episode2 運命の悪戯

「隆一! おはよう!」

「ああ、おはよう……。」

 雲一つない青空の朝、通学路で出会ったクラスメイト、竜ヶ森クロエに挨拶を返す。

「風邪平気? 元気ないみたいだけど。」

 風邪。学校にはそう伝えられているらしい。

 クロエからは隆一の体調を気遣う様子が見て取れた。

「平気、平気。三日も休んで学校に来るのが面倒になっただけだよ。」

 そう言って笑って見せる。その様子に

「そう? ならいいんだけど。」

 完全に納得したというわけではないが、にっこりと笑うクロエ。

 二人を爽やかな風と朝陽にさらされる。周囲を包む暗い気分は風とともに流れていった。

「……へえ、隆一なんか雰囲気変わったね?」

「そ、そうか? 気のせいじゃない?」

 隆一はクロエの視線と言えない自身の秘密から、誤魔化すように目を逸らした。

「そうかなあ? まあいっか。明後日のデート楽しみにしてるからね!」

「おう!」

 先ほどまでの疑るような顔から、満開の桜のようなクロエの笑顔に思わず顔が綻ぶ。

 帰ってきたんだ、俺は。――隆一は『風邪』を引いていた三日間の出来事を思い出す。



 午前一〇時。

「では、君があそこにいた理由を教えて貰えるかな?」

 昨夜の戦闘から数時間が経ち、太陽はすっかり登り切っていた。

 隆一は滝上家の親類が経営する、滝上中央病院の最上階に“入院”している。

 朝陽が指す病室。隆一は白いベッドの上で上体を起こし、東藤と名乗る中年の男と高水と名乗る若い男に尋問されていた。東藤の様子は険しい顔で質問し、高水は反対にのほほんとした様子でメモを取っている。

「えっと、木島って友だちの代わりにバイトで。」

「バイト? それはどのようなものか、詳しく教えて貰えるかな?」

 穴が開くような視線を痛いほど浴びながら、隆一は質問に対し真実を話す。東藤や高水は嘘を見抜くプロである。出会って間もない隆一にもそれは理解していた。下手な友情心を働かせ、嘘をつけばかえって木島の立場や自身の立場を悪くするだろう。

「川本駅近くにあるレンタルロッカーの四四番に入ってる荷物を、メールで送られてきた場所に届けるバイトです。そこには金も一緒に入ってました。」

「君は以前にもそのようなバイトをしたことがあるのかな?」

「ないです。昨日が初めてでした。」

隆一の対応が功を奏したのか、尋問のプロは特に疑う様子もなく質問は進んでいった。

「君があの薬、“ブルーアイ”を使用した理由を教えてくれるかな?」

「……妹を、皆さんを守りたかったんです。」

「君が君でなくなってしまってもか?」

 隆一はこくりと頷いた。

 東藤は真面目な表情で目の前の俯いた少年の顔をまじまじと見つめる。ある程度眺めると満足したのか次の質問に移った。

「君があの姿、白い鎧を纏っていた時のどんな内心だったか教えてくれるかな?」

「えっと、よくわからないんですけど。無我夢中というか、無心というか、そんな感じでした。でも、意識だけははっきりしてて、敵味方の区別はちゃんとついてました。」

「そうか。では、」

 東藤が質問を続けようとした瞬間、彼のジャケットの胸ポケットが振動する。入っていた携帯を取り出すとこちらに軽く会釈をし、電話に出る。東藤は淡々とした声だったがその表情は隆一に向けるものよりも険しかった。程なくして通話は終わり、高水に目配せをすると立ち上がった。

