29話 良い日、再出発
悪夢を見なかった、久しぶりに爽やかな気分で目覚める事が出来た。
お母さんとアストルフォはまだ眠っている、二人を起こさない様にゆっくりとベッドから降りて部屋を出る、僕の着替えは隣の休憩室の箪笥の中に入っているからそれを持って二階にあるシャワー室の脱衣所で着替えて洗濯籠の中に、分けていれて顔を洗って着替え完了だ。
出入り口に掛けられ時計を見ると7時を過ぎた時間だ、昨日は臨時休業だったけど色んな事を話し合っていたら結局、普段のお店を閉める時間まで掛かってしまった、そして今日は土曜日でお店の定休日だから皆の起きる時間は平日より少し遅く8時前後だ。
それまで何をしようかな。
以前は隠れてしていたラジオ体操を堂々としようかな。
前世で日課にしていた事はラジオ体操、朝のランニング、お弁当作りと簡単な朝食作り、家政婦さんが一切手を付けない僕の分の洗濯物を干す事、朝にしていた日課はそれくらいかな。
一人で外に出る事はまだ禁止だからランニングは出来ない、家の手伝いを始めていいのは本来だったら数え年で六歳からだから業務に関係の無い事は禁止、料理はまだ小さいから危ないのでこれも禁止だから、時間まで本を読む事にしよう。
本を読むのはそういえば久しぶりだ、ここ最近は精神的に辛かったから読む気になれなかった、それに昨日は何でボクはあんな馬鹿な事を思ったんだろう。
しっかりと考えれば分かる事なのに司祭様の言葉を鵜呑みにしてしまった、自分がいなければお母さんが幸せになれるなんて、勝手に決めつけて出て行こうとした。
前世はもう昔の事で今は僕を大切に思ってくれる人に囲まれている、間違った事をしたら叱ってくれる、何か出来れば褒めてくれる、それだけ大切にされているのに出て行くなんてしたら傷つける事になるってまだまだ、僕は前世の事を引きずっているみたいだ。
うん、でも今は晴れやかな気分だ。
たぶん僕は昨日、全てを打ち明けた事で本当の意味で生まれ変わったのだ。
だから僕であった事を過去にする、今日からボクはルシオ・マリアローズだ。
僕の人生は既に終わっている、ボクの歩みはその続きじゃない、ルシオ・マリアローズとしての新しい歩みなのだ。
カッコウの鳴き声が聞こえて振り向くと八時になっていた、読んでいた本に栞を挟んでボクは二階で眠っているお母さんの下に行く。
時計の時刻を知らせる音程度ではお母さんを起こす事は出来ない、確かお店の前で馬車が転倒した音でも起きなかった。ボクがこうして起こす様になる前は交代制で毎朝、誰かに起こされていたらしい。
ただ厄介なのはお母さんは氷魔法を使うのだけどボクと同じで内向魔法も高い次元で使える人でもある、そして抱き着き癖があって起こしに来た人を寝ぼけて抱きしめてしまう悪癖がある。
力加減は間違えたりしないんだけど、一度でも抱き締められると脱出は不可能だ。
何でも学生の時のお母さんの夢はお祖父ちゃんと同じ軍人になる事だったらみたいで、士官科に在籍していたらしい、だから一度でも捕まると簡単には逃げられない。
長年(二年とちょっと)のボクの疑問、学校の授業でとはいえ柔道経験者のボクが一度でも抱きしめられると自主的にお母さんが起きない限り抜けられない理由は、学校柔道対軍隊格闘技、最初から勝てる要素が無かったのだ。
だけど最近は前より早く目を覚ましてくれる様になったから、以前の様にリーリエさんが来るまで抱きしめられるという事は無くなった。
ボクが部屋に入るとお母さんはまだ眠っていた、アストルフォは目を覚ましたらしくて床に降りて体を羽繕いをしている。部屋に入って来たボクと目が合うと何時もの様に「クエ!」と鳴いて挨拶をしてくれる。
「おはよう、アストルフォ」
次にお母さんを見ると、やっぱりぐっすりと眠っている。
近付いて少し肩を揺すって「朝だよ」と声を掛けると同時に後に下がる、が間に合わなかった、普段のおっとりとした雰囲気とは裏腹にお母さんは全く予備動作無くボクを抱きしめる。
