第四話 紅雲大火山-1

 美しい純白の球皮きゅうひが茜色の空に向かって真っ直ぐ背筋を伸ばす。見上げるばかりのその高さはおよそ二十メートルにも及ぶ。四ヵ所の支点を切り離せば、今にも空へ飛んで行ってしまいそうだ。


「うおおおおぉ!? なんだぁありゃ!?」


 絶句して立ち尽くす俺たちの驚きようもなかなかだが、テトのそれは尋常じゃない。


「アイルーにはないのか?」


「あるわけねーだろあんなの! すげぇ、あんなにでけぇのに浮いてやがる! 火ぃ吹いてるし!」


 そう言ってキラキラ目を輝かせる。テトの反応を見るに、やはりこの国の文明レベルはよそに比べて相当高いらしい。世界樹が文明を五百年進めたとも白皇が言っていたし。


 とはいえ、国民の俺もこれほどの文明の利器は初めて目の辺りにした。気球の周りで何やら機器のチェックをしていた数名の白衣の男女が、カンナに気づいて駆け寄ってきた。


「《月剣》様。くだんの特別クエストを受注されたと伺いました。この通り、準備は万端でございます。いつでも出発できるかと」


「お世話になります。一応、操縦方法を確認してもいい?」


 カンナはリーダーと思しき白衣の男と共に気球へ近づいていった。どうやら《白薔薇》技術部の人間である。北の壁沿いにこんなものを作り上げていたなんて、割と近くに住んでいるのに全く知らなかった。


「よし、オッケー! それじゃあお借りします。ちゃんと無事に帰って来ますから。おーい、三人ともー! 乗るよー!」


 近づくとより一層凄まじい威容の気球を見上げ、言葉も失ってめいめい見惚れていた俺達は、慌てて返事をしてから、ようやくことの重大さに気づいた。


「マジで、これに乗っていくのか……?」


「当たり前でしょ。だって、大地の裂け目を越えるには空飛ぶしかないじゃない」


 言いつつ、カンナはさっさと地面から僅かに浮いたバスケットに乗り込んだ。ふじ編みの茶色のバスケットは、乗った衝撃で一度柔らかく地面をバウンドした。


「こ……壊れないよな?」


「君、《白薔薇》技術部の力なめてるな? 地球出身の専門職の方々だっているんだから。信頼できるよ。まぁ、万が一落ちたときのために」


 はい、とカンナは俺に何かを放った。キラリと赤い光が反射する。受け取ると、小さな赤い宝石が三つ並んで繋がったネックレスだった。


《三連守護石》――三回分の加護が約束されたネックレスである。四ツ星以上の任務であれば、全ウォーカーに支給される旅の必需品。こんな手厚い支給品は久しぶりだ。王審以降はどんなクエストでも単守護石すら寄越されなかったから。


「もうつけときなよ。それなら落ちても大丈夫でしょ」


「上空から自由落下か……生きててもトラウマになりそうだ」


「あんたは一回似たようなの経験してるじゃない」


 同じくネックレスを受け取ったマリアが、首に装着してからバスケットに飛び込む。


「これが噂の守護石ってやつか。死ぬのを一回防いでくれるんだろ? すげーよなぁ」


「守護石もアイルーにはないのか?」


「あるぜ、ルミエールからの輸入品だけど。数がねーからよっぽど上位のやつにしか支給されないルールだったんだ」


 思わず唸る。今やルミエールのウォーカーにとって、守護石のない壁外任務など考えられないだろう。守護石は俺達の命綱。旅立つ際に支給され、任務を終えて帰還すると、壊された個数分報酬を割り引かれる。だから、みんな割られないように注意するし、なるべく余裕を持って帰還する。


 更に、パーティーメンバーの誰か一人でも手持ちの守護石を全て失ってしまった時点で、全ての任務を放棄し帰還しなければならない規定も定められている。危険極まりないはずのこの仕事で思ったほどの殉職者が出ないのは、このシステムの功績によるところが大きい。そう思っていたが、よその国はもう少し尊い犠牲も多かったりするのだろうか。


 ともあれ、守護石は三つ。つまり今回、有り体に言って俺たちが"死ねる"のは一人二回まで。


 気球に見慣れてくると、今度はワクワクのほうがだんだん勝ってきた。


「ワクワクするなぁ」


 満面の笑みでテトに話しかけられ、一度は邪険に返そうかとも思ったが、これから仲間パーティーとしてよろしくやっていかなくてはならないと思い直す。


 それに、そんなに悪いやつじゃないってことは、分かってきた。


「そうだな」


 薄く笑って、俺達は同時にバスケットへ乗り込んだ。芝生の上を大きく弾んだバスケットは、四人が入ると膝を曲げてしゃがむのも一苦労なほど窮屈になった。


 頭上には、ゴォォォ…と音を立てて炎を噴出する大きなバーナー。温めた空気が昇り、分厚い球皮を膨らませつつ上方へ押し上げる。球皮から伸びた頑強なワイヤーがバスケットの四方に連結して引っ張り、今にも俺たちを空に運ぼうとしている。


「お気をつけて」


 バスケットの底部を繋いでいたロープが切られると、いよいよ気球はゆっくり浮上を始めた。手を伸ばせば触れるところにあった芝生がするりと離れていく。内臓が重たくなるような不安感と、それを上回る高揚で四人まとめて歓声を上げた。


「いってきまーす!」


 カンナが地上に手を振る間にもゆっくり着実に上昇していき、国を守る壁面の木目がどんどん眼下に流れ、やがて途切れた。気がつけば、風に揺れる小麦畑も、俺と白皇の家も、中央区セントラルの城や街並み、そして、堅牢な木の壁にぐるりと囲まれたルミエール王国の全てが、鳥になったように一望できた。


 あまりの美しさに息を呑む。俺たちを乗せた気球は、まるで茜色の空へ吸い込まれるように、なおもゆっくり上昇を続けていった。

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