episode水

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 異界ミラジオ・ユスフェリエにて。

 広大な大陸の中心にある“王”が住まう都から、遠く南へ離れた場所にある死霊の海。そこに浮かぶ小さな島には、巨大で恐ろしい二対の龍が棲んでいるという。その力は、この世の生きとし生けるモノ全てを生み出したという“王”にすら匹敵すると言われ、民からは畏怖の対象として認識されているのだ。

 これは、そんな彼ら龍の昔話。遠い遠い昔の、もう戻ることは出来ない幸せな日々。

「番よ、今日はどうするのじゃ?」

「ハヌ森林でラヴェーダを狩りたい。久しぶりに肉が食べたい気分だ」

「この前、島の海岸に打ち上げられていたサーバンでは駄目かの?」

「悪くはないが、あれは魚肉だ。今食べたいのは締まった猛獣の肉だ」

「はあ……ついに食事に美味さを求めるようになったか。まあ、それぐらいしか楽しみがないのも事実じゃしのう」

 島の北端に位置する、切り立った丘の上では、全身が闇のように黒い龍と、雪のように白い蛇のような龍が、猫のように身体を丸めながら、のんびりと会話していた。

 ミラジオの龍とは、自由気ままに生きる不死の存在。地震や台風のように、人智が遠く及ばない、自然現象に近い神秘なのだ。……とは言え、腹は減る。その欲求に突き動かされるまま、全身を黒い鱗で覆った龍は、自身の至大な翼を大きく広げ、天に昇る。それによって、大きな砂埃が舞い上げられた。

「砂を飛ばすでないわ」

「すまない……」

「全く、困った番じゃ」

 白き龍は抗議の視線を、頭上の黒い龍に向けつつ、頭部にある碧い角が煌々と輝かせる。すると、白い巨体から重さが消え失せたかのように、ふわりと宙に浮き上がる。そして、すぐさま先へ行った黒い龍を追って、青紫色の大空を泳いでいく。

 しばらくの間、風を切り裂きながら飛んでいると、ふと、白い龍が口を開いた。

「最近は突っかかってくるモノがおらんから暇じゃのう」

「平和でいいじゃないか」

「そうは言うがな番よ、お主がいつになく狩りをしようと言い出したのは、戦いに飢えたためなのであろう?」

「……そうかもしれないな」

 白い龍の言葉に、黒い龍ははっとしたような顔を浮かべて肯定する。

「自覚がないとは恐ろしいもんじゃ」

 孤島から件の森までは、すぐに着いた。

 二頭は森の近くにある開けた土地に降りると、その肉体は眩い光に包まれ、一瞬のうちに、二頭の巨龍は体を人の大きさにまで縮ませる。しかし、ただ小さくなったわけではなかった。

 黒き龍は人型を模した姿に変わる。それは鎧のようであり、醜悪な悪魔のようでもある。無理やり人型に造り変えたとでも表現するのだろうか、骨格は捻じれ、全身を覆っていた美しい鱗は、歪で見るも無残な姿へと零落していた。

「やはり痛いな」

 黒き龍であった人型はぽつりと呟く。それは人型になる際の感想であることは明白で、龍から人型になることには、強烈な痛みが生じることは想像に難くない。だが、その声から苦痛は感じられなかった。