そして少ししたら薄っすらと目を開け始めてボクの頭を撫でながら目を覚ます。
「おはようマリア、今日も可愛いわ」
「おはようございます、お母さん」
そうしていると下から物音が聞こえて来る、皆も起きて来て朝食の準備を始めたらしい。
さあボクに出来た新しい朝の日課を始めるとしよう。
まずはまだ少し寝惚けているお母さんの着替えを用意する、お母さんが着替え始め脱いだ洗濯物を一階の脱衣所の洗濯籠に入れて外で洗濯を始めているセリーヌさんとキルスティさんに洗濯籠を渡す。
次に二階に戻って着替え終わって身嗜みを整え始めているお母さんを椅子に座ってもらい、ボクは脚立に乗ってお母さんの髪を櫛で整えてから後ろで綺麗に結んでポニーテールにする。
次は逆にお母さんにボクの髪を櫛でとかしてもらう、髪を伸ばすのはまだ先だから今は少年の様に短くしているからすぐに終わる、でもあれだよね髪結いをする年齢になったら女の子みたいに髪を伸ばさないといけない、まだ男だった頃の感覚が抜けないから正直抵抗があるから髪結いの日までに覚悟を決めよう。
髪をとかし終わったら次は下に降りてお母さんは朝食作りの手伝い、ボクは外でアストルフォと一緒に洗濯物を洗う手伝いをする。
一応、業務の一環として無理を言って許して貰えている。
何もせずに待っているのが苦手だから、洗濯は自分でするものと言うのが15年の人生に染みついているから仕方がない。
洗濯物の量は多い、皆の制服や衣服だけでなくお店で使ったテーブルクロスや雑巾、タオルとか色々あって全部手洗いだ。
何だろう、自分の前世の境遇に感謝する日が来るとは予想外だった。
洗濯機は家政婦さん専用でボクが使ってはいけなかったから自分の服は全部手洗いだった、その経験がこの世界で生きるなんて誰が予想しただろう。
ちなみにアストルフォはその鋭い鍵爪が原因で洗濯物を洗うと傷つけてしまうから今は洗い終わった物が入っている籠を前足で器用に掴んで、翼をはためかせて洗濯物を干している人の所まで運んで行き、干し終わった空になった籠を持って来るを繰り返している。
本当に器用な子だな。
洗濯物を干し終わる頃には朝食の準備が終わり手を洗ってテーブルに座る。
朝一番に街に一軒だけあるパン屋さんが作った、ライ麦と小麦で作られた形が食パンに似たパンを適当な厚さにスライスして、チーズとハムにレタスをたっぷり乗せた物と大振りのソーセージというシンプルだけど豪快だ、西部では朝食でもソーセージを食べるのが普通らしい。
テーブルには追加のパンとチーズとレタスが置かれていてたパンに掛ける用のオリーブオイルも一緒に置いてある。
「全員集まったね、それじゃあ食べようか」
女将さんの一言で一斉に食べ始める。
「いただきます」
「あん、何だそれ?」
は、しまった日本人特有の「いただきます」が出てしまった。
「ええと、前世のボクが住んでいた国ではご飯を食べる時にいただきます、食べ終わった後にごちそうさま、と言う習慣があって、もう隠さなくても良いと思ったら遂に出てしまいました」
「へえ、貴族とかが食う前に言う祝詞みたいなものか?」
祝詞、確か「いただきます」も「ごちそうさま」も元々はとても長い和歌だと古典の授業で習った、たぶんそれと同じかな、そう言えばキリスト教でも似た様な事を言っていた筈だ。
「いただきますもごちそうさまも作ってくれた人、そして命に対しての感謝の言葉なので意味合いは同じだと思います」
「まあ、それはとても良い事だわ。あ、でもね外ではしない方が良いと思うわ」
確かに、ボクは
平然と受け入れてくれたお母さんや皆が特別なだけで他人から見ればボクは奇怪な存在だ、下手に知られれば間違いなく碌な事にならない、つまり即抹殺だ。
油断していた、少し気を引き締めないといけない。
