第134話あらやだ! 医学と倫理だわ!

 死体が、置かれとった。

 男性の死体が多い。せやけど中には女性の死体もあった。

 それらは目を閉じとったけど、表情は安らかではあらへんかった。

 苦悶の表情。絶望しながら死んでいったような――

 一目で死体って分かったんは、まるで理科室の人体模型のように、腹が切り裂かれとって、人体模型と違うんは、中身が無かった――


「うう……なんだ、なんだこの部屋は!」


 キールが思わず叫ぶ。あたしも喚きたい気分やった。

 ここはまさに地獄や……


「……誰だい? そこに居るのは?」


 部屋の奥の寝台に寝そべっとる人間に『何か』しとる……まさか、プリズムさんが言ってた、医者やろか……


「き、貴様! 貴様がこれを――」

「……なんだ子供か。ここは君たちが来る場所じゃないよ?」


 くるりと振り返ってこっちを見る、白衣の医者――あたしには死神に見えたんや――は不思議そうな顔をした。

 小柄で出っ歯。まるでリスみたいな顔。せやけど知性が全身からほとばしっとる。年齢は三十代後半っぽい。

 その医者は「まったく。看守や衛兵は何をしているんだ」とぼやきながらこっちに近づく。


「く、来るな! 来たら魔法を撃つ!」


 キールが慌てて構える。すると医者はぴたりと足を止めて手を挙げた。


「分かった。それで、君たちの目的は? 僕を攫いに来たのかい? それとも殺しに来たのかい?」

「どっちも違います。キール、構えるのやめや」


 あたしの言葉に「ユーリ、こいつは危険だぞ!」と喚いた。


「この部屋の死体は、こいつがやったに決まっている!」

「まだそうやと決まったわけやないわ。構えを解けや」

「ああ。別にいいよ。僕はそのままで構わない」


 そう言うて、医者は近くに置いてある椅子に座った。


「えっと。どっちも違うってことは……ははん、ひょっとしてプリズム先生が頼んだんだね。僕を助けるようにと」

「……そのとおりです」

「それで、君たちは何者なんだい? 多分、お嬢さんは僕と同じようだけど」


 この医者――ようやくビクトールさんやと確信する。それに気づいたようやった。あたしが転生者やと。


「ユーリと貴様が一緒だと? どういう意味だ?」

「……同じ医者やっちゅうことやろ」


 余計なことを言われる前にあたしは先手を打った。キールは「どうして医者だと分かるんだ?」と不思議そうな顔をしたけど、あたしもビクトールさんも答えんかった。


「あたしたちはあんたの力を借りたいと思うて、ここまで来たんですが……その前にいろいろ訊きたいことがあるんです」

「うん。いいよ。なんでも訊きなよ。答えるとは限らないけど」


 あたしは気持ち悪さをできるだけ隠して言うた。


「あんたは――ここで何をしとるんですか?」


 ビクトールさんはあっさりと答えた。


「見てのとおり、人体実験だよ。いや、正確には死んだ人間の臓器を使って実験しているんだ」


 キールは「な、なんとおぞましいことを!」と吐き捨てた。


「どうして、そんなことをするんだ!」

「どうしてって……まあ医学の発展のためかな」


 ビクトールさんはこれまたなんでもない風に答えた。


「もしかしてこう言えば良かったかな? 恩人の家族を人質にされて、仕方なく教皇の命令を聞いて、人体実験をさせられている、と」

「……そうやないんですか?」


 あたしの問いに「あはは。そんなわけないじゃない」と快活に笑った。


「僕はここに来る前からこういうことがしたかった。まあ需要が合致したって感じかな」

「く、狂っている! 死体を弄繰り回して――」

「酷いなあ。ちゃんと人も救っているよ」


 ビクトールさんはにこやかに言うた。


「死刑に絶望して、執行前に自殺しようとした死刑囚を助けたり、狂人たちのカウンセリングもしている。囚人の病気や怪我も治しているよ」

「……あんたは、医学の発展のためならなんでもするんか? それとも人を治すことが好きなんか?」


 あたしの問いに「もちろん人を治すのが好きさ」と当たり前のように答えた。


「だって人を治すって素晴らしいことじゃない。やりがいも感じるね。君も医者なら――おっと、君たちの名前を聞いてなかったね」


 名乗れと言われとるようやったので、あたしは言うた。


「あたしはユーリ・フォン・オーサカ。こっちはキール」

「ユーリ……ああ、抗生物質を作った女の子って君か。いやあ素晴らしいね」


 どうやら知っとるらしい。せやけど褒められても嬉しない。