「想像に雑味が強すぎるんじゃ、だから思ったような姿に成れぬ。それでは本来の十分の一にも満たない力しか出せんじゃろうな」

 その声は威厳に満ちた白き龍のものではなく、凛とした鈴の音のような少女の声だった。

 黒い人型、いや、竜人は声がした方向を向く。そこには、白き龍の姿はなく、代わりに青い着物を着た美しい少女の姿があった。彼女は竜人の姿を見ても全く動じていない。

「む、その服は……?」

「おおこれか、よくぞ気付いた。流石は我が番じゃ! この前、“あちら”から迷い込んできた人間がおったじゃろ? アレを真似て作ってみた。どうじゃ、どうじゃ?」

 少女は着物の袖を掴んで、その場でくるりと回るアピールを執拗に続ける。

「似合っているんじゃないか? 私は美に疎いからよく分からないが、そう思う」

「ふふふー、番は控えめじゃのー。恥ずかしがることはない、もっと言ってくれても良いのじゃぞー。ふふふー」

「……先へ行くぞ」

「つれないのー」

 竜人は少女をよそに、薄暗い鬱蒼とした森の中へと分け入っていく。

 少女もおどけながら、後について薄闇の中へと消えていった。

「……随分と静かだ」

 森に入って五分ほど経ち、竜人がぽつりと呟いた。その声色には強い警戒心が含まれている。心なしか全身の歪な鱗が逆立っており、周囲に不気味な威圧感を放っている。

 対して、着物の少女は朗らかな顔を浮かべ、機嫌の良さを振りまいている。しかし、少女に隙はない。彼女の上に落ちてくる落ち葉は、彼女の袖から出した扇子によって、真っ二つに切れ、地面に落ちる。

「ハヌ森林と言えば、多くのエサが棲んでいたはずじゃがのう。……以前、向かってきたモノどもを片っ端から大人しくさせたのが原因ではないのか?」

「いや、それにしては静か過ぎる。気配を感じないというのも奇妙だ。加えて、今は雨季ではないから一帯が水没することもないし、それによって棲み処を移すこともないだろう。これは一体どういうことだ?」

「さてな。もっと奥に行けば自ずと分かる気がするのう」

「勘が良いお前の言うことだ、間違いはない。言う通りにしてみよう」

「信頼されとるのー。妾は幸せモノじゃのう」

「だが……」

「どうしたんじゃ?」

「離れるなよ。お前は強いが、この先は何があるか分からない」

「んもー番は罪な雄じゃのー。これ以上惚れさせてどうするきじゃー?」

「…………先に進むぞ」

「おっ、照れておる。ドキッとした?」

「お前のそういう所、好きではない」

「そう不貞腐れるでないわー。ん、すまんのー、すまんのー。許しておくれ?」

 竜人はそっぽを向きながら足早に森の奥へと進んでいき、着物の少女はそんな竜人の態度に苦笑を浮かべながら、その後についていく。

 そして、しばらくの時が経ち、

「それにしても番よ、随分と歩いたのではないか? けれど、未だにラヴェーダの影も何も見えないではないか。あやつらのぴょこぴょこ跳ねながら走る姿は、この仄暗い中でも一発で分かりそうなものなのにのー。やはり何かがあったのは確かのようじゃ」

 森の随分と深い森の中に入った二頭であったが、一向に目的の獲物、ラヴェーダはおろか、小動物の一匹にさえ出会っていなかった。溜まらず、少女は不満と警戒の声を漏らす。

「警戒を……お前に言うことでもないか。さっきから、嫌な感覚が体中を這いまわっている。こっちをじっと観察しているようだ。先を急ごう。恐らくすぐ近く、この先にいる」

「相も変わらず、番の感覚は鋭いの」

 そう言いながら、竜人は腕と尻尾を使って腰程にまで伸びた草木をなぎ倒しながら、前に進んでいく。その度にガサガサと音が鳴り、周囲に彼の存在を逐一知らせる。こちらを見ている以上は問題ないという考えと、襲ってきたところで返り討ちにしてみせるという強者の自信が、彼にそうさせたのだ。

 着物の少女は竜人の後ろに付き、草木が敷かれた道を悠々と歩く。しかし、一歩進むごとにバツが悪いような顔つきになり、十歩進んだ頃には周囲にちらちらと視線を配り始める。竜人に比べて自身が何もしていないのではないか、と思ったためであった。元々、周囲の様子に気を配ってはいたのだが、竜人に対して目に見える何かをしたかったのだ。……肝心の竜人は前ばかりを見て気づいていないが。

 そうして歩いている内に、眩い光が降り注ぐ沼地が見えてくる。いや、目の前にあるそれは沼地ではない。鼻孔をくすぐる吐き気を催すような臭いが、二頭の顔をしかめさせる。近づいていくごとに、ねちゃねちゃという粘液と肉がぶつかり合うような、嫌悪感を催させる音と複数のハエが羽ばたく音が耳に纏わりつく。

