episode7-11

「え!? 何この体勢! 何するつもりなんです!」

「お主、青き雷を持つものならシャキッとせんか」

「そうね。第一夫人さまに同意するわ」

 隆一は【水龍】に首根っこを掴まれた状態で、瓦屋根の上につま先立ちになっている。

 異形の存在故か、【水龍】は片手で比較的体格が良い方である隆一を軽々と持ち上げる。

 その様子を白髪の女が、同じく瓦屋根に腰を降ろしながら見つめている。彼女は変わらず、東藤がいるという方向を指差している。それは恐らく【水龍】にそれを教えるためだろう。

「ちょっとアンタたち! ウチの屋根で何するつもりなのさ!」

 下の縁側からスリッパを履いて出てきた風切が、屋根に向かって叫ぶ。

「あー第一夫人さん、あのボロボロの建物だから」

「どれじゃ? ふんふん……? おお、アレか」

「師匠! こいつらは俺と! 一緒に戦ってくれる仲間なんです! だから、信じてくださあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

「こいつらとは何じゃこいつらとはああああああああああああああああああああ!!」

 【水龍】が隆一を振り回し、その勢いで力任せに宙へ放り投げる。隆一は物凄い勢いで空を、風を切り進んでいく。それはさながら紙飛行機のようであり、また、砲丸のようでもあった。いずれにせよ、見事な投げぶり、投げられぶりであることは間違いない。

「おー綺麗に飛んだのー」

「そうね、綺麗ね。ところで、」

「ん? どうしたんじゃ?」

「下にいる風切さんにどう説明するのかしら?」

 そう言って白髪の女が、下で放心している風切を指差す。

「ほへー」

 風切は口の端から涎が落ちるのではないかと思わせるほどに、ぽかんと口を開いている。

 その様子を見た【水龍】と白髪の女は、顔を見合わせると再び困ったような顔を浮かべて頭を抱える。

「……どうしようかの」

「さあ?」





「ハァァァァ」

 見えざる外套を身に纏う上沢堅志であった異形は、決して口とは言えないような場所からため息のような空気を吐く。その水流のように細やかな揺らめきを持つ身体は、自身に当たる光を水面のように歪めながら、その怪しい輝きを周囲に振りまいた。

「ハァァァァァァア」

 それは最早人語を介さず、ただ人智を超えたおどろおどろしさを放ち威圧するのみ。

 東藤は背中が冷たい汗で濡れる感覚を覚えながらも、異形へ向けて拳銃を構える。しかし、それが異形への決定打にならないことは東藤が一番よく分かっていた。それでも、国松を生きたまま病院に送り、罪を償わせなければならない。それを達成するには、目の前の異形を何とかしなければならないのだ。

「……ハァァ?」

「……ッ」

 不意に、東藤と半透明の異形の内部で浮く骸骨の視線が、真向からぶつかり合う。ぽっかりと開いたその空洞には確かに目が存在している、そう思わずにはいられないほどに、異形は気迫に満ちていた。

 照準が上手く定まらない状態のまま、東藤は引き金を引いた。意思を持たぬ金属の塊は彼の意思に従うがままに火を噴き、熱された鉛の弾丸を異形へ飛ばす。弾丸は一瞬のうちに異形の肉体を穿つ。だが、

「ハァァァァァァ」

 異形の表面に食い込んだ弾は、一見して宙に浮いたままのように見えた。しかし、それは食い込んだだけで致命傷に至ってはいない、ということのようでもあった。現に異形は微動だにせず、表面に食い込んだ弾丸を不思議そうに撫でている。

 ある意味で予想通りだったお陰か、東藤はそれほど落胆せずに済み、次の行動に移ることが出来た。異形の内側にある骸骨を目印にして側面へ回り、再び弾丸を放つ。そうすることで、異形の注意を自身に引き寄せようとしているのだ。

 よし、この調子でこっちに気を逸らせば! ――――

 そうしているうちに、遠くからこの工場に近づく大量の車の音が聞こえてくる。東藤には分かる、それらはAPCOのものであった。彼らの力があれば目の前の異形を何とか出来るに違いない、東藤は一縷の望みを見出す。

「……――――!」

 今までとは明確に違う、叫び声のようなものを出す異形。そして、

「……ああッ! はあッ!」

 東藤の右の太ももが抉れる。まさに一瞬の出来事であった。異形が左腕の顎門を東藤のいる場所まで伸ばして噛みついたのだ。抉られた箇所は奇麗にスーツごと消失しており、傷口からは止めどなく生暖かい血が溢れ出していく。東藤はあまりの痛みにその場で膝を付いたまま動けなくなってしまう。

