の仲間とは、どうやら連絡を取っていないようだ。

 柳沼といい、仲間意識がというものが薄いらしい。

「【水龍】と白い髪の女、そして白い方によく似た【雷姫】という少女が、私の息子と行動を共にしている。君が知らないうちにな」

「……面白い組み合わせだ。一体何をするのだろうな」

 【轟焔】の不敵な笑い声が、廃墟に木霊する。

 この男は、一体何を考えているんだ。





「父の居場所が分かった!? はい、はい……」

 椿姫は耳に携帯を当てながら、虚空へ頷いている。

 敵に攫われた父の居所、兼、敵アジトが判明したとのこと。

「……分かりました。すぐにそちらに向かいます」

「理事が見つかったの? 送るわ」

「ありがとうございます」

 程なくして椿姫たちは車に乗車し、目的地へ走り始める。

 そんな中、椿姫は花咲の運転する車に乗りながら携帯を睨んでいた。

 敵と行動を共にしていることが判明した兄へ掛けようと思ってのことだ。

 どんな理由があろうと、兄が父を攫うような奴と行動を共にするはずがない。

 そういった願望が入り混じった信頼が、椿姫の胸の内で大きく渦巻いていた。

「…………」

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