第112話あらやだ! 苦痛と回想だわ!

 ランドルフの足元の魔法陣が真っ赤に光る。まるで血のように赤くて濃い色やった。

 不気味に思える魔法陣から煙が吹き出る。そしてランドルフの身体に纏わりつく――


「がああああああああああああああああああああああああ!」


 ランドルフの口から漏れる苦痛の声。必死に声を出さんよう耐えようとしとるが、できひんみたいで身体を小刻みに震わせながら耳を塞ぎたくなるような悲鳴を発する。


「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「ランドルフ! ちょっと放しなさいよ!」


 デリアがヘルガさんを押さえつけとる。必死でランドルフに駆け寄ろうとする彼女に対して「駄目よ! 近づいたら!」と制す。


「儀式の邪魔はさせないわ!」

「儀式なんてどうでもいいわ! 苦しんでいるじゃない! やめて! もうやめてあげて!」


 ランドルフは口から吐血し、身体中に裂傷が生じて全身血まみれになっとる。

 普通なら気絶しても仕方ない苦痛や。

 それでも――ランドルフは倒れんかった。

 何度もふらつきながら、それでも倒れへん。

 魔法陣の中から出ようともせん。


「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 声を出し続けながら耐え続けるランドルフを見て、格好ええと思うた。

 惚れた女のためにそこまでできる男は居らん。命を懸ける男なんて居るはずがない。

 ランドルフにとって地獄の時間が五分ほど続いて、ようやく煙が無くなり始めた。


「次は俺の番だ。行くぞ!」


 ランドルフが流した血が一ヶ所に集まり出した。そしてそれは一本の槍と化し、てらてらと光るそれは、クヌート先生に向かって一直線に飛んで――突き刺さった。


「うぐ! が、ああああああああああああああああああああああああああ!」


 クヌート先生の身体からぼきぼきと音が鳴る。おそらく全身の骨が折れとるんやろ。


「先生! 大丈夫か!?」

「け、血液と、全身の骨を、犠牲にして、お前に神を下ろす、がああああああああ!」


 ばきばきと嫌な音が庭中に響き渡る。見てたエルザが卒倒してしもうた。何故なら生理的に受け付けんような角度に腕が捻じ曲がったからや。

 ランドルフは立ったまま、気絶しとる。クヌート先生は折れた足で立っとる。


「ユーリ、耐えろよ……」


 その言葉をきっかけにあたしの足元の魔法陣が金色に輝く。

 そして、苦痛が襲う。


「う、ああ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 頭が割れる感覚。まるで脳みそをミキサーでシェイクされとる痛み。胸部をドリルで削られとるような激しい痛み。指と爪の間に針を十本突き刺されたような痛み。ありとあらゆる痛みがあたしを襲う、襲う、襲う!


「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「ユーリ! ――――」


 デリアの声が遠くに聞こえる。死んだほうがマシやと思う苦痛が全身を襲う。

 それでも魔法陣から外に出えへんかった。それこそ出るくらいなら死んだほうがマシや。

 ランドルフやクヌート先生のためにも出るわけにはいかん。


 もしも地獄があるとするならば、おそらく大罪人が落ちるであろう地獄にあたしは居る。

 それが体感時間で一時間。実際には五分くらい過ぎた頃。

 身体が分解されるのを感じた。


「ちょっと! どうなっているのよ! ユーリが無くなって――」


 デリアの必死な声。ぼろぼろ、ぼろぼろぼろと崩れていく。

 あたし、死ぬんかな?

 儀式が失敗したんかな?


「ユーリィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!」


 デリアの悲痛に満ちた声が次第に小さくなって。

 あたしは完全にこの世界から消えた。


『ランドルフ。よくやったな』


 目の前に立派な口髭を蓄えたおっさんが居った。

 あんた誰や? と言おう思うたけど口から出たのは『もったいなき御言葉です』という聞き覚えのある声やった。


『剣術大会の優勝などその歳で成し遂げられぬ。素晴らしい才能だ』

『おやっさん。これで結婚を許してくれますか?』


 なるほど。これはランドルフの記憶や。せやからあたしは今、ランドルフの視点で記憶を辿っとるんやな。

 うん? なんでそないなことが唐突に分かったんやろ?


『いいだろう。結婚を許す。しかしヘルガが良いと言ったらの話だ』


 そう言うておっさんは窓の外を見た。どうやらおっさんの部屋みたいやな。奢侈な調度品がぎょうさんあった。


『しかし好いた女のために、よくやるなお前も』

『そう条件付けなさったのはおやっさんです』

『諦めるとばかり思っていた。それにお前とアレは釣り合わんよ』


 おっさんは真っ直ぐランドルフを見た。


『私はお前を高く評価している。育預ではなく分家を継がせたいと思っている。ランドスター家ではなく、自分の家を持つこともできるだろう。しかしどうしてヘルガを嫁にしたいんだ?』


