episode8-5
〈以前の借り、そして、兄への仕打ち……。総て返させてもらいます〉
機械越しに放たれる殺意は、肌を刺すような痛みに感じられるほど強い。
その殺意を一心に浴びる【水龍】は、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
「……ちと、面倒なことになってしもうたのう」
とは言え、【水龍】は永い時を生きてきた龍。
このような場面には幾度となく遭遇し、そして、生き延びてきた。
しかし、相手を殺してはならないというのは、他に類を見ない事態だった。
「前にお主を見逃してやったんじゃから、今回は妾を見逃してくれんか?」
〈面白い冗談ですね。……まさか、変質者が出たという子どもの通報から、巡り巡って貴貴女に辿り着くとは思いもしませんでしたよ。見下げました〉
「あの小娘、覚えておれよ……」
「………………」
「お前もじゃぞ」
少女と気絶したフリをする魔人に対して、【水龍】はぼそりと恨み言を放つ。
「確か、椿姫じゃったか?」
〈名乗った覚えはないんですが? まあいいです、何ですか〉
「あっ! ゆーふぉー!」
〈引っ掛かるわけないでしょう?〉
藍色の鎧は微動だにせず、【水龍】を見つめたまま嘲笑する。
掛かった――――内心で【水龍】がほくそ笑む。彼女は水の玉を藍色の鎧の背後に形成する。そして、それを勢いよく藍色の兜目掛けて放った。だが、藍色の鎧が撃ち出した弾丸によって、弾けて跡形もなく散ってしまった。
〈……ええ、ありましたね。未確認飛行物体〉
背後を振り向きすらせず、後ろに目があるかのように正確に撃ち抜いたのだ。
その無機質で機械的な動きに、【水龍】はおろか魔人さえも顔を引き攣らせた。
「よし、逃げるが勝ちじゃな」
そう言い放つと【水龍】は腕を水平に振った。
すると、地面から大量の蒸気が生み出され、視界が白に染まる。
その隙に【水龍】は公園から脱出するため、勢いよく駆けだした。
だが、
「ッ!」
【水龍】の頬を弾丸が掠めかけた。
命中こそしなかったが、その事に彼女は大層驚いた。
「お前の妹、お前を背負っとるのに躊躇なく撃ってきたぞ」
「……マァ、ソウイウ事モ、アル」
「頼りないにもほどがあるが!?」
弾丸から身を護るために、【水龍】は近くの森の中に入った。
むせかえるほどに蒸れた森の空気が、今の季節が夏であることを強く意識させる。
彼女は自分よりも大きな白い巨体を抱えながらも、腐葉土の地面を苦も無く進んでいく。この地面を鎧が歩くのはさぞ骨が折れることだろう。そう、考えていた。
〈待ちなさい!〉
【水龍】の背後で空気が勢いよく噴き出た、甲高い音が聞こえてくる。
嫌な予感がした【水龍】は進むスピードを上げ、森の中を縦横無尽に走る。
甲高い音は徐々に落ち着いていき、地鳴りのような低い唸り声になっていく。
「そのまま、気絶したフリを続けておるんじゃよ?」
「……ェ? オッ!」
【水龍】が尋常ならざる怪力によって魔人を天高く放り投げる。
魔人は首根っこを掴まれた猫のように固まったまま青い空を舞う。
「よっしゃ、掛かってこんか……ッ!」
振り返った【水龍】は慌てて背筋を仰け反らせる。
直後、彼女の頭上を鈍く輝く鋼の刃が通り抜けていった。
その刃を放った人物は、勿論、藍色の鎧もとい椿姫であった。
「あっぶないではないか!」
〈避けたッ!?〉
「こいつやっぱヤバいぞ!?」
急所に目掛けて次々と繰り出される鋭い突きを往なす【水龍】。
椿姫は一見冷静さを失っているように見えるが、その動きは正確かつ力強い。
如何に異形の頂点に立つ存在である【水龍】と言えども、本気を出さなければ苦労するほどに彼女の技量は高かった。
「くッ!」
やはり面倒だ、と【水龍】は内心で愚痴りながら扇子で刃を往なす。
目の前の鎧を着こんだ女はある意味では味方、そして、決して殺してはならない相手でもある、というのは頭では理解していた。だが、実際に刃を交えるとその厄介さは想像を超えていた。
「さっきも言うたが、見逃してはくれんかの?」
〈以前はもっと威厳に満ちていて、如何にも強敵という感じがしましたが! 案外、そうでもないんですねッ!〉
「こっちにも! 色々あるんじゃッ……よッ!」
【水龍】は藍色の鎧の大ぶりな横薙ぎを躱し、続けざまに入れられたフェイントの蹴りを活かして宙を舞った。その間も無数の弾丸が【水龍】に向けて放たれたが、その悉くが水の障壁によって弾かれる。
「これでも、食らっておれッ!」
〈なっ、反則じゃないの!?〉
「戦いに反則も何もないわい!」
【水龍】は巨大な水の塊を藍色の鎧に向けて放り投げた。
その大きさの前では、椿姫の咄嗟に行った回避行動も意味をなさなかった。
椿姫は水の奔流によって、元来た道へ強制的に戻されていく。
〈このままで終わってたまるかああああああああああ!!!〉
腐葉土に塗れながら椿姫は銃を構え、【水龍】に向けて発砲する。
鎧による照準のサポートも意味をなさず、弾は周囲にバラけてしまう。
散り散りになった弾丸たちは木々を食い破り、地面に深い傷跡を作っていく。