 異形の右腕は異常なまでに萎縮しており、それは東藤まで伸ばした左腕が元の長さに戻ると、右腕もそれに応じて元の長さへと戻っていく。

「ッ! ッ……!」

 国松と同じように痛みに耐えるために歯を食いしばる東藤。

 しかし、そうしているうちにも異形は東藤との距離をじわじわと詰めている。それは皮肉にも東藤の陽動に効果があったことを証明していた。不気味な空気が漏れ出す音がゆっくりと近づいてくる。

「……年貢の納め時というやつか。晴海、初海……すまない」

 意識が朦朧とするなか、東藤は妻と娘の名前を呼ぶ。それが諦めからくるものであったのか、それとも、彼なりの命乞いであったのか定かではないが、どちらにせよ異形の存在には何の意味もなかった。

「ハァァァァァ」

 異形の不気味な呼吸らしきものは、もうすぐそこまで迫っている。それは肉体と呼べる部分がないにも拘らず、生々しい生物としての熱を感じさせる。しかし、臭いはなく、何もかもがちぐはぐだった。

「っ……」

 最早、東藤には腕を上げる力すら残っていなかった。痛みすらも曖昧になり、視界がぶれ始める。揺らめくナニカに全身を包まれる異形の姿は、二重にも三重にも見えてしまう。だが、それすらも長くは続かず段々と瞼が閉じていく。

 東藤の前に立つ異形は確かに嗤いながら左腕を掲げた。左腕の先端にある顎門が男と女のどちらとも取れない叫び声を上げる。そして、それを東藤の頭部へと、

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ!!!!」

 東藤は背後の壁の向こう側から聞こえてくる、聞き覚えのある人物の叫び声によって、暗く深い闇へ落ちようとしていた意識を呼び戻される。

 非常に間の抜けた声の持ち主は鉄筋コンクリートを突き抜けて、異形の首らしき部分に直撃。だが、それでも勢いが止まることはなく、床に置いてあったドラム缶や作業機械をなぎ倒し、最終的に反対側の壁にぶつかることでようやく動きが止まる。

「痛え……」

「滝上……!?」

 到底、人体では耐えられないであろう衝撃を、ただ痛いの一言で済ませる青年、滝上隆一は何事もなかったようにゆっくりと立ちあがり、辺りの状況を確認する。

「大丈夫じゃあ、なさそうだな……」

 そして、血だまりを作る東藤と、同じく血だまりを作りその場で気絶している男、そして、揺らめきを身に纏う骸骨の異形を見た瞬間、間抜けた表情を一変させ、懐から一本のペン型の注射器を取り出した。彼はそれを己の左腕に押し付けると、内容物を一気に流し込む。

「…………!」

 隆一の身体中を不快な熱が駆け巡る。だが、それはいつものような陶酔感はなく、思考は何処までも明瞭だった。次第に彼の身体は吹き荒れる風と雲に覆われ、雲は唸り声を上げる青い雷を纏いながら回転を始める。しばらくして雲は動きを緩めていき、ゆっくりと風に流されていく。晴れ渡った元の場所は雨に濡れ、そこには、

「……」

 黒い身体に白亜を甲殻を身に纏う、白き魔人は泰然とそこにいた。

 魔人の甲殻で覆われた顔で唯一露出した紅き左眼が、見えざる肉体を持つ異形の骸骨を真っ直ぐに見据える。彼の左腕微には微弱だが無数の電流が奔り、それらは収束して躍動する雷の刃を形成する。

 異形も魔人の動きに合わせて、自身も戦闘体勢を取る。腰を低くして、腕が床に付きそうなほどにだらりと下げる。その構えによって、ただでさえ読みにくい異形の行動が更に予測困難になってしまう。

「……」

 両者はどちらからともなく動き出した。

 この状況を一刻も早く何とかしたいというのは、共通していたからである。

 魔人は異形の持つ両腕に注意を向けつつ一直線に走り、異形との距離を詰める。弾丸に勝るとも劣らない速さのそれは、一瞬のうちに五〇メートルはあったであろう距離の中ほどにまで進んだ。しかし、