「それで助けがほしいってどういうことだい?」

「実は、あたしの友人が――」


 どこまで話すか悩んだけど、結局全部話すことにした。イレーネちゃんのこと。魔力肥大病のこと。そのためにノースまで来たこと。


「ふうん。なるほどね。確かに魔力肥大病は白血病に似ている」


 難しい顔でビクトールさんは腕組みをした。


「でも治せないことは無い。既に麻酔は開発しているし、僕の能力ならなんとかできるかもね」

「能力? なんだそれは?」


 キールの問いにビクトールさんは「運が良かったとしか言いようがないね」と前置きをして言うた。


「僕は適合する人間が分かるんだ。そういう能力を貰ったんだ」


 女神の加護や……! 


「貰った? 誰にだ?」

「分からない。未だに誰なのか分からないよ」

「なんだそれは。なあユーリ、信用できるのか?」

「……してもええと思う。せやけど、それには納得が必要や」


 そう。条件は申し分ない。

 せやけども、あたしはこの医者を頼ってええのか分からんかった。


「なあビクトールさん。あんたは倫理とかあらへんのか?」

「うん? ああ、あるけど。でも死体を弄るのは悪いことじゃないよ?」

「……ほんまに死体だけなんか?」


 あたしの問いにビクトールさんは「何のことだい?」と誤魔化した。


「ユーリ、こいつもしかして――」

「生きとる人間使こうて、実験しとらんと言えるか?」


 あたしは臓器が抜き取られとる死体を見て疑問に思うた。

 そして適合が分かる能力。

 ひょっとして――


「うん。生きてる死刑囚の臓器使って、移植手術しているよ」


 ……やっぱりか。プリズムさんは分かっとったから、あないな態度やったんやな。


「そ、それって、生きた人間を……? ば、馬鹿な! 許されるわけがない!」


 キールの許容範囲を超えてしもうたらしい。改めて構える。


「キール! やめろ言うたやろ!」

「ユーリ、いいのか!? こいつが悪魔だぞ! 人を切り刻んだんだぞ! 生きてる人間を!」

「立派な医療行為だよ。患者は移植しないと死んじゃうし。それしか方法がなかったんだ」


 悪びれないビクトールにキールは魔法を撃とうと――


「やめるんや! キール!」


 部屋中に響き渡る大声。あたしの一喝にキールは驚いてしもうた。


「あんたかて、人を助けるために魔物を殺したやろ」

「そ、それとこれとは話が違う!」

「あたしからして見れば同じや。ちょっと落ち着けや」


 あたしはビクトールさんに向かって言うた。


「あたしはあんたのした行為は医療行為やとは思わん。たとえ死刑囚でも、同意がない提供はあかんやろ」

「まあそうだね。でも麻酔をかけてあげたから――」

「そういう問題やあらへんやろ!」 


 あたしはつい怒鳴ってしもうた。


「あんたは人を殺したんやで! それが分かっとるのか!」

「うん。でもこの世界では合法だよ」


 ビクトールさんはあたしを諭すように語りだす。


「この世界では死刑囚の臓器を移植しても裁く法はない。だからなんでもないことなんだ。それにいずれ死刑になる人間を殺したところで、別にとやかく言われる筋合いもない」

「……あんたには人の心はないのか?」

「ないね。そんなものでは人を救えない。それに僕は殺した分だけ救ってきた」


 あたしは同じ転生者やのに、どうしてここまで思考や思想がちゃうのか、不思議に思うた。

 そしてはたと気づく。

 この人はもう、前世に未練がないんや。前世を引きずってないんや……


「ユーリ! 俺はこいつを――」

「駄目や。この人しかイレーネちゃんを救えへん」


 あたしはクラウスに言われたことを思い出した。


『人間には正しい生き方なんてないんですから』


 ああ、そのとおりや。まさしく、そのとおりやった。


「イレーネちゃんを助けてくれへんか? もちろん人質とプリズムさんも一緒に連れ出す」

「いいよ。僕は人を助けたいからね」


 快諾してくれたビクトールさん。


「……納得してないぞ俺は」


 ふてくされるキール。後でフォローしとかんとあかんな。


「ああ。逃げ出す算段はしてるよ。人質の居場所も分かるし」


 そしてビクトールさんはにやりと笑った。


「ついでに今までこき使った教皇に一泡吹かせてやろうかな」


 嫌な予感したけど、止めへんかった。

 それがとんでもないことになるとは思わんかった。

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