「とりあえずの所、君に聞きたいことは済んだ。ありがとう。」

「またね。」

 険しさを増す東藤と柔和な笑顔を浮かべた高水は部屋から出た。

 忙しい人たちだ。――隆一は漠然とそう思い、ベッドと同じ白い天井を見てため息を吐いた。外からは鳥のさえずりとともに、人々の喧騒が聞こえてくる。



 しばらくして、部屋のドアがノックされるとともに、父である滝上隆源が入ってきた。

「……元気そうだな。」

「……おかげさまで。」

 親子の間にはどこかよそよそしい雰囲気が流れていた。昨日の朝、半ば喧嘩別れ? のまま今日まで会っていなかったためである。

 隆源は隆一のベッドの近くに椅子を置き、いつもよりも硬い顔で話し始める。

「お前は自分が何をしたかは理解しているな?」

「……ああ。」

 隆一は昨日のことを思い出す。『ブルーアイ』を自身に投与した時のことを。

「お前の行動が、お前の優しさからきたものだということは分かる。そして、私はそんな優しい子に育ってくれたことを誇りに思う。」

「父さん……。」

 隆一は父が自身を認めてくれたことを密かに喜んだ。

 だが、――と隆源は続ける。

「私は立場上、アレを使用した者を野放しにしては置けない。それが、たとえ息子であったとしてもだ。」

 確かにそうだ。あんな化け物を街中に放り込むなど、事情を知っている者ならばあり得ない。自分も同じ立場ならば恐らくそうするだろう。

「……そうだよな。」

 滝上家が自身に家の生業を教えなかった理由がよくわかる。あんな化け物のことなど知らなくても良いなら教えないに限る。

「だから……。」

「……。」

 父の言葉に隆一は固唾を呑んで続きを待つ。病室には重々しい空気が流れ、隆一の身体からは心なしか冷や汗が流れ出てくる感覚に囚われる。

 隆源は重い口を上げた。

「お前には魔狩師の、いや、超常生命体対策組織APCOに所属、悪く言えば管理下に入ってもらう。」

「……そっか。」

「お前を実験材料にしようと表立って言う人間はいなかったが、そのように事を運ぼうとする態度を示した者もいた。お前を守るためには、お前が戦闘要員として実験材料にするよりも有益であると説得するよりなかった。すまない……。」

「いいよ。気にしなくて、俺今こうして生きていられるだけですごく安心してるんだ。それに元々は椿姫じゃなくて俺がするはずだった家業なんだろう?」

 思いつめた表情をする隆源を気遣う隆一。その顔は苦笑いのようにも、自嘲するようにも見える。

「定期的な検診や採血もしてもらうことになる。こればっかりは私の力でもどうすることも出来なかった。」

「分かった。」

 その後も淡々と話は進んでいった。終始隆源の表情は暗澹としていたが、を出る頃にはいつもの雰囲気を取り戻していたように隆一は感じた。

 一〇分程経っただろうか、白衣の男と女が入ってきた。

 二人は隆一に採血する旨を伝えると、左の二の腕を縛り、消毒して血液の採取を始める。女の方がやけにこちらを凝視するのに隆一は気づいたが、ブルーアイの服用者であることが恐ろしく、気になって仕方がないのだろうと思い、深くは考えないことにした。

 採血中、隆一は女の毒々しい赤の口紅に目を奪われるが、あまりじろじろ見るのも怖がらせてしまうだろうと思い、すぐに目を離した。

 採血は思いの外、早く終わった。

 二人組は用事が終わると早々に部屋を退出した。女が部屋を出る時に自分を見ていたような感覚がした隆一だったが、すぐに勘違いだと思い、窓の外を眺める。外からは人々の喧騒が聞こえてくる。

 ここは酷く退屈だ。



 午前一一時一七分。

 東藤と高水は滝上市水木町にある、阿久野不動産の前で現場の警察官と情報共有を図っていた。

 ビルは瓦礫やデスク、棚、ガラスなどが散乱し、肉を焦がしたような生々しい臭いが立ち込め、凄惨たる有様だった。

 周囲には消火作業を終えた消防士が撤収作業を行ったり、記者や野次馬が警察官に何かあったのかと質問攻めしたり、勝手な噂話を繰り広げている。

「謎の爆発事件、これで三件目ですね。」

「ああ、例によってまた粉塵爆発だ。」

 ここ二週間で起きている謎の事件。いずれも阿久野不動産やその系列を狙っており、爆破の方法は粉塵爆発という変わった犯行であることがこの事件の特徴である。

「ただ、今回は爆破に失敗したのか、軽い火傷を負った人が三名だけであとは全員無傷で済んだのが幸いでしたね。」

「目撃情報も得られた。厄介な香りがぷんぷんするがな。」

「背中からパイプが生えた化け物……ですか。」

 高水は情報をまとめたメモを眺めながら、怪訝そうな顔を浮かべ言う。

「お前もいい加減慣れるんだな。」

 高水を、自身を戒めるように東藤は言った。

「それにしても阿久野不動産ですか、あんまり良い噂を聞きませんねえ。光る物件には嫌がらせをしてでも売らせるって話ですよ。」

「高水、現場だぞ。」

 現場で不用意な発言は命取りだ。今やどこから情報が漏れるか分かったものじゃない。APCOに悪評が付いたら、今後の活動、最悪存続にも影響を与えかねないだろう。東藤は部下の失言を静かに咎めた。

