episode8-6
「全く、お父さんは一体何を考えているの」
真っ暗になった夜道を歩きながら、椿姫は父に対して懐疑的になっていた。
敵に攫われた隆一を放置して、作戦の準備を優先して進めろと言われたのだ。
これまでに行われた作戦の中で、最も重要な作戦であることは椿姫も理解していたが、息子の命よりも優先することなのだろうか、と。今までの父であれば、きっと何よりも息子の命を優先しただろうに、と。
「ただいま」
「あら、お帰り。ご飯出来てるけど、先に食べる?」
自宅の扉を開けて中に入ると、母、美冬が顔をひょっこり出す。
いつも通り、そういった表現が似合うだろう。
「うん……そうしようかな」
「どうしたの? 元気ないわねえ?」
「まあ、色々あって」
母にも伝えないとは、心配を掛けたくないのは分かるが、一体何を考えている。
椿姫の父に対する感情が、懐疑から嫌悪にさえ変わってしまった。
「辛かったら言いなさい? 今日は隆一も帰ってこないって言ってたから、話にはいくらでも付き合いますからね?」
「うん、ありがとう」
ん? ――――椿姫の脳裏に、ある疑問が奔る。
「お母さん、兄さんが帰ってこないって……その、誰から?」
「ん? 隆一よ? 昼前に友達の家に泊まってくるって電話がね」
「正確には何時ぐらい?」
「んー、一一時を過ぎたくらいだったかしらねえ?」
「ホントにホント?」
「何で嘘をつく必要があるのよ?」
連絡が確かに一一時にあったのなら、既に連れ去られているはず――――
兄は【水龍】にわざと捕まったのだろうか、一体何故? ――――
それに【水龍】が兄を殺さずに連れ去る理由も分からない――――
もしかして、父はそれを知っていたのだろうか――――
「ああ! 分かんない!」
「急に叫んでどうしたのよ。思春期?」
「取り敢えずご飯食べたい! お母さんご飯大盛りで!」
「修行しているからって、あんまり食べ過ぎると太るわよ?」
「私食べてもすぐ消費しちゃうから!」
「まあ、いいわ。大盛りね」
X県の山奥にある古びた館にて。
「んん?」
気を失って、いや、眠っていた隆一は鼻孔をくすぐる、ある匂いで目覚めた。
料理の匂いだ。ニンニクと複数の香辛料、そしてオリーブの独特な芳しい香り、何処の国の料理か、細かいことは彼は分からなかったが、取り敢えず洋食だろうと思った。
「やあ、目が覚めたかい?」
「ッ!」
しかし、出来の良い料理の匂いによる多幸感は一瞬にして崩れ去った。
隆一は慌てて警戒する体勢を取り、周囲を見渡す。そして、机を隔てた向こう側に不快な笑みを浮かべる黒ずくめの男の姿に気づく。その隣には白衣を着た男が座り、すぐそばに髪を白染めにしたメイドが立っている。
「おっと! そんなに睨まないでくれたまえよ。確かに私と君は敵同士だが、一応、今の君はお客様だ。手荒な真似はしないと誓おうじゃあないか? ほら、この通りさ! 信じてくれると僕は嬉しいんだけどねえ?」
「【幻相】、アンタは今まで俺が出会った中で一番信用できねえっての」
隆一は【幻相】から視線を外し、自身の状態を確認する。
その腕と脚には鉄の枷が付けられていて、十全に動かすことは出来ない。
【幻相】はくつくつと笑いながら、皿のエビとブロッコリーを同時にフォークで突き刺し、それを自身の口に運ぶ。
「まあまあ、ご飯でも食べて落ち着こうじゃないか? 安心しなよ。御覧の通り、毒なんか入っていやしないさ。少し匂いは独特で鼻につくが、とても美味しい。特にこの派手な魚と野菜のやつなんか絶品だ。ほら、君も一口食べなよ」
【幻相】が隆一に向かって微笑む。しかし、その視線には彼を品定めするかのようなものが含まれており、彼の動作、表情を嘗めまわすように観察していく。
隆一は枷の音を立てながら、【幻相】に腕を突き出して拒否する。
「つれないねえ。……ねえ、彼に何か飲み物を出してもらえないか?」
ずっと黙っていた白衣の男に向かって、【幻相】がそう言った。
白衣の男は白染めのメイドに目配せをする。
「畏まりました」
「紅茶とコーヒーが御座いますが、どちらになさ」
「あっコーヒーでお願いします」
「コーヒーなら飲むのか……」
食い気味に応える隆一に、【幻相】が苦笑を浮かべる。
程なくして、湯気を立てるカップが隆一の前に置かれる。
「さてと、本題に入るとしようか。君は何をしにここへ来た?」
「あ?」
「惚けないでくれよ、それくらい解るさ。あの【水龍】がわざわざキミを殺さずにここへ来るはずがない。アレが何を考えているかは分からないが、キミの目的は分かる」
「ッ!」
「キミのお友達の木島クンを助けに来たんだろう?」
【幻相】の言葉によって、隆一はカップに添えられていたスプーンを落とす。
その行動から図星であると【幻相】に覚られてしまった。しかし、隆一の精神は焦りを通り越して、悟りめいた冷静さを取り戻す。
「だったらどうした」
「いや、別にどうもしないさ」
「は?」
意味が分からない――――
「彼がどうなろうと、私にとってはどちらでもいいのさ」
「どういう意味だよ」
「私にとって、彼の存在はさほど重要ではないんだよ。まあ、嫌がらせするための駒としては、これほどまでに面白いものはなかったけどね?」
