幕間Ⅲ バスチアン・デュモンの憂鬱な講義

 マリアローズ、ダルトン、アンリ。

 この三名の悪乗りで他の世界では生活面で必需品となっているプラスチック製品が、ソルフィア王国の片隅で実用化された。それはとても小さな出来事だしたが、後々には大きな出来事へと変わって行きます。


 最初の一歩目は時代が違っても世界が違っても等しく小さい、局地的で誰の目にも映らず誰かの目に映っても気にも留められず、それが二歩三歩と進んで行くうちに大きくなり気が付けば、世界を変えたに等しい偉業へと変わって行く。


 マリアローズは割と深く考えて、生活に便利な物を再現した、してもらった。

 その程度に考え、対してメルセデスは新しい一大産業を生み出した。

 と、深刻にとらえてこの自重が自重になっていない、最近はめっきり大人しくなり落ち着きが出たと思っていた姉が、実際は見た目と同じくさほど内面が成長していない事をメルセデスが痛感している時、とある人物は山脈を越えた先にあるフランセーズ共和国の首都ガリアにある。私立大学の講義を見学していました。


 教壇に立つのはバスチアン・デュモン名誉教授。

 専門は人間族と亜人族との関わり合いを中心とした人類史、それも人間族が自らの正統性を中心に据えた都合の良い、アーリア人がどうのこうのと騒いでいた連中のような人類史ではなく。

 人間族の祖先が地上に現れた頃には既に文明を築き、人間領では失われた過去の古代の記録を残す亜人族の記した書物を基にした、極めて人間族に不都合な人類史を語る数少ない教授です。


「さて、まず講義を始める前に言っておくことがある。党が口酸っぱく言っている正しい歴史を証明したい者は今すぐ帰りなさい、私は他人を夢から覚ますのは忍びないと思っているからね」


 バスチアンがそう言うと現在のフランセーズ共和国を支配する一つだけの党、つまり違う世界では昔を語る時に使われる軍国主義的ファシズムの後半の方を体現する、国民戦線党が掲げる人間族至上主義を妄信する若者達は、思わず顔を顰めました。

 ちなみに蛇足ですが軍国主義的ファシズムにルビを打つと軍国主義的ファシズム《塩っ辛い砂糖》となります。ファシズムは何時だって軍と対立します。

 ドイツ軍人が最大の敵はソ連ではなくヒトラーと言ったように、ヒトラーがスターリンのように軍人を粛清すべきだったと言うように、何時だって党と軍は対立する。当然フランセーズ共和国を支配する国民戦線党と軍は、とてもともて愉快に敵対しています。


「興味本位で来た者は居眠りをしない限り追い出しはしない、素晴らしく貴重な真面目に人類史に取り組む者はしっかりとノートに書き写すように、では始めるぞ」


 黒板に向かうバスチアンは大雑把にレムリア大陸の地図を黒板にチョークで描き、これまた大雑把に国名を書いて行きます。

 山脈の向こう側にソルフィア王国。

 山脈のこちら側には幾つかの小国と、その先にフランセーズ共和国と双方で領有を主張し国境線を定める為に衝突を繰り返した末、荒れ地とかした旧ルツェルン公国を挟んだ先のシュタインラント共和国。

 一通り書き終えるとバスチアンは若者達に向き直ります。


「さて、昨日の続きだが今やただの荒れ地と不発弾畑と化したルツェルンを、長大な塹壕まで作って領有をシュタインラントと馬鹿らしく争っている我が祖国だが、その歴史は王国時代も含めるべきか、それとも否か?」


 その問いに真っ先に応えたのは出だしの一言に顔を顰めた若者の一人でした。


「愚問ですデュモン教授、それもまた我ら栄光ある正統な人間族の歴史!つまりは古代も含めるべきです」

「そうか、残念だが大間違いだ。王国時代は亜人族が国の中枢を担っていた、つまり王国は人間族の国家とは言い切れん。実際に亜人の王族、貴族、知識階級が作ったインフラは全て亜人が作ったからね」

「しかし……」


 若者の反応を見て今の初等教育の杜撰さをバスチアンは痛感しました。

 自分が若い頃は国民戦線党などという奇妙な、社会主義なのか結束主義なのかはっきりと分からない党が、国の実験を握っていなかったので初等教育は比較して、生徒個人個人の自主性や見識を広める教育を行っていたのに、今は固定された一個の価値観だけど信奉する教育が行われている。

 その現実にバスチアンは眩暈にも似た感覚を覚え、同時にそれに疑問を抱かない若者がいる事に酷く落胆しました。


「さて諸君、党が時折口にしている事だが我々の祖先は古代ガリア人ではない。彼等は亜人、そして我々は人間、混血は可能でも一代限りである以上、彼等との繋がりもまた無いのだ」

「それはどういうことですか?」

「おや、習っていないのかな?人間と亜人の混血は酷く短命だ、平均寿命は12歳前後、亜人と混血が出来るのは同じく長命の獣人に限られる。獣人もまた人間との混血は短命だ」