「ううむ、予想していたよりも、かなーり、えぐいことになっとるの」

「ああ、全くだ」

 二頭は木陰に立ち、視線を“沼地に見えていたもの”その中心に視線を向ける。

 そこには、

『……ッ……ッグッグ……ン』

 原っぱを埋め尽くすほどの融けた腐乱死体の山に対して、一心不乱に食らいつく、四足歩行の異形の姿があった。異形の背中は無数の触手が蠢いており、幾つかには鳥を始めとした小動物が突き刺さっている。何匹かは辛うじて生きているのか、血を流しながらも、未だに足をひくつかせ、生にしがみついている。だが、動きは秒ごとに鈍っていき、その命はすぐにも潰えてしまうだろう。幸いにも、異形は目の前の食事に夢中なため、背後の二頭の龍の存在にはまだ気づいてない。

 二頭は異形に対応すべきか頭を悩ませる。

「どうするんじゃ? アレ、倒すのか?」

「このままでは折角の狩場がなくなってしまう。それに、下手に背を向ければあの触手で串刺しにされる可能性がある」

「それで妾たちが死ぬか? 精々岩盤を貫くのが関の山じゃろ。ほれ見ろ、すぐそこの木端が綺麗に抉れておる。じゃが、ここから向こうの木までの間でかなり勢いが落ちておる。あれでは龍鱗を貫通させることは至難の業じゃろう」

「今のお前は人の姿をしているじゃないか。人の柔肌など簡単に貫かれてしまうぞ。万が一のことがあったら……」

「おっ心配してくれるのか、ありがたいのう! って!」

 少女が会話を中断して横へ跳ぶ。それとほぼ同時に、丁度、少女の胴の当たりを狙った触手が二頭の間を、風を切る甲高い音とともに通過していく。それは後方にある幾つもの大木を易々と貫通し、大きな風穴を創り出した後、物凄い勢いで持ち主の下へ戻った。

「おおー。あっちの景色が見えるぞ」

「さっき聞いていた話よりも、かなり威力が高いようだが?」

「……のようじゃのう。だが、アレに後れを取るお主でもあるまい?」

「そう言われると、逃げる訳にはいかないじゃあないか」

「おうおう死なない程度に頑張るんじゃぞー。力を借りたくなったらすぐに言え」

「始めから力を貸してくれるという選択肢はないのだな」

「先程の回避で鼻緒が切れてしまったからの。それより」

「っ! まだ話している途中だというのに」

 食事を一旦中断した暴食の異形は、竜人の方に向き直り、無数の触手を様々な角度から放った。大木を貫いた時と同じ、いや、それよりも速い速度で竜人を貫こうと肉薄する。

 無数の触手の全てを視界に映しながら、竜人は身じろぎ一つしない。右腕に眩い光を放つ青き雷を宿す。それは瞬く間に収束し、長大な剣へと変わる。そして、はっきりとした形になった剣を暴食の異形に向け、竜人は深く息を吸う。

「……アァ!」

 竜人は短い雄叫びとともに、眼前に迫りくる触手の群れを次々と切断していく。肉が焼き焦がされ切れていく音が周囲に響き渡り、地面に幾つもの煙を上げる肉片が積みあがる。だが、触手たちの勢いは止まることを知らない。更に攻めを苛烈なものにしていく。触手は切断面から二股に分かれ、枝分かれした触手は先程までと変わらず、竜人を串刺しにするべく直進する。

「こういう単純かつ数で押してくるヤツは面倒だなっ」

「番よー。あんまりぼやぼやしていると更に面倒なことになるぞー」

「解っている。とはいえ、こういう力比べは嫌いじゃないっ! 手を出さなくていいっ」

「はあ、一度熱くなるとすぐにそれじゃ……しばらく姿を消しておるから好きにせい」

 そう言った少女は自身の肉体を霞のようにして、風に流されるまま空間に溶けた。

 甲殻に覆われた竜人の頭部は、触手から噴き出した紫色の体液を浴びて、更に表情が分からなくなっているものの、生き生きと笑っていることは確かだと分かる。そして、勢いよく飛び上がると、触手の群れとの衝突を回避して、異形の頭上へと飛んだ。が、