「だけどここではしても大丈夫よ、今では誰もしなくなったけどずっと昔は誰でもご飯を食べる前に言っていたから」
「はい」
さあ、食べよう。
美味しいい、パンは少し酸味があるけど逆にチーズと良く合う。
瑞々しいレタスと少し甘い味付けのスクランブルエッグが合わさると更に奥深い味になる、ソーセージは齧り付くと肉汁が溢れ出して来て口いっぱいに幸せな味が広がる。
お代わりをする時に気になっていたオリーブオイルをパンに掛けて食べて驚いた、パンとオリーブオイルって相性が良かった。そう言えばスーパーのパンコーナーで石窯とかに一風変わった物を発売しているパンメーカーの商品が陳列している近くに、オリーブオイルが一緒に置かれている事があったけど、今なら納得が出来る。
「クエ」
声がして下を見るとアストルフォが木皿を前足で突っついてお代わりを主張していた、一旦椅子から降りて木皿を持ってリーリエさんにアストルフォのお代わりをついで貰う。
鷲の前半身を持っているのにアストルフォの主食は野菜だ、肉類も食べるけどどちらかと言えば魚肉を好む、ソーセージとか普通に美味しそうに食べるけど一番好むのは朝採れの新鮮な野菜だ。
お代わりを入れた木皿を置くとアストルフォは美味しそうに食べ始める。
その姿を見ていると地球のヒポグリフとは形や姿こそ似ているけど全く別の存在なんだと改めて思う。
そうやってお代わりを繰り返しながらお腹八分目まで食べ終わる。
食べ終わると食器を厨房まで持って行く。
普段ならこれからお昼前まで自由時間で昼前から各自担当している仕事を始めるんだけど、本日は定休日でお昼に洗濯物を入れる係の人以外は基本的に街に出かけて行く。
ボクは二階に上がって予習、お母さんは今まで隠れてしていたけどボクに全てを語った事で隠さなくてもよくになり一緒に勉強をする、ボクは初等部の子供が習う内容を、お母さんは中等部で習う事をそれぞれ自習しながらシェリーさんの授業が始まるまで続ける。
アストルフォは二度寝を始めている。
それにしても昨日は色々な事を話した、ボクの事やお母さんの事、この世界のこととか。
亡くなったお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに会った事のあるお母さんが学生時代の時に一時的に講師として学園で教鞭を振るっていた副女将さんが言うにはお母さんはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの良い所を中心に受け継いで、そして生まれて来たボクはお母さんにお祖母ちゃんの要素を足した顔をしているらしい。
お母さんの髪と肌の色はお祖父ちゃんから、ボクの髪と肌の色はお祖母ちゃんから、そして瞳の色はお祖母ちゃんから受け継いだ。
何でもお祖母ちゃんは山脈の向こう側、大陸の僻地である北域諸王国の少数民族の出身で、このルビーの様な瞳はその部族特有の特徴らしい。
そしてお祖父ちゃんは南部出身の軍人でお母さんはお祖父ちゃんに憧れて軍人を目指してソルフィア王国で随一と言われている王立イリアンソス学園に在籍していた、士官科の次席で文武両道の才媛として知られていたと副女将さんが言っていた。
その話を聞いた時は本当に驚いた。
ボクの事も話した。
正直言って聞いて気分が悪くなる事が多くてどう話したら良いか苦心した、だから生前のボクが楽しくて大好きだった料理の事を中心に話す事にした、それを言うと「あのノートに書かれていたのは異界の料理の事だったのか」と何故か納得している人が何人かいた。
ふと窓の外を見る。
これからボクが歩んで行く世界が見える。
ボクはこれから色んな事を知り、色んな出会いをするのだろう。
そう思いボクは自習の片手間でしている地球の料理の再現レシピをノートに書いて行く。
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