第九幕「円弧の剣」

「……あら? 《フライング・ダッチマン》が索敵範囲から消えたわね」


 首を傾げるロゼに、ドロシーはため息をついた。


「撮れ高あったから満足したんでしょ。

 ったく……人の映像で再生数稼いで」


 船内に戻ると、目の前にエプロンドレスに身を包んだ小柄な少女が立っていた。

 ……小学生くらいだろうか? 睦より頭ひとつ分以上は小さい。


「睦さん。お食事準備、できてるです。食堂来て下さい」


「えと……キミは?」


「食堂こっちです。ついてきて下さい」 


 睦の問いかけには答えず、小さなフレンチメイドはパタパタと早足で歩いてゆく。

 食堂室にたどり着き、テーブルの椅子を引くと、彼女はペコリと一礼してそのままどこかへ消えてしまった。


 テーブルの上には湯気を立てる出来たてのイングリッシュ・ブレックファストが並んでいた。


「まったく、慌ただしい朝でありますな。睦殿、ご一緒しても?」


 睦がうなずくと、コーヒーカップを持ったスズリは正面の席に腰を下ろして帽子を脱ぐ。


「スズリもコーヒーとか飲むんだ」


「味わうほどの高尚な舌もなく、滋養にもならなければカフェインも効かないのでありますが。

 なんというか、人と食卓を囲む上でのポーズのようなものであります。

 まぁ、しいて言うなら香りは好みでありますな」


「さっきの子って、誰? まだ紹介されてない気がするんだけど」


「あれはアヴァロンのポーンでありますよ。

 あれと同じのが、この船には何機も乗っているであります」


「ああ、あれが……」


 現在、世界で最も普及しているオートマタは、

 “第二世代ジェネレーションセカンド” と呼ばれるタイプだ。

 生体素子バイオピクセルを使用したスズリら第四世代ジェネレーションフォースとは異なり、従来のロボット工学の文脈で造られた、低性能だが量産性の高いボディを持っている。

 グランギニョールのオートマタたちの模造品イミテーションも、この第二世代ジェネレーションセカンドのボディをベースに製造・販売されている。

 そして拠点船ベースシップに乗り込み、演者たちの身の回りの世話をする第二世代ジェネレーションセカンドの量産機たちは、「ポーン級」と呼び慣わされていた。

 睦も以前の観戦を通して知識としては知っていたが、カメラの前には出てこない彼女らを、こうして見るのは初めてだった。


「食べないのでありますか? 冷めてしまいますよ?」


 スズリに促され、睦はようやく朝食のことを思い出す。


 半熟具合が絶妙なベーコンエッグに舌鼓を打ちながら、睦は先ほどの思いつきを口にした。


「ねぇ、スズリ。ボク、いっぺんブルーメロゥと本気で喧嘩してみようと思うんだけど」


「本気でありますか? 

 相手は戦闘型でありますよ?」


 コーヒーをすするスズリは半ば呆れながらも、どこか愉快そうに問いかけた。


「うん。勝てないまでも、せめて一発イイのをお見舞いできたらいいなって。

 ちゃんと喧嘩のていにさえなればいい。

 ……無理かな?」


 睦の目の前にスズリの三本の指が突きつけられる。


「ひとつ。基礎的な武器の扱いを習得すること。

 ふたつ。狡猾になること。

 みっつ。おのれの痛みを恐れないこと。

 以上が守れるならば、本気のブルーメロゥの横っ面を張るくらいはできましょう」


「できるよ。そういうルールに自分を合わせるの、得意なんだ」


「後ろ二つは精神論。

 なれど最初のひとつは心持ちではどうにもならない技量、

 研鑽と熟練、すなわち功夫クンフーが不可欠であります。

 なれど睦殿はあの猪口才ちょこざいなブルーメロゥめを今日明日にでもしばき回したいとおっしゃる」


「いや、そこまでは言ってないけど……」


「そこでふたつめ。少々ずるい手に訴える必要があるのですな。

 なぁに、寝込みを襲い、あるいは後ろから喉笛をこうというのではありませぬ。

 ちょっとした抜け道、付け焼き刃の切れ味を増す程度のものでありますよ。

 そうと決まれば卑怯は急げ。自分は一足先に、用意をしてくるであります。

 睦殿は朝食、どうぞごゆっくり」


 スズリはコーヒーの残りを飲み干すと、帽子をかぶり直して席を立った。


 睦がバタートーストの残りを頬張っていると、


受信レシーヴ。水城遊離』


 QPがテキストメッセージの受信を告げる。


『言い忘れてたけど今回のオープニングアクト、社交ダンスだからその練習も忘れずにね。

 お相手は誰でもいいから、睦ちゃんが見せびらかしたい子と踊ること。

 以上、要件のみだけど、よろ〜』


「ダンスかぁ……上手に踊れるかな」


 呟きながら受信箱をスクロールするが、他に着信はない。

 学校を飛び出してもうじき丸二日経とうとしている。

 友達はもちろん、両親からも一言もないということは、

 おそらく睦の通信はフィルタリングされているのだろう。


「皆、ボクがいきなりニュースに出てたらびっくりするだろうな……」



 ◆◆◆



 モンストロ船内、A-2訓練室。

 板の間の道場で、睦は木刀を手に目を輝かせる。


「すごい! ボク、本物の木刀って初めて持ったよ!!