『ァァァァ……』

「ぐぅっ!」

 異形の唸った瞬間、竜人は上から押さえつけられるように地面へ落下し、重さによって地面にめり込んだ。体勢を立て直そうとするが、彼が持つ渾身の力を振り絞っても、膝立ち程度が限界だった。彼を取り囲む空間は、まるでピントが合っていない写真のようにぶれている。

「重力を操作しているとでもっ……!」

「うーん、それは何だか違うような気がするのう。勘だが、今のお主は自分の重さに耐えられなくなっている、そんな気がするんじゃ。恐らくは、その身体中に纏わりついている体液が原因なのではないか……?」

 姿こそ見えないが、少女の声は竜人にまで届いていた。

「手は貸さなくてもいいとっ……!」

「手は貸しておらん。知恵は貸しておるがな」

 竜人が虚空に見出した少女の顔は笑っている。

「…………」

「はあ、これは独り言じゃ。聞き流してしまっても構わん。恐らくそれは、呪いの類ではないと思うから、アレを倒してもお主の鈍化が治らない、なんてことはないと思うのう。ありえないが、番が死んでしまった場合もそれは解けるじゃろ。そこいらで死んでいる鳥が証拠と言えるだろうな」

 少女はすらすらと言葉を紡いでいく。

 しかし、それらは解決の糸口となるようなものではなかった。

 眼前の異形は口を大きく開き、強い粘り気と腐臭を持った唾液をだらりと地面に落とす。その歩みは非常に鈍重だが、確実に竜人との距離を詰めている。それと同時に、消えた少女の行方を背中の触手が、木や地面を蛇のように這いまわって探している。自身は目の前の新鮮な食事にのみ総ての注意を向けている。その表情は何処か嗤っているように見えた。

 だが、

「つまり、真正面から捻じ伏せれば良いということだな?」

「脳筋じゃな……好きにせい」

 不貞腐れたかのように深い溜息を吐いた後、ふっと竜人の周囲にあった気配が消える。

 瞬間、暴食の異形を睨みつける、竜人の紅き瞳が煌々と輝き、澄んだ青紫の空は分厚い雲で覆われた。

「ここまでしてやられるとは思わなかった。……正直に言って、そこまで激しい戦いを繰り広げたわけでもないが」

 頭上の雲が大きな唸り声を上げる。

「とにかく、それもこれも私の油断が招いたことだ。全く情けない」

 雲の唸りは更に増し、轟音とともに眩い光を大地に落とす。紫色の稲妻は竜人たちのすぐ近くにあった大木に被雷し、その衝撃によって約三〇メートルはあろう木は真っ二つに割れ、紫色の炎が奔った。続けざまに森の至る所へ紫色の雷が落ちる。

 鼓膜を破ってしまうほどの轟音と、世界を染め上げるような光によって、暴食の異形は大きく飛び上がり、その歩みは止まるどころか大きく後退してしまう。落雷が終わった後も、四本の脚は前ではなく後ろへ進んでいく。

「悪いが逃がさない。このままお前を逃がしてしまえば、この森の命総てを枯らしてしまい、私はここで狩りが出来なくなるだろう。それは非常に困る。だから逃がさない」

 竜人はゆっくりと立ち上がる。その身体は未だぶれており、押しつぶされるような感覚に相も変わらず包み込まれている。だが、唯一露出し、眩い光を放つ紅き左眼が暴食の異形の動きを封じ込める。それは竜人の威圧だけによるものではない。

『ッ……』

 異形の肉体は、落雷した箇所で燃え盛る紫色の炎から射出された光の鎖によって、絡めとられる。始めは前脚、続けて首、後ろ脚。最後には背中の触手ごと胴体を鎖で雁字搦めにされ、思うように身動きが取れなくなる。必死に抜け出そうと腕や触手をばたつかせるが、光の鎖は更にその締め付けを強め、動きを封じられる。