「趣味が悪いな! アンタ!」
隆一は枷のせいで上手く動くことが出来ず、机を強く叩くことしか出来ない。
それに対して、【幻相】がわざとらしく驚いたフリをする。
「おお! 怖い怖い。私は全く悲しいことに戦闘には少し不向きな能力でね。君のように戦闘特化した相手が怖くて堪らないんだよねえ! だぁかぁらぁ! 僕は仲間を呼ぶことにするよ。【雷姫】さぁん! カモン! ……カモン!」
最終的に指を鳴らしながら彼女の異名を呼ぶ。
それから僅かな間を置いて、ため息とともに扉が開く音が聞こえた。
「はあ……何?」
隆一にとって聞き覚えのある声。
それはまさしく竜ヶ森クロエだった。
「ん~? 【雷姫】元気がないねえ? ご飯食べたかい?」
「っさいわね……。そういう日もあんのよ」
「キャラ、作らなくてもいいのかい?」
「え?」
ふと【雷姫】、いや、クロエが黒ずくめから視線をずらす。
そして、青年の黒々とした瞳と目が合う。
「あっ、どうも……。お久しぶり、です、ね?」
「……あら、ふふっ久しぶりね?」
何事もなかったかのように、クロエは自身に冷涼な空気を纏わせ、隆一に挨拶を返す。全く持って自然な動作であったが、それが却って彼女の不自然さを際立たせている。
隆一も思わず惚けてしまうほどで、クロエを見たながら何度も瞬きをしている。
「僕が思っていた以上にタフだね」
「……」
【幻相】はクロエの変わり身の速さに驚き、白衣の男はそんな彼女の横顔をじっと見つめている。一連の様子を眺めながら、白染めのメイドは一見平静さを保っているように見えるが、何処か苛立ちを持っているようであった。
「感動の再会のところすまないが、【雷姫】、隆一君を地下の牢屋の方へ案内してくれたまえ。勿論、丁重に扱ってくれよ? それじゃあ、さっさと向かってくれないか?」
「ちっ、分かったわよ」
舌打ちをしながらも【幻相】から投げられた鍵をしっかりと掴むクロエ。
彼女は隆一の足を自由にすると、彼を連れて部屋を後にした。
それからしばらく経った、同じ部屋にて。
「結局、姿を現さなかったね? 【水龍】?」
「気色悪い視線を向けるでないわ」
「おっとこれは失敬。でも、質問いいかな?」
何時の間にか壁際に背中を預けていた【水龍】。
彼女に対して【幻相】の怪しげに光る青い瞳が向けられる。
そのことで【水龍】の機嫌は目に見えて悪くなったが、【幻相】はさほど気にした様子もなく話を続けようとする。
「何じゃ? 首を刎ねられたくないなら、言葉は慎重に選べよ?」
「それじゃあ……。君は今、何をしようとしているのかな?」
【幻相】や白衣の男たちの鋭い視線が【水龍】に向けられる。
彼らの視線には明らかな懐疑心が含まれており、それらはいつ敵意へ変異してもおかしくないものであった。だが、【水龍】は呼吸一つ変えずに口を開く。
「妾のため、ひいてはミラジオのためともなることじゃろうな」
「ミラジオの? それは一体どんな?」
「あるべき姿に戻す」
極めて言葉をぼかしながら、意味ありげに言う【水龍】。
そんな彼女を【幻相】は、一層輝きを増した瞳で射貫く。
白衣の男と白染めのメイドは、興味がないといった様子で各々の手元に視線を移し、自分たちの世界へと入っていった。
「結構、探した」
「ごめん。こんな事になって」
「気にしてないって。それに、ここに来たのは俺の都合だから」
地下牢まで続く廊下で、隆一とクロエが隣り合って歩いている。
廊下は質素な見た目ながら床材や壁材、カーペット、調度品に至るまで高級な物であると一目でわかるほどであった。しかしそれは、適度な掃除やメンテナンスが行われていることによるものが大きい。
「その【六柱】……敵の幹部? っていうのは知ってたんだ俺」
「……そっか。知っちゃったんだ」
「知っちゃった」
クロエの声色が沈むのと反対に、隆一は笑顔すら作っていた。
彼の横顔をクロエは不思議そうな顔で見つめていたが、不意に彼が口を開く。
「単刀直入に聞くと、今回敵になる気ある?」
「一応、アレに怪しまれない程度には敵かもよ?」
クロエが悪戯な笑みを浮かべる。
それに対して、隆一は少し安心感を覚える。
取り敢えず、完全に敵というわけではないようだった。
「十分だよ。俺の今回の目的は木島の救出だしな」
「あの黒いモサモサ、木島クンだったんだね……」
「ゴキブリみたいな言い方だな! いいや、何処にいるか知らないか?」
しばらくして、二人は薄暗い地下牢に辿り着いた。
室内はサンドベージュのレンガで造られていて、天井から吊るされた切れかけの電球がその様子を断続に映し出している。上階の屋敷とは違い、丹念な掃除がされている形跡はなく、むせ返るような埃っぽい空気が肺を満たす。
「多分、ここの何処かの部屋に入れられてるとは思うけど、それ以上は」
「分かった。じゃあ、俺をこのまま牢屋に入れてくれ」
「それでいいの?」
「いい」
「本当に?」
「本当に」
彼の真剣な瞳がクロエの碧眼を真っ直ぐ見つめる。
彼女は観念したようにふっと息を吐いて、懐から鍵を取り出した。
「ゴキブリとネズミには気を付けてね」
「えっ、ゴキブリ出んの」
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