「こういう時に油断しないから長生きできるんじゃ。ま、年季の違いじゃな」
【水龍】にもその幾つかが直撃しそうになるが、それらはすべて防がれた。
彼女は和服の裾が汚れたことを除けば、文字通りの無傷だった。
「よし、今のうちに離れるとするかの」
【水龍】は迫りくる弾丸に恐れることもなく、森の中を再び進んでいった。
しばらく進んでいくと、地面に突き刺さる不自然な白い塊が彼女の視界に入る。
「あっ……」
塊は胴体と脚を地面から飛び出させ、頭と腕が地面に深く深く突き刺さっている。
【水龍】は頭を抱えながらも、ひくひくと動いている足を引っ掴んで持ち上げた。
「てんめッ! 死ぬかと思ったじゃねえか!?」
「おう、すまなんだなあ……」
「まず降ろして」
「すまんのう」
空中に放るようにして脚を放す。
白い塊、もとい魔人、いや、隆一は体操選手のように地面に着地する。
「椿姫は無事か?」
「まあ、死んではおらんし。鎧を着ておるから怪我もないじゃろ」
「そっか。……それじゃ何で投げたの、怖かったんだけど?」
「まあ非常事態じゃったしな? 致し方ないんじゃ?」
「空が見えたんだけど? 鳥さん達とぶつかりそうになったんだよ?」
「すまんのう……」
見るからに、しょんぼり、と言った様子で肩を下げる【水龍】。
「お婆ちゃんみたいに謝らないで! こっちもやりにくいから!」
「よし、時間もないから行くとするかの!」
「切り替えが早すぎるっ! おわッ!?」
「気絶したフリを忘れるでないぞ?」
【水龍】は再び隆一を米俵のように肩に乗せ、再び山を駆けて行った。
最早疲れ切った隆一は、地蔵のように黙りこくって瞳を閉じる。
それから程なくして、隆一たちは件の館へと辿り着いた。
古びた外壁は植物のツタがびっしりと覆われていて、陰気な雰囲気を放っている。だが、窓ガラスや周囲は掃除が行き届いており、定期的に人による管理が行われているのが見受けられる。
「思ったよりも、こう、さらに辛気臭い場所じゃな」
「ぐぅ」
「……行くかの」
何時の間にか隆一は深い眠りへと誘われていた。
そんな彼を今更起こすわけにもいかないため、【水龍】はそのまま扉へ向かう。
しっかりとした作りの扉を何度か叩くと、ガチャリという音とともに扉が開かれた。
「どうぞ……そちらは?」
拳三つ分の隙間から覗くのは、白染めされた髪を持つメイド。
館の中は外観とは違って、質素ではあるがとても清潔状態を保っていた。
しかし、同時に胸をかき乱してくるような、重苦しい空気に満ちている。
【水龍】は緩み切っていた気を引き締めて、慎重に言葉を紡いでいく。
「先程絡んできた。殺すわけにもいかん相手での。気絶させた」
「……取り敢えず中へお入り下さい」
「座敷牢はどこじゃったかの?」
「地下にございますが……」
「まずはそちらへ案内せい」
「は、はあ……?」
細かく聞かれると不味いため、【水龍】はこれでもかと太々しい態度を取る。
白染めのメイドは、彼女のただならぬ雰囲気に気圧され、地下へと向かっていく。
館の地下、その奥深くにある薄暗い研究室にて。
【幻相】と白衣の男が円柱状のガラスの前に立っている。
「素晴らしい! 実に素晴らしい! 想像していた以上だこれは!」
「そうか、貴方の期待に応えられて何よりだ」
ガラスの内部は透明な液体に満たされ、その中心には人以上の身体を持つ、ナニカが浮かんでいた。それは人とも獣とも異なる姿をしているが、全く異なるとも言えない、非常に曖昧で不安定な姿をしていた。
「偉大なる目的に、これでまた一歩近づいたねえ」
【幻相】は指を鳴らし、感慨深そうに呟いた。
白衣の男はそんな彼を全く意に介さず、意識を何処かへ放っている。
「君は本当によく頑張ってくれた。君との約束、僕が必ず果たして見せよう」
「法的に死んでまで協力してきたんだ。約束は守ってもらおう」
「解っているさ。安心したまえ、私は“王”だよ?」
【幻相】は不敵な笑みを浮かべながら、白衣の男を見る。
それとほぼ同時に、背後からドアを開く音が聞こえてくる。
「失礼いたします」
白染めのメイドが恭しい態度で研究室に入ってくる。
「どうした?」
主人である白衣の男がそう訊ねた。
【幻相】も彼につられて彼女に視線を向ける。
「……【水龍】様がご到着しました」
「んん? てっきりもう来ないものかと思っていたんだけど」
「それと、滝上隆一なる者を連れて参りました」
「? 誰だ?」
白衣の男が【幻相】の方を見る。
「興味深い子……とでも言っておこうかな。彼は今どこに?」
「気絶した状態のところを独房の方に」
「そうか、折角の客人だし客間の方へ……いいかな?」
【幻相】の青い瞳が白衣の男を射止める。
白衣の男は事もなげに頷き、白染めのメイドに視線を向ける。
彼女は主人の意思を受け取ると、礼をして素早く部屋を去っていった。
「これはまた、随分と面白くなってきたねえ」
「……」
【幻相】は嗤い、白衣の男は目頭を押さえた。
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