「逃がさないと言ったよなあ!」

 竜人が言葉を紡ぐと同時に、空に浮かぶ雲が低い唸り声を轟かせ、紫色の光が視界を染め上げる。生理的な反応によって、暴食の異形の身体が飛び跳ねようとする。その動きのせいで、異形の肉に雷の鎖が更に食い込み、肉が裂けるような痛みと、鎖が肌に焼きつく激痛が奔る。事実、鎖が絡まった箇所からは煙が上がっていた。

「お前が他にどんな能力を持っているか分からないし、後で破片から再生、復活などということになっては困るから、最高の破壊力を以って細胞のひとかけらすら焼き尽くしたい。だが、この攻撃は溜めに時間が掛かってしまってな。いつもこうして動きを止めている」

 遥か頭上の天に輝く紫の太陽は、地上のものを総て紫色のフィルターに掛ける。地面からは薄っすらとした何本もの雷の幻影が、異形を中心に取り囲むようにして現れ、その距離を徐々に縮めていく。

「その雷は目印であり、お前に天の怒りが降り注ぐまでの刻限だ。……じわじわと相手を追い詰めるような下種な行為だから、正直に言って好きではないがな。恐らく、痛みはないはずだ。それで許してほしい。……いや、やはり許さなくてもいい。怨み続けろ。お前を殺すのは私の個人的な理由だからな」

 竜人が言い終えるのと、ほぼ同じ時に幻影が異形の肉体に収束し、一際強い輝きとなる。そして、それは天に輝く紫の太陽へと昇っていき、頭上から龍の咆哮のような轟音が響く。

「長々とすまなかった。じゃあな」

 天の光は視界を紫から紅へと染め上げ、咆哮は空気や肌を痛いくらいに震わせる。

 振動によって竜人の左眼の周りを覆った甲殻に罅が入り、そこから黒い血が溢れ出す。そして、紅き怒りは遥か下の異形に向けて解き放たれた。紅い光は異形を包み込むように降り注ぎ、その肉を圧倒的な熱によって焼き尽くす。いや、消し飛んでいく。一片の細胞の欠片すら残さず、一個の生命として持つはずの権利を無視して、この世から存在を消し去っていく。後から続くようにして、激しい雷鳴が轟いた。轟きは異形の断末魔を塗りつぶし、怨みの呪言すらも殺すのだ。何もかもを殺してしまう天の怒り。それは何モノよりも無情で、何物よりも美しい紅い輝き。だが、その美しさは無機質で空虚、。

 竜人は強烈な光を前にしても瞼を閉じず、異形の行く末を見守る。やがて、光は消え、異形の死体が残るはずだった場所には、天に昇っていく青白い煙と赤熱化した大地だけが残されていた。その間、竜人の周りからは黒い血が流れ続け、彼の頬を、胸を、果ては足元にある、犠牲となった動物たちの血に染まった大地さえも真っ黒に塗りつぶしていく。それはまるで涙のようだった。

「終わったようじゃな。大丈夫か?」

「ああ……。思いの外疲れてしまったな」

「まあ、あれだけの破壊力を今の状態で使ったらのう……ほれ、掴まれ」

「すまない」

 姿を消していた少女が姿を現し、息を切らしながら立つ竜人の肩を支える。黒い血が少女の美しい青の着物や陶磁器のように白いきめ細やかな肌を汚すが、彼女は全く意に介していないようだった。

 二頭はゆっくりと元来た道へと引き返そうと身体の向きを反転させる。しかし、

「いやあ、助かったよ!」

 そんな二頭の背後から声が掛かる。竜人は未だに身体に力が入らないのか、振り向くことが出来ず、代わりに少女が後方に睨みを利かせる。少女の視界には、一匹の黒猫が血の染み込んでいない地面に佇んでおり、自身の持つ青い瞳を向けてきていた。