「東藤班長!」

 背後から自身をそう呼ぶ声に振り返る東藤。そこには白衣を着た小柄の二〇代前半の女性が東藤目掛けて小走りで近づいてきていた。

「店内に散らばっていた、爆破に、使用されたと思われる、粉末の、採取が、終わりました。……すぐにでも研究棟に運びたいのですが、その手続きとか……。」

「心配ない。そこら辺の所は済ませた。」

 東藤は息を切らしながら話す白衣の研究員に少し呆れながら答える。

 女はその言葉に疲れた顔を輝かせると

「それでは、研究棟に一足早く向かわせていただきます!」

 軽く礼をして、足早に黒いバンに乗り込みその場を去っていった。

「騒々しいですね……。東藤さん?」

「ん、ああ。」

 その視線の先には、野次馬より少し離れたところから周囲を気につつ建物を覗こうとしている身なりの良い青年の姿があった。

「どうかしましたか?」

 近づいて見ると青年の顔は思ったより多少老け込んでいたが、実際の年齢はまだ若いのではないかと東藤は感じた。

「あっいえ……大きな音が近くからしたものですから、少々気になっただけですよ。」

 東藤の問いにそう答えると、青年は足早にビルの前から立ち去る。

「まあ、爆発音が聞こえちゃ気になるのも仕方ないですね。」

「……そうだな。」

 東藤に刑事だった頃の勘が青年に何かあると告げていたが、それがどんなものかは分からなかった。

「……情報を整理しに本部に戻るぞ。」

「そうですね。」

 東藤と高水は黒い車に乗り込み、現場を後にした。



 午前一一時三二分。

退屈に耐え兼ねた隆一は下に降りて、病院内を徘徊していた。しばらくして一通り院内を巡り、外の庭園のベンチでカップコーヒーを呷っていると

「浩介くーん! 浩介くーん!」

 浩介という名前を叫びながら辺りを走り回っている看護師に出会った。

「どうかしましたか。」

「はい……あのぉ、浅見浩介くんという一五歳の男の子なんですけど。」

 看護師によると浩介という少年が昼食の時間を前にして忽然と姿をくらました。体調が良くなってからは度々あることらしいのだが、それは取り敢えず置いておくとして、院内はすでに調べ尽くしたため残るは外だけであった。

 浩介は昔から身体が弱く、二年ほど前からはこの病院で生活しているとのこと。

「手伝いますよ。」

「え、でも……。」

 看護師は隆一の服装が病衣であるため、戸惑っている様子だった。

「あ、全然平気ですから!」

 自信満々に軽くウォームアップをして見せる隆一。その姿に看護師は半ば折れるように

「よろしくお願いします。私はあっちの方を探しますから! でも無理はしないでくださいね!」

「はい!」

 一通りの容姿を聞くと、隆一は記憶する中で初めて全速力で芝生や石道を駆け抜けた。

 滝上隆一には六年前、一一歳以前の記憶がない。それは崖から足を踏み外したことによる転落事故によるものであるという。奇跡的に一命は取り留めたものの、後遺症として記憶を失い、全力で運動することも医者からは念のため禁止されていたのだ。

 初めて全力で走ることの喜びで本来の目的を忘れる。

 ただ走りたい、この爽快感を全身で受け止めたい。――隆一は願った。

 もっと、もっと。

 隆一は気付かない、自身を絡めとろうと位置する……石ころに。

「危ないですよ!」

「へ? うわあ!」

 隆一を引き留める声がこの昂りを収めるには少し間が遅かった。隆一は全身で溢れんばかりの情熱を芝生に叩きつける。

「だ、大丈夫ですか?」

 声の主は年若い少年のものだった。その声はこちらの安否を心底心配している。

「う、平気、平気。ちょっと気持ちが昂っちゃっただけ。」

 隆一はそれほど痛みに襲われはしなかった。むしろ、気恥ずかしさの方が強かった。

「はい、どうぞ。」

 少年がこちらに手を差し伸べてくる。

「ありがとう……。」

 握った少年の手はほんのりと暖かく、男らしからぬ柔らかさとすべすべとした肌触りをしていた。しかし、引き上げる力はとても力強かった。

「俺は滝上隆一。君は?」

「……僕は浅見浩介と言います。」


 本当に、運命とは数奇なもの。

 これが、隆一にとって忘れられない三日間の始まりだった。

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