13話 5月からの日々にⅡ

 何か起こると思っていたボクの予想とは裏腹に学園生活はこれと言って大きな問題は起こる事も無く、学園生活の最初の山場である中間テストを迎えた。

 結果は主席はメル、次席はなんとグリンダでボクは三席、レオは基本が真面目だから上位に食い込み全員危なげなく山場を乗り越える事が出来たのだけど、ちょっとした珍事が起こった。

 

 一つ思い出して欲しい。

 イリアンソス学園は入学者を増やす為に、より多くの人材を確保する為と称して入学試験の難しさを下げ今まで入学出来なかった人が入学できるようになった。

 だけど入学試験とはゴールではない、あくまでスタート地点に立つ為の最低条件を満たしているか振るい分ける為に行われている。

 つまり入学試験の難しさを下げたと言うことは、今まで網目からすり抜けて引っ掛からなかった人が大勢入学していると言う事だ


 ここで問題。

 入学試験の難易度を下げたけど授業の難易度を下げなかったらどうなるのか?

 答えはスパゲティを茹で過ぎたら美味しくないのと同じくくらい簡単明白、授業について行けず置いてけ堀にされる人が続出、中間考査の結果は目も当てられない世紀末を思わせる悲惨な結果を出す人が続出した。


 ボクのいる5組もそれはそれは惨憺たる有様でクライン君を筆頭にあの日、集団で襲って来た……何かの戦隊みたいに名乗っていたメンバーは壊滅的なこのままだと留年間違いなしの点数を取ってしまっている。

 それ以外は特にこれと言って大きな問題は起こっていない。


 なので今日も一日頑張るぞ!という気持ちでボクは次の授業のある数学教室に行こうと思ったけれど、そう言えば来週のおやつは何が良いか朝に聞くのを忘れていた事を思い出して、まだ始業まで時間に余裕があるからメル達のいる理科教室に寄って行こうとしていたら、目の前に初めて見る顔の少年が立っていた。

 誰だろう?

 そう思って訝しんでいるとその少年は苦笑いを浮かべる。


「ああ、そうだった。初めまして、僕はユリウス・ライオンハートが第二子で第二王孫のオズワルド・ライオンハートって言うんだ」

「ええと、初めましてボクは…アルベール・トマです」


 この人がオズワルド殿下。

 エドゥアルド殿下の甥っ子でセドリック殿下の弟、つまり一学年上の先輩だ。

 顔立ちは…何というか……エドゥアルド殿下?いやどちらかという…でもそれは奇妙だ、どことなくアレックスに似ている。だけどアレックスは王家の人じゃない、きっとエドゥアルド殿下より野性味が薄いからそう思ってしまったのかもしれない。

 綺麗な金髪、青い瞳、少ししかない野性味と気の優しそうな穏やかな顔立ち。

 だけどそれがボクには……。


「僕の顔に何か付いてる?」

「あっいえ…その何か御用でしょうか?」


 ボクはオズワルド殿下に感じた奇妙な感覚の所為で思わず凝視してしまっていた。

 おかしな話だとボクも思う。

 だけど似ている、雰囲気がアレックスに似ている。

 それと…嫌な臭いが、今は特に何も感じないけど一瞬だけどこかで感じことのある様な嫌な臭いが、発しているというより纏わりついているように感じた。


「さっき数学の授業だったんだけどその時にアルフォード先生から君を読んで来て欲しいって頼まれたんだ。何か君に頼みたい事があるらしくて早めに数学教室の、準備室の方に来て欲しいって」

「ボクに?」


 アルフォード先生が頼みたいこと?

 何だろう、まったく想像が出来ない。

 だけどこの学園では最古参の先生で数少ないまともな先生だ、何がお願いしたい事があるのなら引き受けておいた方が得だ。情けは人の為ならず、回りまわって自分の助けになるのだから。


「ありがとうございます、オズワルド殿下」

「うん、それじゃあ」


 ボクはオズワルド殿下にお礼を言ってから教科書を持って数学教室の方へ……作り笑いだった、オズワルド殿下は終始笑顔だったけれどボクには分かる。

 ずっと辛いことも苦しいことも痛いことも憎いこともずっと心の奥底に押し込んで、作り笑いを顔に張り付けて生きた経験のあるボクだから分かる。

 オズワルド殿下の笑顔は仮面だ。

 その下には別の顔が潜んでいる、だけどボクは彼の事をまったく知らないから何とも言えない、なので心にとどめておくだけにして今はアルフォード先生の所へ急ごう。

 クラスメイト達に見られるとどんな因縁を付けられるか分かった物じゃない、最近はエドゥアルド殿下が何かと中等部に現れる様になったおかげで、今までのような露骨な嫌がらせは減ったけどそれでもやる人はやる。