「ふむ、猫か。あの大飯喰らいを前にして良く生きておったの」

「僕はただの猫じゃあない。あいつの前から姿を消すくらい楽勝さ」

 猫は口を動かさずに声を届けてくる。

「それだけか? こいつを早く休ませたいから、もう行かせてもらうぞ」

 少女は猫の言葉をどうでもよさげに切り捨て、再び歩き始める。

「ああ、待って待って! お礼だけ言いたかったわけじゃあないんだ!」

「なんじゃ、歩きながらでもよいか? 少しでも不審な動きをしたらその首を刎ねる」

「物騒だなあ? まあ、いいさ。こういう時は……そう単刀直入? 単刀直入に言うと僕もさ、君たちに着いていきたいなーって」

「はあ? 貴様正気か? そもそも、妾たちに着いてきてどうすると言うんじゃ」

「あいつに仲間や友達を随分と食べられちゃったじゃない? だから、君たちに着いていきたい、あわよくば恩ってヤツを返せたらなあ、と思うのさ。こう見えても義理堅い男だからね」

「男だったのか。まあ、そのいけ好かない喋りは確かに雌のそれではないの」

「で、どう? 僕のこと連れていく気にならない?」

「妾は番とおる時間が減るのが嫌じゃから、反対じゃ。番はどうかの?」

「……私はお前の判断に任せる」

「という訳じゃ。勝手に恩を感じて、何処へなりとも行ってくれ」

「……という訳だ」

 二頭は心なしか歩く速度を速める。

「ええっ。それは困る! 僕はこれからどうやって生きていけばいいのさっ」

「いきなり本性を出しおったわ。貴様、鼻っからこちらに寄生する気満々ではないか」

「僕はこう見えても結構役に立つよ! 相手の視線には敏感なのと! ちょっとした幻覚を見せることが出来るんだ! どうだい、結構役に立つと思わない?」

「ぶっちゃけ、妾たちごり押しで何とかなるし」

「さっきは、なるべく長い時間戦っていたかったから手加減をしていたが、ぶっちゃけあの紅い雷を使えば、どんな相手でも確実に倒せる。距離で威力が下がらないし」

「ええ……。流石に脳筋すぎやしないかい? いやいや、ぶっちゃけ? ぶっちゃけ、そこの黒い彼さ? 相手の能力にまんまと引っ掛かってたじゃない? その様子から見るに、その攻撃は連発出来るもんじゃあない。そうでしょう?」

「龍の姿に戻れば連発できるが……」

「こうなった時は妾が助ければよいし……」

「ええ……? まあ、いいや。僕の話を最後まで聞いておくれよ。もしも、もしもだよ? 君たちがピンチになった時、力押しじゃあ出来ないことをしてあげられると思わないかい。こういった目立たない駒がいると中々役に立つと思うけどなあ! 痒い所に手が届く仲間が欲しいあなた方にぴったりな能力を取りそろえております! ああ、ごめんごめん! 勿論っ、そこの白い彼女の要望を叶えるために、あんまり近寄らないからさっ! ねえ、いいでしょう? 利益は少ないかもだけど、不利益はないはずだよ?」

 いつの間にか黒猫は二頭のすぐ近くまで来ており、その頬を竜人や少女の足に擦り付け、上目遣いと甘えるような鳴き声を上げてくる。

 その様子に、二頭はうんざりとした表情を浮かべ、あまつさえため息を吐いた。

「はあ……しつこいのう。番、こいつどうするんじゃ?」

「連れて行った方がいいんじゃあないか、とは思う」

「うんうん! だよねだよね! 欲しいよね!」

「別に欲しいとまでは言っていないが……」

「そこは冗談でも言って!」

「注文の多い猫じゃ……」

 そうこうしているうちに、二頭と一匹は森から出る。

 すっかり晴れ晴れとした紫空から降り注ぐ陽光はやけに眩しく思えた。

「ふふ……」

「どうしたんじゃ? 怖い笑い声を上げて」

「いや、随分と賑やかになったと思ってな」

「そうじゃな。番と妾だけの時より、騒がしいのう」

「ああ……」

 二頭は微笑を浮かべた後、元の姿に戻ると一気に空へ昇った。

 そして、大空で至大な翼を広げ、元の島へと。





「ってえ! 待ってよ! サラッと置いてかないでよ! ねええええええええ!!!」

「あ」

 これは出会いの物語。

 いつか来る別れの時の序章。

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