「……!」

 異形の揺らめく頭部だけが伸び、魔人の顔に目掛けて直進してくる。

 魔人は本能的に危険を察知し、その攻撃を躱そうとした。だが、勢いはそう簡単に止めることは出来ない。魔人は敢えて勢いを落とさず、背中を地面に倒し、スライディングすることによって攻撃を躱しつつ、距離は更に縮めていく。後方から、何かが弾けるような音が聞こえてきたが、魔人はそれを気にしている暇などなく、ただ左腕の刃で異形の腹を一閃することだけに全集中を注ぐ。紅き左眼は燦然と輝き、眩く光る刃は唸りを上げる。

「ハァァァァ」

 近づいてくる呻き声から、異形の伸びた首が戻ってくることが分かる。

 だが、魔人の刃は最早異形の腹を裁断することが可能な距離まで近づいていた。後方には構わず、一刻も早く刃を異形の腹に押し当てようとする。そして、

「……ァァ!」

「ハァァ!!!」

 轟く叫び声を上げる光刃は魔人が横切る瞬間に振るわれ、異形の左の脇腹を掠めた。

 異形の肉体は一目見て傷を負ったのかどうか判断が付かないものの、苦痛に満ちた呻き声のような空気が漏れたことから、一定の傷を与えられたことは分かる。しかし、同時に一撃で仕留めることが出来なかったことも確かだった。

 魔人は異形の横を通り過ぎた後、歯噛みしつつ追撃する。接近して狙いを付けやすい胴体に向けて拳を放とうとする。

「ッァ!」

 だが、魔人は異形の見えざる腕によって脇腹を強打され、そのまま柱に激突してしまう。

 剥き出しになった鉄筋の柱は、紙細工のように容易くへしゃげ、悲鳴を上げる。

「ハァァァァァァ!?」

「……!」

 しかし、それ以上追撃は行われなかった。

 何故なら魔人が見えざる腕を脇に挟んだまま、放そうとしなかったからだ。

 魔人はそのまま異形の腕を、空いた右腕で何度も殴りつける。非常に奇妙なことだが、肉を叩きつけた時のような鈍い音が響き渡り、腕には確かな感触があった。

 怨嗟の炎を燃やす異形は、もう片方の腕で魔人の頭部を抉ろうとする。腕は先から二股に分かれ、大口を開けながら魔人へと迫っていく。

「……ァ!」

 夢中になっていた魔人の回避は僅かに遅れた。身体を仰け反らせたものの、顔を覆った白い甲殻、その右側部分が削り取られてしまう。削られた部分からは黒い肌と紅い右眼が露出し、見えざる異形を睨みつけた。そして、すかさず魔人は右脚に青い雷を纏わせ、放さずに抱えていた見えざる顎門に向けて、鋭い蹴りを放つ。

 荒々しい輝きを纏う右脚は轟音とともに、揺らめく腕を力ずくで引きちぎった。

 腕の断面からは血ではなく、代わりに揺らめく空気のようなものが漏れ出している。

「ハァァぁァァァァ!! ァァ!」

 異形は先程よりも強い悲鳴を上げており、確実にダメージを負っていることが分かる。白い甲殻を削り取った方の腕は伸び切ったまま、地面に打ち上げられた魚のように、砂埃塗れの床でのたうち回っている。

 その隙を魔人が見逃すはずもなく、彼は一気に異形との距離を詰め、腹部に先程と同様雷を帯びた蹴りを放とうとする。だが、それは出来なかった。

「…………」

 漆黒の甲殻に紅い眼、白亜の魔人に酷似した出で立ちの黒い魔人が、見えざる異形と白き魔人の間に、屋根を突き破るようにして飛び降りてきたのだ。黒き魔人は見えざる異形を守るように背を向け、白き魔人を睨みつけて牽制する。

「……滝上、一旦逃げろ。二体一じゃあ分が……悪い」

 東藤は地面に倒れ込み、薄れ行く意識の中そう言った。その表情や声色からは自分の命よりも魔人の、いや、滝上隆一の命を心から心配してのことであると分かる。だからこそ、

「……ィャダァァァ!」

 白き魔人は東藤を見捨てられなかった。彼の助言を、首をぶんぶんと振って否定する。

 黒き魔人と同様に、白亜の守り人は血に塗れた東藤を背にして構えを取る。

 室内は静まり返り、蝉の鳴き声や隙間から吹く風の音、そしてすぐ近くからはサイレンの音が聞こえてくる。それは魔人や東藤、国松にとって救いの音色であった。しかし、同時に黒き魔人と見えざる異形にとっては、敵が増えるということを知らせるものであった。

