11話 寒空の下、すごい人が来た。
秋の終わりに近付いた10月、来月は立冬で冬になる。
セイラム領は南寄りの西南部で夏は日本程じゃないけど蒸し暑く冬は少し肌寒い程度だった。
それに対して王都は北寄りで冬が近付くにつれて後ろに聳える狂気山脈群から吹き降ろす寒風が強まり、秋も終わりに近付いているからアーカムでは感じられなかった冬の空気を感じる事が出来る。
吐く息が白くなり、忘れていた懐かしい感覚にボクは少し生前の故郷に思いを馳せる。
そして深呼吸をすると冷たい空気が肺の中に流れ込み目が冴えて来る、これで顔を洗ったら冷たい水で一発で目が覚める。
とても懐かしい冬が目の前に見える朝だ…だけど、だけど、だけど……。
「くしゅん!」
この寒空の下でテントとは如何なものか?
10月も終わりに近いよ?来月には立冬だよ?王都は雪は降らなくて寒さも北部とかの様にマイナスを下回る事はないらしいけど、それでもこの寒空の下でキャンプは風邪をひくですまないと思う。
ボク達がテントを張っているのは屋敷の裏手、気持ち広い程度の小さな庭でそこにテントを張って暮らし、そしてみんなで雑魚寝して寒さを凌いでいる。
あれから二週間、建築事務所の人達が昼夜問わず総動員して頑張ってくれたお陰で当初は三か月かかる予定だったけど、なんと二か月にまで短縮されてシャーリーさんの従兄夫婦が引っ越して来る時には間に合わないけど、それでも何とか年内には終わる見通して立っている。
ボクは朝の準備を始める為にテントから出るとそれを待っていた様に屋根からアスフォルトが下りて来る。
「クエ!」
「おはよう、アストルフォ」
まるで猫の様に、と言っても猫を飼った事が無いからテレビ番組で見た猫の様に顔を擦り付けて甘えて来るアストルフォにボクは何時もの様に抱きしめて答える様に撫でる。
テント暮らしを始めて二週間、何時もなら一緒の部屋で眠っていたけどアスフォルトは現在、実家に起床中で朝に帰って来て夜には実家に戻るという生活を続けている。
「さてと、着替えて火を起こさないと…」
ボクは屋敷の中に入って着替えを始める。
ここ二週間、皆は少しでも工期を短縮する為に一緒になって屋敷の修繕を行っていてその所為で普段なら起きている時間でも誰一人として目を覚まさず泥のように眠っている。
来た時は汚屋敷だったけど今はとても綺麗になっている、あと残すは地下室だけで二階や三階は少しずつ家具を運び入れている。
外に出て余ったレンガで作った即席の竈に薪を入れて火を起こす準備を始める。
今日は何を作ろう。
本格的に寒くなって来たからジンジャーティーだけだと体が温まり切れないから、ここはスープを作ろう、日本だと固形スープで色んなスープが手軽に作れるけど残念な事にソルフィア王国には固形スープはまだ存在していない。
スープのベースになるブイヨンを作ろうにもとても時間が掛かってしまうから今から作る訳にはいかない、日本だと鰹節や昆布があるから出汁は手軽に作れると思いがちだけど、実際は何時間もかかってしまう物だ。
ではどうするか?答えは簡単だ。
ボクは庭の隅に置かれている木箱からお世話になりっぱなしのスープ缶を取り出す。
これを温めて終わり、なんて事は絶対にしない。
ボクのプライドが許さない、なのでアレンジをする。
幸いにもこのスープ缶はコンソメスープだ、それなら固形スープと同じ様に使える。
まずは簡単な下ごしらえからだ。
ベーコンは好みの大きさ、今回は5センチ幅で玉葱はみじん切りにしてじゃが芋は皮を剥いておく。