 主にクライン君とラディーチェ君だけど。


 数学教室の隣に併設されている準備室の前に立ちボクは扉をノックする。

 幸いにも、と言うべきか不真面目にもまだクラスメイト達は一人も来ていない。

 5組は何時も始業のベルが鳴る直前に大慌てて来る人が殆どだ。


「誰かね?」

「トマです」

「おお来たか、入りたまえ」

「失礼しまうわ……」


 数学の準備室。

 初めて入るけど…汚部屋、ではないけど散らかり放題だ。

 書類から本、それに服?何で服がイスや棚に掛けられているんだろう。

 

「すまないねこのような醜態を見せてしまって」

「いえ、それよりもオズワルド殿下に呼ばれて来たんですが、何か御用ですか?」

「ふむ、実はねとても恥ずかしいんだが頼みたい事があるのだよ」


 何だろうアルフォード先生は恥ずかしそうに頭を掻いて口籠っている。

 言い辛そうにしていたけれど意を決してアルフォード先生はボクに頭を下げて言った。


「すまないが…準備室の片づけを手伝って欲しい」

「準備室の片付けを、ですか?」

「そうだ、実に恥ずかしい話なのだが学園全体で教員が不足していてね、特に…まあどの教科も専門知識は必要なのだが数学に関しては特に知識が必要でな、高等部の補助も行っているのだ」


 アルフォード先生曰く。

 悪評の立っているイリアンソス学園への就職を規模する先生は年々減ってるらしい。

 一番の理由は待遇の悪さ。

 給与は平均よりも下なのに仕事量は他の学園と比較して三倍以上、その上面倒な勢力争いを繰り広げているから優秀な先生程、他の学園に引っ張られイリアンソス学園に就職する先生の大半は他の学園から爪弾きにされた曰く付きの人達が大半を占めている。

 当然、その人達が名門学園に求められる仕事量をこなせる筈もなくそのしわ寄せはアルフォード先生のような熟練の先生に行っているらしい。


「もう半年は家に帰ってないのだ…まあ独身だから、帰りを待つのは観葉植物だけで問題は無いんだがね、やはり家のベッドの方が安心して眠れるのだよ。だが一番の問題は掃除をする暇がない、休日返上で働いているからご覧の醜態だ、数学教師にあるまじき醜態だ。穴があったら入りたい……」

「確かにこれは酷い…この紙容器、一月前のですよね?カビだらけでこっちのブラウスは……酷い臭い……」

「トマ君いいかね?いくら同性でも君のように可愛らしい顔立ちの少年に臭いと言われると、私のように加齢に伴う臭いを気にする者には相当に心を抉るのだよ。正直に言って今ので先生、ちょっと再起が出来そうにない……」

「え?あ!ごめんなさい!」

 

 そう言えばロバートさんも加齢臭をとても気にしていた!

 ボクはそれを気になる前に死んだから分からないけれど、よく父親が娘に臭いと言われて傷つく話をテレビで見た事がある。

 ならアルフォード先生もそれを気にしているのは当然なのに……どうしよう、ボクのうっかりでアルフォード先生は椅子に腰かけた状態で真っ白に燃え尽きた空気を纏って項垂れてしまった。

 


「ええと…分かりました。準備室の片づけを手伝います」

「本当かね!」


 あれ?一瞬ですごく元気になった。

 もしかして演技だったのかな?まあイリアンソス学園でも古参の先生の頼みごとを聞いても損は無いと思う。 


「実はね、オズワルド殿下から君がその道の玄人だと聞いていてね」

「オズワルド殿下からですか?」

 

 そう言えばオズワルド殿下は一部の生徒と先生方から信頼されているんだった、なら困っているアルフォード先生を見て助言…だけどボクは彼と面識は…エドゥアルド殿下から聞いたのかな?

 叔父と甥っ子で歳も近いからもしかしたら兄弟のような関係なのかもしれない。

 それならボクが執事道を習っている事を知っていても不思議ではない。

 不思議ではない筈…だと思う、自身は無いけれど……だけどやっぱり気になる。

 別に隠している訳ではないけれどそれでも何で、面識のないオズワルド殿下が知っていたのか?機会があればエドゥアルド殿下に相談してみよう。

 

「それで何時にしますか?」

「そうだね…来週は5組の生徒に補習と追試があるから、今週の土曜日は可能かな?その日は学園自体がお休みでな、ただ君の休日を潰してしまう形になるが……」

「問題無いですよ、今週の土曜日ですね」



♦♦♦♦



 土曜日にアルフォード先生のいる準備室の片づけを手伝いをする事になったとメル達に伝えたら、それなら自分達も手伝うと言って今日は朝から皆で、準備室の片付けに精を出している。

 作業はそれぞれで得意とする事を分担して一気に終わらせようと言う事になり、普段から事務処理をしているメルがアルフォード先生と一緒に書類の仕分けを行い、食堂の一人娘として普段から家事を手伝っていたグリンダはレオと一緒に洗濯物をしてもらっている。

 そしてボクは部屋の大掃除。

 これでも下男だけでなくメイドでもあるから、掃除は得意中の得意なのだ。

 紙容器と言った明らかに処分する物は処分して、牛乳瓶と言った物は綺麗に洗って返却して少しずつ大きな物を処理したら次は溜まっている埃を叩きで落とし、さらに箒で穿いて一か所にまとめてとる。