「――――!」

「ハァァァァ」

 黒き魔人と見えざる異形は、目下最大の障害である白き魔人に向かってくる。

 二体は示し合わせる訳でもなく、白き魔人を左右から挟み込むようにして接近する。

 白き魔人は東藤を戦火から遠ざけるために、異形の前に出た。そして、深手を負っている見えざる異形に向かって走る。いや、水平に跳んだと言ってもいいだろう。だが、

「――――ァ!」

「……ッァ!」

 黒き魔人は白亜の魔人の動きに合わせて、突風を巻き起こし、彼を壁に叩きつけた。

 そして、見えざる異形は白き魔人の着地点に行くと、彼に向かって顎門を放った。

 その攻撃に対して、白き魔人は横に転がることによって躱した。しかし、転がった所には黒き魔人が先回りしていて、頭を足で踏みつけようとしてくる。

「……ッッァァァァァァァ!」

 白き魔人は踏みつけてくる黒い脚を両腕で掴み、何とか頭を守る。すかさず、彼は紅い瞳を輝かせると左腕から強い電流を流し、黒い魔人に反撃する。

 振り下ろした脚を素早く退けて、黒き魔人は後方に跳んだ。雷に焼かれた方の脚は白い煙を上げる。黒い彼は苛立ちを露にしつつ、砂ぼこり塗れの地面を踏みにじる。

「ハァァァァァァァァ」

 だが、白き魔人に休む暇などは与えられなかった。

 見えざる異形は、未だ立ち上がっていない白亜の魔人に向かって再び顎門を放つ。

「……ッ!」

 白き魔人は飛び跳ねるように起き上がった。直後、元いた場所には大きな穴が開く。

 そして、白き魔人は天井に届きそうなほどに高く跳びあがると、左腕に収束させた青白い雷を細長い槍状に形作り、それを見えざる異形に向けて放つ。

「――――ァ!」

 異形はその動きに反応出来なかったが、黒き魔人は違った。瞬時に見えざる異形の前に移動し、右腕に纏わせた風の刃によって雷の槍を弾き、宙で霧散させた。

 白き魔人は一瞬取り乱したもののすぐに平静に戻り、次の手を打つために地面へ降りる。

 しかし、白き魔人が降りた先には、既に黒い魔人が目の前にいて、風の刃を振り下ろそうとしている直前であった。見えない刃に当たれば、如何に堅牢な甲殻で身を包んだ白き魔人と言えどタダでは済まない。だが、そうはならなかった。

「――――ッ!」

 黒き魔人が白い魔人の前から勢いよく飛び退いたのだ。

 その原因は、黒き魔人の頬部分の甲殻を一発の銃弾が掠めたことによるものであった。だが、それは東藤が撃ったものではない。威力もただの拳銃とは比べ物にならないほど強力で、狙いも正確だった。

〈本当は一撃で仕留めるつもりだったんだが〉

 銃声の後、聞こえてきたのは機械を通した声。

 それはとても落ち着いた声で、揺るがない意志を感じさせた。

〈遅くなって済まなかった。少し“服”が合わなかったものでな、手間取った〉

 撃たれた方向、そして声が聞こえた方をその場にいた誰もが注目した。建物の入り口には藍色の装甲鎧が立っていた。だが、背格好が合わない。隆一の妹の椿姫よりも頭一つぶんと少々高い。そして、肩幅も合わせて察するに中に入っているのは男である。そして、魔人にとってはよく知る人物であった。

「……トォサン」

 白き魔人から発せられた言葉。

 それから察せられる装甲鎧の中にいる男性、それは、

〈その姿で言葉を発することは出来ない、と聞いていたが成長かな。まあいいか〉

 そう言いながら藍色の鎧は、持っていた短機関銃を腿のホルスターに挿し、背中に括りつけられていた、長さ一〇〇センチほどの無骨な棒を手に持った。棒は鎧に柄と見られる部分を触れられると、勢いよく空気を噴き出し、柄とその中身を残して地面に転がり落ちた。

「――――ッ」

〈部下と息子がお世話になった。是非お礼をしたいが、生憎そう時間を掛けられない〉

 鈍く光り輝く、鍔のない無骨な直刀を構えた藍色の鎧、その兜の緑色の双眸が一際輝きを放った。装着者は人並み外れた気迫を持ち、異形に対してプレッシャーを掛ける。そして、

〈滝上家三五代当主……滝上隆源、参る〉

 更なる熾烈な争いが始まった。

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