下ごしらえが終わったら鍋にバターを入れてベーコンを投入、香りが立ってきたらみじん切りにした玉ねぎを入れ、玉葱が透き通って来たらここでコンソメスープを入れ少し煮る。
そして皮を剥いておいたじゃが芋をおろし器でおろして鍋の中へ、とろみがつくまで煮込んだから牛乳を加えひと煮立ちさせ塩と胡椒で味を調えたら完成だ。
スープ缶をアレンジして作った時短じゃが芋のポタージュだ。
「クエ!グエ!」
「ちょっと待って…はい、熱いから気を付けてね」
出来上がったスープを見たアストルフォが食べたいと言い出したから木皿に入れてあげる…毎度のことで指摘するのもあれかもしれないけどやっぱり思ってしまう、何でこんなに器用に前足でお皿を掴んでスープを飲むんだろう?あ、美味しかったみたいでお代わりが欲しいみたいだ、まあ考えても仕方がないからお代わりをさっきより多く入れてアストルフォに渡すと勢いよく飲み始める。
さてと、次はお湯を沸かして紅茶の準備だ。
「ん?」
紅茶を入れる為にケトルを火にかけようとした時、屋敷の方からドンドンと扉を叩く音が響いて来た。
こんなに朝早く一体誰だろう?建築事務所の人達は工期が予想していたよりも早まったから今日はお休みで誰も来ない筈、新聞屋さんはもう新聞の配達を済ませているし牛乳屋さんも同じく終わっている。
なら誰だろう?工期が短縮されたから手抜きがないか役所の人達が確認しに来たのかもしれない、だったから待たせ過ぎると不機嫌になってシャーリーさんと喧嘩を始めるから急いで行った方がいいかもしれない。
ボクはそう思って玄関に向かう、その間も玄関から扉を叩く音が響いて来る。
「はい、何方でしょうか?」
「ん?何でこんな小さな子供がいるのだ」
「ふえ……」
扉を開けるとそこには赤茶色の髪と薄めの褐色肌のお母さんより濃いめの褐色の肌に、睨んだけで人を殺せそうな鋭い目付きの右側に眼帯を付け、その上から眼鏡を掛けた熟年の女性が目の前にいた。
「どうした?固まっていないで突撃娘を呼んで来ないか」
♦♦♦♦
「ず、随分とお早い御到着ですわね、小母様」
「随分と酷い有様だなシャーロット、こんな寒空の下で年幅のいかない少女を外で生活させるなど、お前には人としての良心は無いのか?」
「なっ…し、し、し、し、仕方ないでしょ!あの馬鹿が屋敷を駄目にしていたなんて予想外だったのよ!それに皆揃っての野宿よ、私だけ温かい所でなんてしてないわ!」
「だからどうした、家を借りるという考えは浮かばなかったのか?どうせホテル暮らしは高くつくとか抜かしたのだろ?王都には一時的に滞在する地方貴族の為の宿泊施設が完備されている、そこを借りればよかっただけの話だ」
「くぅぅぅううう!?この鬼婆!そっちが次から次へと家具を送り付けて来るから、倉庫代が高くついてそれで借りる余裕が無いのよ!」
「全てが終わる前から算段を付けて先走ったのが原因だ出たとこ娘、来月には立冬際が行われるのだから家具と言った大きい物は早い内に段取りを付けねば、どこも引き受けてくれんぞ?」
「くぅうううう!?だったら最初からそう言いなさいよ!私がラッセと打ち合わせをしていても何も言ってこなかったでしょ、今さら文句言わないでよ!」
「私が今回の事を知ったのは話が終わった後だ、そもそも人様の家の孫娘の夫を引き抜くなら事前に当主か先代当主に話を付けるのが筋という物だろ?それもせずに話を進めたお前の咎だ馬鹿者」
シャーリーさんが舌戦で負けている!?
