第9話「酒は憂いの玉箒」

「説明が必要かな? 必要だよね。だと思ってやってきたよ」


 髭面のおっさんは、またしても天井を突き抜けて現れた。床を綺麗にしておいたので、髭に汚れがつくことはないだろう。


「待ってたぞ自称神様」

「実際に神様なんだけどね、まあいいか。で、君は日本酒女子が見えているのかな。見えているんだよね。だからおじさんを待っていたんだもんね」


 食堂のテーブル、向かいの席には上代先輩が座っていた。

 俺は上代先輩を認識できていた。

 時間は昼、周りでは学生たちが学食を口に運んでいる。すっかり太陽は昇りきっているのにも関わらず、先輩は俺の前でガーリックラスクをかじっている。


「理由を聞かせて」

「ううむ、どうしてかな、なんて不思議がるまでもなくおじさんには分かっているぞ。君たちは昨日たくさん汗をかいたね。どっちかの家?」

「ホテル」

「へえ、それはまた、お楽しみだったようで」


 へっへっへ、と下衆な笑み。

 正直に伝える必要があったのだろうか。


「人間の身体って水分がかなりの量を占めてるよね。でさ、おじさんは、その時点における身体の構成要素を徐々に変化させているのよ」

「つまり……」

「うん、分かったかな。昨日の性交でお楽しみになりすぎて、水分の排出と摂取を繰り返した結果、水分の循環によって神として承認されない程度にしか日本酒化しなかったんだよね。完全な人間ではないけれども、完全な日本酒にもならなかったということよ。日本酒女子が中途半端女子になってしまいました」


 なんという。

 馬鹿な理由で。


「でもまあ、昨日を乗り越えたから安心ってわけでもないのだよ。完全な日本酒の神様がいないのは相変わらずだし、おじさんがまた術……でいいか、をかければ、いつだって上代先輩さんを日本酒に変えられるんだからね」

「そのときは、またどうにかする。今回みたいに」

「…………」


 上代先輩が顔を伏せた。昨晩のことを思い出したようだった。


「あの、先輩……。そう恥ずかしがられると、ちょっと……」

「恥ずかしいこと言ってるの君だからね?」

「いや、まあ、はい……」

「…………」


 どうにも恥ずかしくなってきて、黙ってしまう。


「もしかして、もしかしたらなんだけど。おじさん定期的に来た方がいい?」

「来なくていい」「来なくていい」


 同タイミング、一言一句違わず同じ内容。「おじさんを蔑ろにすると社会ではやっていけないぞう……」と捨て台詞を吐いて、神様は天井に消えていった。

 残ったのは、恋人になった二人。


「……さて、先輩。どうしましょうか」


 日本酒になっただとか、先輩が消えてしまうだとか。神様だとか、擬人化だとか。面倒事も厄介事も、とりあえずは落ち着いた。

 すっかり忘れ去ることは、しばらくは出来ないかもしれないけれど。


「まあ、そりゃ、アレだよ。勿論」


 酔って、楽しんで、勢いで活動して。

 憂いも何もかも、すべて掃き飛ばす。取り除く。


「呑みに行こうか」

「講義後に、ですけどね」


 故に。

 酒は憂いの玉箒。

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酒は憂いの玉箒 大河 @taiga_5456

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