「そんなバカな!?」

「我々、優等なるガリア人には古代ガリア人の血が流れていないと言うのですか!?」

「ありえない!党の主張に反する、訂正を!訂正を要求します!」


 ガヤガヤと、若者達の中でどよめきが生まれ、それは次第に抗議の声に変って行きました。。

 自分の説明を聞いて驚き納得しようとしない若者の多さにバスチアンは党が意図的に、自らの主張を正しいと鵜呑みにする様に若者達を教育しているという事実に、国の根幹である教育をここまで軽んじる党に怒りを覚えました。

 かつて亜人と人間が争わず共存する事を夢見て、志を同じくする者達と共にソルフィア王国に留学した過去を持つバスチアンにとって、今の党が進めている政策は大争乱を超える、それこそ世界規模の戦争に繋がる過ちに思えてなりませんでした。


 相互の不理解、もしくは片方の妄信の末の戦争はつねに本来の意味を伴わず、殺戮へと至る。歴史を調べ知り、そして学んで来たバスチアンは生い先短く次へバトンを託す身となっても、必死に教鞭を振るうのは少しでも亜人と人間の理解が深まって欲しいと願っての事ですが、それは儚い水泡の如き願いなのだと講義を受ける若者達を見て思い知らされていました。



♦♦♦♦



「苦労しているみたいだなバスチアン」

「ああ、老体に鞭を打って教壇に立ち続けているが、そろそろ引退を考えてるよ」


 講義を終えたバスチアンは自室に戻り、自分の講義を見学していた古い友人であるレオニダスの言葉に、心底疲れれと言う声で答えました。

 バスチアンとレオニダスは友人と言う間柄です。

 まだバスチアンが二十歳にもなっていない頃、今より50年近く前にソルフィア王国へ留学し、そこで興味本位で立ち寄ったソルフィア教の教会で助司祭をしていたレオニダスと知り合い、それ以来の付き合いでした。


「もうお前だけになったなバスチアン、最初で最後の留学生は……」

「ああ、もう私一人だ。ロランもファブリスも、皆先に逝ってしまった、せめてもう少し空気が良ければロランも肺を患わずに済んだと言うのにな」

「確かに、それにしても酷いな。アルビオン程ではないにしても、首都だと言うのに空気は淀み空は煙に覆われている」


 窓の外の景色は王国時代、花の都と謡われた場所とは到底思えない光景が広がっていました。

 淀んだ瘴気を含むような空気、空は排煙に覆われ行き交う人々はこれもまたガリアの風景だと受け入れ、目を逸らして煙を吐き散らす灼石炭を燃やして走る蒸気自動車の排煙に顔を顰める。

 自分が幼かった頃はもう少しマシだったとバスチアンは思います。


「どうする?お前が望むなら手筈は整えるが…」

「いや、私は人間だ、なら死ぬべき場所はここだ。妻と息子が眠るここで私も眠りにつく」

「そうか……」

「気を使わせてすまんな、おお、そうだそうだ、聞いたぞ?ディーノさんとアナスタシアさんの娘が見つかったんだって?」

「マリアンナだ、ああ見つかったが何で知ってる?」

「文通相手はお前だけじゃないのさ」


 含みのある笑みを浮かべたバスチアンはふと、何かを思い出したかのようにバスチアンは何かを取り出して机に置きます。それは木の板に幾つかの鉄製の部品が固定され、あからさまに押して使うという感じの装置でした。


「何だこれは?この…取っ手の部分を押して使うのか」

「その通りだ、これは電信機と言ってな、押すとトン、長く押すとツーと言う音がなるんだ。そしてこの音を電気の信号として線を通って遠くへ送る事が出来る」

「ふむ遠くへ……良いのか?そんな物を俺に見せて?」

「構わんよ、ついでに贈答だ。何せアルビオンではこれによる通信網が確立されているからな、今更だ」


 電気の利用。

 ソルフィア王国は大きく後れを取っていました。

 その最たる例がこの電信機。

 違う世界で言う所のモールス式電信、一般的にはモールス信号と言われている物と同様の物です。

 

 最近はようやく取り入れ急速に発展して行っていますが、それでも開けられた溝は深く既に一部の間で一般的になっている電信機ですら、レオニダスにとっては国家機密のような物に思えていました。


「人間の進歩は本当に早い、我々が歩んだ歴史にあっと言う間に追い付き追い抜いて行く」

「何せ短命だからな、フランセーズの平均寿命は公害の所為でまた短くなった。だから誰もが生き急ぐ、明日のわが身はいしの下、故に後悔を残すまいとな……」


 自嘲するようにバスチアンは笑い、友人の反応に困る言葉にレオニダスは苦笑いを浮かべ帰すと、 久しぶりに会う年の離れた友人同士、会わない間に何があったのか?何が起こったのか語り合います。

 まるで去る前に少しでも多く言葉を残そうとするように、見送る前に少しでも多く言葉を刻み込むように、二人は言葉を交わしました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る