第三話 テト-1
「アイルー……? 他国のウォーカーがなんでウチに上がりこんでんだよ」
「私もびっくりした。こないだ見送ってくれたばかりじゃない。どうしてルミエールに?」
そういえば、カンナは一昨日まで一ヶ月間、合同任務でアイルー領にいたのだった。それで顔見知り風なのか。
「決まってんじゃん、友好大使だよ。ヴァサゴのおっさんも一緒だ」
訪問先で朝っぱらから暴れる友好大使がいるか。湿度の高い俺の眼差しをテトはひらりとかわす。カンナは
「なるほど、援軍ね」
「そーいうこと」
「テト君にヴァサゴさんまでいるなら、何百人のダバル兵だって怖くないね」
話についていけない俺は、カンナの服を引っ張って解説させた。
「どういうことだよ」
「ダバル王国に宣戦布告された話は、まだ《荊》と君までで止まってるの。万一に備えて、友好大使って名目で同盟国のアイルーから援軍を頼んだんじゃないかな。もしくは、アイルーから自主的に寄越してくれたとか」
「そりゃ手際のいい……つまり、コイツはマジで同盟国のウォーカーなんだな」
うんと頷くカンナに、ようやく体の力が抜ける。俺は本気で身の危険を感じたぞ。
「確かに、ただの友好大使なら明らかな人選ミスだもんな」
「なんか言った?」
ケラケラ笑うテトの、土足で距離を詰めてくるような雰囲気が不快で俺は「なんも」と鼻を鳴らした。
「知ってるやつだったなら、お前もさっさと止めろよ。店がぐちゃぐちゃになるところだ」
「ごめーん。すぐ止めようとしたんだけど、ふと、二人が戦ったらって興味持っちゃってさ」
「はぁ?」
「彼、ちょっと似てるんだよね。あの日までのシオン君に」
俺は仏頂面でテトに目をやった。視線を感じたか、テトは俺を見返して手を振ってきた。酒場を見渡せば、彼にやられたグリムは既に仲間に引っこ抜かれてどこかへ消え、床にぽっかり空いた穴がいかにも客の目を集めている。俺は本当にこんな迷惑で生意気な奴だったのだろうか。
「仲良くなれるかもと思って」
「ねえよ」
「おいあんた、闘技場行こうって!」
「だから、行くわけ……」
「――騒がしいから様子を見に来てみれば……」
懐かしい声が、背後から鼓膜を震わせた。ドキン、と心臓が強張った。
振り向くと、小さな人形のような少女が、栗毛をいじりながら、無表情に見えるその冷ややかな美貌に、どこかあちらも気まずそうな色を隠し切れず立っていた。
「ちゃんと生きてたのね」
「よ、よぉ、マリア……久しぶり」
「どうも」
無遠慮に距離を詰めてくるマリアに思わず後ずさる。なにか、デジャブだ、これ。猛烈に嫌な予感がする。マリアは俺の
「――オラァッ!!!」
「ぐほッ!!?」
貫通するような壮絶な腹パンだった。カンナと違って加減がなさ過ぎる。その場に膝をついてゴリラの腕力に絶句する俺の頭の上から、火の如く怒声が降り注いだ。
「勝手に返しきれない借り押しつけて、逃げてんじゃないわよクソバカゴミ野郎! 殴るわよ!?」
「も、もう殴ってます……」
「こんなもんで済むと思ってんの、立ちなさいよオラァ!」
130センチの体にまったくそぐわぬバカ力で締め上げられ、冗談じゃなく死を覚悟する。テトと対峙した緊張感とも比べ物にならない。テトは「やべー、ルミエールの女って皆こうなの?」と引き気味に笑っていた。
「わ、悪かったって!」
本気で抵抗してマリアの肩を掴み、引き剥がした俺は、初めてマリアが泣いていることに気づいた。
「……あたしを助けてくれたって……あんたがいなきゃ、意味ないでしょ」
目から涙がこぼれるのをギリギリで耐えながら絞り出すマリアに、言葉など出るはずがなかった。俺は、ハルとマリア、二人で幸せになって欲しかったのだと、ずっと思い込んで、考えないようにしていたから、喉が締め付けられて、かすれた声の一つさえ、出なかった。
一緒にいて、いいのだろうか。マリアの涙を見ていたら、今まで俺が、どんな愚問に頭を悩ませてきたのか分かった。カンナの言う通りだった。
ぐいっ、と乱暴に目を拭ってから、少しだけ目の下を腫らしたマリアはバコンと照れ隠しのように俺の頭を殴った。
「いってえ!」
大袈裟に痛がって、それでようやく普通に戻れた。俺たちは互いにあの頃みたいに笑った。マリアとは、本当に随分久しぶりに笑い合った気がする。
「レザードに渡したお金は、必ず全部返すから」
「いいよ、そんなの。お前だって金ないだろ」
マリアは報酬金の大半を受け取らない代わりに経験値の査定を倍増してもらっていたらしい。通りでウォーカー
「あたしが納得いかないの! よりによってあんたに借りを作るなんて」
「んじゃあ、婆さんになるまでに、返してくれりゃいいよ」
マリアはそれで少しだけ納得したようだった。笑顔で行方を見守っていたカンナに向き直る。
「お久しぶりです。戻られていたんですね」
「うん、お友達を連れてね。ホント久しぶりー! こっちはアイルーのウォーカー、テト君だよ」
「どもー」
アイルーという単語に、マリアはピクリと反応した。
「そうですか、西の国から……。あの、すみません。《星の座》と名乗る人たちのことを聞いたことがありませんか。各国を転々とする行商旅団です。もう五年も前のことですが、アイルーにも立ち寄っているはずなんです」
マリアの口から突飛な言葉が飛び出した。テトはきょとんとして、「いやぁ、知らねーな」と首をひねった。
「そうですか……」
「おれ、あんまり国のこと知らねーから、もう一人のヴァサゴっておっさんに聞いてみるといいよ。アイルーの守護神って言われてるぐらいだから、なんか知ってるかも」
ありがとうございます、とマリアはよそ行きの微笑を浮かべた。こうしていれば品のある美少女に違いないのだが。
「そういや、テト。お前は"どっち"なんだ?」
「ん?」
「ナチュラルなのか地球人なのか。髪が赤くないのに煉術を使ってただろ。だから俺はお前のこと、モンスターだと思ったわけだし」
どう見ても人間の姿をしているのにそんな発想が出てしまったのは、白皇という身内がいるせいでもある。テトは軽薄に「あぁ」と笑った。
「おれはナチュラルだよ。生まれたときから髪が白いんだ。突然変異ってやつ?」
なんだ、そういうことか。俺は拍子抜けしてしまった。だとしたら随分失礼を言ったことになる。
「それは、悪かった。ごめん」
「あれ、意外と素直かよ」
テトは目を丸くして、「ぜんぜんいーよ」と笑い飛ばした。
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