何を言っても倍にして図星だけを集中的に攻撃されてシャーリーさんは今、お母さんに泣きついている。
「おね゛ざまああああ!」
「泣かないでシャーリー、シャーリーは強い子でしょ?」
眼力だけじゃなくて口も凄い、この人がシャーリーさんの従兄の奥さんのお祖母ちゃん、カサンドラ・ナダル・バンデラスさん、さっきから一方的にシャーリーさんを言い負かしている。
あの後、突然の眼力で固まってしまったボクはカサンドラさんに抱えられながら庭に戻りボクが脇に抱えられ放心した状態で戻った事に驚いたアストルフォが盛大に威嚇をしてしまい、それで皆が起きてこの騒ぎだ。
近くではシャーリーさんの従兄、ラッセさんが苦笑いを浮かべながら眺め奥さんのイネスさんがシャーリーさんを一方的に言い負かすカサンドラさんを睨んでいる。
「お祖母様、あまりシャーリーを虐めないでください」
「ラッセの言う通り、シャーリーちゃんは頑張ったんだから誉めてあげないと」
「褒めれば図に乗るのがこの突撃娘の悪癖だ、誰か一人でも辛辣な対応をしなければ母親と同じ様に足元を掬われる」
と、さっきからこんな感じだ。
ううん、まだまだ続きそうだけどそのくらいにしないとせっかく作ったスープが冷めてしまう。
「まあいい、続きは後でだ。さっきから鼻腔をくすぐる香りが気になって仕方がない、悪いが私にも食べさせてもらっていいかな?」
「ふえ?あ、はい、大丈夫ですよ。ちょっと待ってください、すぐにご用意しますので」
「あれぇえ?小母様は使用人が食べ物を横取りするおつもりで??」
あ!?シャーリーさん喧嘩売らない、そんな考えなしに言ったら……。
「ではお前はいらないのだな、分かった…雇い主はいらぬそうだ」
「ちょっ!?何もそんな……」
揚げ足を取られて痛い目を見るだけだよ。
ボクは心の中でシャーリーさんにツッコミを入れながらカサンドラさん達の分も一緒に用意を始める。
じゃが芋のポタージュ、パンは食パンに似たパンドミという少し甘みのあるイギリスパンのようなパンでそれを6枚切りくらいの厚さに切り、トースターの代わりに取っ手の付いた網で挟んで両面をこんがり焼いた物を用意して準備完了だ。
それにしてもやっと朝食が食べられる。
準備をしている最中にあの騒ぎだったからお腹ペコペコだ。
では、ポタージュの出来は…うん、旅の最中にも驚いたけどこの缶詰のスープはそこまで鉄臭くなかったから予想以上に美味く出来た。
ベーコンの塩気と牛乳が良い塩梅だ、それにじゃが芋のおかげでスープにトロミが付いてお腹の中に入っても中々冷めないからとっても体が温まる。
「お祖母様、このポタージュに使われているのは缶のスープなのですよね?あの演習で何とも食べた味ッ気のないスープがこんなに美味しいポタージュになるなんて!」
「ああ、ベーコンと牛乳が良い味を出している、何より体の芯まで温まるのが良い」
良かったどうやら好評みたいだ。
少し気難しそうなカサンドラさんも気に入ってくれたいでこの後も何度かお代わりをしてくれて、鍋いっぱいに作ったじゃが芋のポタージュは汁の一滴も残す事なく完食となった。
「それで一体何でこんなに早く来たのかしら小母様、立冬祭が始まる前にだけじゃないですよね?」
「ふん、どこかの馬鹿者が工期を早めろと無茶を言って、それで突貫で仕上げたせいで許可が下りないだろうと親切に教えてくれた人がいてな、だから古い友人に頼んで予備役の工兵に助力を求めた。今日の昼には到着するから彼等なら一月もせずに終わらせるだろう」
「はあ!?手抜きはしていないって…あの社長!!」
「がなるな馬鹿者、手を抜いたのではなく焦って仕事をしたからだ、責任は全てお前の所為だ馬鹿者」
「くっ!?」
本日、何度目かのKO負けをしたシャーリーさんは涙目になりながら「ばーか、ばーか!鬼婆!!」と叫びながらテントの中に入って泣き出してしまった。
その姿を見つめるカサンドラさんの目は…とても面倒臭い物を見る目だった。
「さて、ロバートだったな」
「はい、何でしょう?」
カサンドラさんはロバートさんを呼びつけて何枚かの書類を手渡す、その書類には賃貸契約書と書かれていた。
一体何を借りるんだろう?そう言えば貸し家を借りるとか何とかいっていた様な?
「これは…先程言われていた貸し家ですか、二軒分なのは助力してくださる方々の分という事ですね」
「そうだ、庭に野宿されていては邪魔でしかない、それに怪我をした幼子を寒空の下で野宿させるわけにはいかんだろ?」
「分かりました、では書類はこちらで処理を致しましょう…と、そう言えばそちらの使用人の方々は何時こちらにこられるので?」
「そこまで人数はいない、コックが一人とメイドが三人、それと執事だが全員にはこちらが落ち着くまで暇を出しているから来るのは来年だ、それまで色々と世話になる」
「かしこまりました、ではそれまで私がカサンドラ様の執事も兼任いたしましょう」
「助かる」
シャーリーさんが与り知らない所で何か話がどんどん進んで行く。
たぶんこの後、絶対にまた言い合いになると思う。
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