 ランドルフはすかさず『惚れているからですよ』と男らしく答えた。

 堂々と照れも隠さずに。


『なら仕方ないな……私はヘルガに辛い思いをさせた。できるならお前のような素晴らしい男に嫁がせたいと思っていた』


 そしておっさんはランドルフに頭を下げた。


『どうか幸せにしてやってくれ。頼む』


 するとランドルフはこう言ったんや。


『頼まれなくても幸せにするぜ。おやっさん』


 そこで記憶が途切れて、別の記憶が始まった。


『お前には悪いと思っているよ』


 別の部屋やった。向かい合って椅子に座っとる。正面の人間はさっきのおっさんによく似た青年やった。


『フランシス様、そのように思わんでください』


 自分の身体から別の意思で声が出るのはなんか嫌やな。

 フランシス様と呼ばれた青年は首を横に振った。


『やめてくれよ。様なんて呼ぶな。いつもどおり兄貴と呼んでくれ』

『しかしあなたは当主になる人です。もう気軽に呼ぶのは――』

『なら当主命令だ。兄貴と呼べ。敬語も使うな』


 ランドルフは苦笑しながら『分かったよ兄貴』と言うた。


『それでいい。お前はそうでないとな』

『……兄貴には恩を感じているよ』


 ランドルフは改まって言うた。


『俺みたいな捨て子を家族同様に扱ってくれて、感謝している』


 するとフランシスはきょとんとした顔で言うた。


『何を言っているんだ? 家族に決まっているだろう。お前だけじゃない。ヘルガだってそう思っている』

『……あんたは本物の善人だな』


 フランシスは『父上から許可をもらったんだろう?』と訊ねた。


『弟と妹が結婚するのは、なかなかない経験だな』

『まだ決まったわけじゃねえ。義姉さんの身体のこともある』

『良い医者が見つからないのが問題だな』


 ランドルフは『実は心当たりがある』と告げた。


『心当たり? 誰だ?』

『無双の世代の一人、ユーリさんだ』

『ほう。その人は期待できるのか?』


 ランドルフは胸を張って答えた。


『ああ。信頼できる人だよ』

『そうか。お前が言うなら信用できるな』


 快活に笑うたフランシス。


『後見人には俺がなる。だから生きて帰って来い』

『ああ。兄貴も元気でな』


 そう言うて立ち上がろうとするランドルフにフランシスは言うた。


『約束だぞ。生きて帰って来いよ』

『俺が約束を破ったことあるか?』

『ない。だから今、約束した』


 そこで記憶が途切れて、あたしは――


「ユーリ……? あなた、よく戻って……!」


 デリアの声やった。あたしは自分の姿を確認する。

 五体満足で、傷も痛みもない。

 そして、髪が金色になっとる。


「どうやら儀式は成功したようやな」


 あたしは、再び、天才になった――


「ユーリ! 良かったわ!」


 はしゃぐデリア。その傍らではヘルガさんが腰を抜かしとった。エルザは気絶しとるみたいや。


「まずはクヌート先生とランドルフ治さなあかんな」


 そう言うて倒れとるクヌート先生の身体に触れた。

 優しい光が先生を包み、身体中の折れた骨が治った。


「うん……? ああ、成功したのか」

「そうやな。成功したで」


 次に立ったまま気絶しとるランドルフに近づき、同じように傷を治す。


「はっ! ユ、ユーリさん、その姿は――」

「天才になったわ。今のあたしは何でもできる」


 傷を一瞬で治せるし、足りない血液も補える。

 万能薬の作り方も頭に浮かんどる。

 せやけど――


「どうやら時間がないみたいやな」

「……どういうことだ?」

「条件が不完全やったから、後十分で元に戻る」


 天才やから分かるんや。時間制限があるっちゅうことも。


「とりあえず万能薬の作り方を書いておく……よし書けたわ」


 羊皮紙を屋敷から引き寄せて、そこに作り方を刻む。

 これなら普通のあたしでも作れるやろ。


「もしかして天才になるたびに儀式をするのか?」

「いやそうはならんな。一日の間に少しだけなれるみたいや。訓練すれば自在に操れるやろ」

「……すげえな。平和の聖女の名に相応しいな」

「ま、慣れるまで時間かかるやろ」


 クヌート先生が近づいて「某漫画の変身みたいだな」と言うた。


「まあウルトラマンみたいなもんや」

「三分間だけしかなれないのか?」

「うーん。訓練次第で三十分はいけるやろな」


 そないな会話しとると歩けるようになったヘルガさんがこっちにやってきた。

 なんかめっちゃ怒っとる。


「義姉さん――」

「この馬鹿!」


 思いっきりビンタした。ランドルフがたたらを踏むくらいの強いビンタや。


「私の気持ちも考えないで、よくもまあ、こんな無茶を――」

「……悪かった」

「反省してないでしょ! 許さないわ!」


 ランドルフは「嫌われてもいい。それでも義姉さんを助けたかったんだ」と言うた。


「だから別に恩を着せるわけでは――」

「馬鹿じゃないの! 私が言いたいのはそこじゃないわ!」


 ヘルガさんは目に涙を溜めながら言うた。


「プロポーズして、そのすぐに死ぬなんて許さないわよ! 私の返事も聞かずに、死ぬなんて許さない!」


 ランドルフは呆然として何も言えへんかった。あたしもデリアもクヌート先生も何も言えへんかった。


「義姉さん、その、返事って――」

「もちろんイエスよ! 私だってあんたのこと好きよ! そうじゃなきゃ、心配とかしないんだから!」


 馬鹿みたいに口を大きく開けるランドルフ。そこにヘルガさんが飛び込んで、抱きしめた。


「約束して! 私より先に死なないって!」


 あたしはデリアとクヌート先生に目配せして、黙ってその場から離れた。

 後は若い二人に任せるんや。


「それにしても、デリアもよく耐えてくれたな」


 エルザをおんぶしながら言うとデリアは笑顔で言うた。


「うん? 怒ってないって言ったかしら?」

「へっ?」

「みっちり説教するから、覚悟してね」


 ……どうやら今日は眠れへんらしい。

 あたしは空を見上げた。

 満月が美しく、輝いとった。

 まるであの二人を祝福しとるようやった。

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