 次は水で濡らした雑巾で拭いてからの乾拭き、さらにさらに机や窓をどんどん切れにして行って昼頃には準備室の掃除は一段落付けることが出来た。


「おーいこっちも終わったで!」

「臭いをとるのに時間が掛かってしまった。ただ今日はカラッとした快晴だからお昼を食べ終わった頃には乾いてると思う」

「ありがとう二人共、丁度お昼の準備が終わった所だよ」


 お昼の支度が終わったから呼び行こうと思っていたらタイミングよく二人が帰って来た、ただグリンダの臭いをとるのに時間が掛かったという一言に、加齢臭を酷く気にしているアルフォード先生はショックを受けて凹んでしまっている。

 だけど今日作って来たサンドイッチを見たら喜んでくれる筈!

 今日作ったのはシンプルなベーコンとレタスとトマトのシンプルなBLTサンドイッチと、日本発祥のサンドイッチの厚焼き玉子サンドだ。

 

 作り方はとても簡単で卵に水、醤油、液体ブイヨンにマヨネーズを入れて混ぜて作った卵液を、親方さん謹製の長方形の玉子焼き鍋に油をしいて熱してから流しいれ、パンの大きさに合わせて厚焼き玉子を作る。

 次に片面にからしマヨネーズを塗ったパンで挟めば完成だ。

 シンプルで飾りッ気が無いのに厚焼き玉子のインパクトがボリューム感を演出する一品だ。

 スープはシンプルに胡椒を利かせたベーコンとレタスのペッパースープ。


「噂には聞いていたがここまでとは!ヴィクトワールさん、もしよかったら私をヴィクトワール家の家庭教師に雇ってくれるかね?これ程の食事を毎日食べられる職場なら薄給でもかまわないよ」

「残念ですが既に優秀な家庭教師が何人もいますのでお断りいたしますわ、何より当家で働くにはメイド道か執事道のどちらかを納めている必要がありますの。家庭教師を務めている方達は全員有段者ですわ」

「それは残念だ、生粋の数学者で元砲兵には無理だね。ここで教鞭を振るうしかないか、しかしだこのオムレツかね?それを挟んだサンドイッチはいいね、卵の柔らかさがからしマヨネーズの辛味を良い塩梅に和らげて癖になる」

「ありがとうございます、ちなみにそれはアーカム名物の厚焼き玉子って言います。本家は鮎から取ったブイヨンを使うんですけど今日は液体ブイヨンを使ってます」

「何と君は西部料理が作れるのかね?なら機会があればドーナッツというのを所望しようかな?以前、西部から帰って来た教え子が差し入れに作ってくれてね。もう一度食べたかったんだが食べられる店が無くて諦めていたのだよ」


 そう言えばドーナッツも西部料理として知られるようになっているんだっけ。

 親方さんに作って貰ったドーナッツメーカーはもう一つ作って貰って、ヴェッキオ寮に持って来ているから機会があればアルフォード先生に差し入れとして作ってあげよう。


「何や?けっこー図々しい先生やな、そんなに欲しい欲しいちゅーなら見返りはそれなりに色付けてくれるんか?」

「おいレオ!申し訳ないアルフォード先生……」

「気にしなくていい実際に図々しいことを言ったからね、まあ露骨に君達を優遇は出来ないが…先達として助言はしてあげられるよ?」

「助言、ですの?」

「そう助言だ」


 あっかんベーという表情を浮かべたアインシュタインのような、茶目っ気のある表情を浮かべてアルフォード先生はそう言った。

 先達としての助言……つまりボク達が気付けていない事に気付いているという事だろうか?自慢じゃないけどボクとレオは廻者まわりものでレオは45歳まで生きて人生経験が豊富だ。

 そんなレオも気付いていない事、どんな助言だろう?


「まず視野を広げたまえ」

「ん?それってつまりうちらが視野狭窄に陥ってるって言いたいんか?」

「そうだよ、君達は誰と戦うべき誰に抗うべきか、そして誰の為に戦うのか。それがまるで見えていない、このままだととっかえひっかえ、好き勝手に手の平で踊らされる事になるね」


 その言葉にメルもグリンダも、そしてレオも納得が出来ないという表情を浮かべてアルフォード先生を半目で睨む。三人共、とても自尊心が強いし何より視野狭窄に陥っているとはっきりと言われてむっとしない人はいない。

 ボクだって内心ではむっとしているけれど、だけど言われてみるとそうかもしれない。

 うーん……だけど分からない。

 言えるのはとても的確な助言を貰えたと言う事だけだ。


「考えたまえよ?考えると言う事は答えに向かって歩んでいると言う事だ、歩み続ける限り人は必ず答えに行きつくのだ」


 アルフォード先生は口髭にからしマヨネーズを付けながらそう決め顔を作りながら言い、その流れを利用しレオの分の厚焼き玉子サンドに手を伸ばしてシャーと威嚇される。

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