 修学旅行のとき売店で売ってるのは見たけど!!」


「木刀の時点で真剣ホンモノではないのでありますが」


「スズリはボクに剣道を教えてくれるの?」


「そのつもりなら、使うのは木刀でなく竹刀であります。

 今回は木刀の “り” なくしては成り立たない技術――

 居合の『かた』を習得していただく」


かた……」


かたとは相手の攻撃をいなし、一撃し、再び構えるまでの一連の所作。

 その理想的な流れを示すもの。

 極めれば惑うことなく、自ずから望ましい太刀筋がたち現れる。それすなわち神速の剣。

 一発入れられれば、良いのでありましょう?

 で、あれば居合はおあつらえ向きでありますからな」


かたって、スズリも使ってるやつだよね」


「いや? 自分の剣術は我流、いわゆる無形むけいでありますが」


「え? でも、ほら、カスパールと戦ったとき、

 『ろくの型』……とかなんとかやってたじゃん!!」


 ムキになる睦に、スズリは苦笑を漏らす。


「あれは居合の『かた』ではないのであります。

 ただの思いつきで、その場しのぎで、テキトウで、

 言うなれば単なる、アドリブであります」


「ア、アドリブ……?

 なんでそんな……スズリはあれなの、

 ああいうタイミングで不意にカッコつけたくなっちゃう系の病気の人なの」


「それも多少はありますが、何よりもまず、睦殿が自分の戦いを撮っていると知ったからであります。

 いわば一種の自衛……のようなものでありますな」


「技の名前を言うことが、どうして自衛になるのさ」


「……ふむ。ではひとつ、実演してしんぜよう」


 スズリは木刀を手に取り、睦に向けて正眼に構える。


いちの型、傀儡堕くぐつおとし」


「ひっ!?」


 放たれた殺気に睦は身をすくませ、とっさに顔の前に剣を構えた。

 その足元を、スズリは木刀の先でちょん、と小突く。


「いって」


「ほら、こうなるでありましょう?

 自分と戦おうとする者は、まず間違いなくあの動画を見ましょう。 

 一度ひとたび一太刀で首を断ち落とされるところを見せつけられれば、

 『傀儡落し』という言葉は自ずと、上方横薙ぎの剣筋と結びつく。

 相手はとっさに首を守る。自分はやすやすと脚を斬り崩す。

 本来柔軟であるはずの防御が、技の名を知ってしまったばかりに不自由になる瞬間であります。

 そういう策を、自分は張らせていただいたのでありますな。

 クラスの皆には、内緒でありますよ」


「な……っ。そんなのってズルいよスズリ!!」


「狡猾になるとは、そういうことであります。

 大丈夫大丈夫、平気平気、最後まで生きてた者が正義。

 死人に口なし、弁護士だってつかないのであります」


「……つまり、こういうこと?

 いざ試合となったらそういうズルい手を使ってブルーメロゥの隙をつき、

 無駄のない居合の一撃を最速でブチ込む、と」

 

 スズリは白手袋の指を鳴らす。


「さすが睦殿。物分りが早い。

 まぁ、一撃入れた後は間違いなく一方的にボコにされましょうが、

 少なくとも睦殿がお望みの喧嘩ができるはずであります」


「……いいよ、やるよ。

 どうせもう嫌われてるんだし、これ以上失うものなんてないよね。

 教えて、スズリ。ボクの本気を、あの子にぶつける方法を!!」


 決意に溢れ、前のめりで言う睦の手から、

 スズリは木刀を取り上げた。

 代わりに持たされたのは、長方形のティッシュ箱。


「はい」


「これは?」


「ティッシュ箱であります」


「これを?」


「両端を持って頭越しに両手で投げるであります」


 放物線を描いた箱は、数メートル飛んで床に転がる。

 睦の目は点になった。


「…………これが?」


「飛距離を倍にすること。

 それが睦殿に形を教える、第一条件であります。

 さあ、投げるのであります!!

 思いのたけのありったけをティッシュに込めて!!」


 わからない。

 スズリが何を言ってるのか全然わからない。

 わからないけれど、こうなればヤケである。


「くのらぁああああっ!!」


 気合いとは不釣り合いにふんわり飛んだティッシュ箱は、

 倍には程遠いながらも先ほどよりも少しだけ遠くへ落ちる。


「やった!?」


「おらおらー、休んでないでビシバシ投げるでありますー」


 額の汗を拭い、ティッシュ箱を拾っては投げ、拾っては投げ。

 ボールを投げる飼い主と犬を、両方一人で演じるかのように。

 ちょっとだけ楽しくなってきた頃、ふと道場の扉が開き、


「……何、遊んでるんですか」


 ブルーメロゥが失望の眼差しを残して去っていった。

 睦はその場にガクリと膝をつく。


「スズリぃ……ボク、めげそう」


「やれやれ、仕方ないでありますなぁ。

 日本刀とは反りのある片刃の剣。

 その斬撃が最大の効果を発揮する、最も基本の太刀筋こそ円弧の軌道。

 両手を使った放物の所作は、その軌道に通ずるのであります。

 つまり箱が遠くに飛べば飛ぶほど、同じ所作で振り下ろした剣は、

 相手の頭を速く深くかち割るという道理でありますな」


「……なんだ、そんなことか。それならそうと、早く言ってよ」


 睦は足元の箱を拾い上げ、背中のバネから両腕の先までを使って、美しい円弧を描く。

 放られた箱は先ほどまでとは比べ物にならないほど遠くまで飛び、最初の二倍をゆうに超えた。


 スズリの唇が、ぞくぞくとした興奮で緩む。


たのしい。貴女あなたは実にたのしい教え子だ」


 改めて差し出された木刀を、睦は笑顔で受け取った。



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