おまけ話②-1:家族旅行~カイゼル編①~

「お~い、セシル~」

「おっ、カイゼル、来たか」


 リトミナの王都の、屋台街の中心部にある広場。

 カイゼルは、その広場の時計の下にいる待ち合わせ相手―セシルに、駆けながら手を振った。


「すまん、待たせちまったな。ちょっと仕事にてこずっちゃって」

 カイゼルは、セシルの元にまで来ると、ふうと息をつく。

「大丈夫、オレらだってさっき来たとこだし」

 セシルは「気にすんなよ」と、隣にいたレスターと共に微笑んだ…


「母上の嘘つき」

 と、男の子の不機嫌そうな声が、セシルの後ろから聞こえた。驚いてカイゼルが見ると、灰色頭の男の子が、セシルのスカートの後ろからひょこっと顔を出す。そして、じいーっと、水色の目でカイゼルを睨みつけた。


「僕たち、17分と20秒待たされたんだから。…あのね、カイゼルおじさんも社会人生活長いんなら、『5分前行動』っていうものが頭の中に入っているはずだよね?ひどい職場なら、10分前行動でも許されないよ。どうせ母上との長年の関係性に甘えて、ちょっとぐらい遅刻しても許されるって思ってたんだよね?だから呑気に仕事してたんだよね?それにいくら仕事に手間取ったからって、クライアント待たせちゃおじさん社会人生命終わりだよ?要するにエンドエンド、ジ・エンド、そして社会からもドロップアウト、絶望の人生へれっつごー♡…うぎゃっ」


「ノエル、正直者なのはよろしい。だけど、この世の中、大人になるためには社交辞令が必要だ。バカ正直なお前には、今度社交辞令という物を叩きこんでやるからな」

 セシルは額に青筋を浮かべながら、「分かった?」と怖い笑みで男の子を見た。


「うう~っ」

 セシルにげんこつを落とされた男の子―セシルの息子ノエルは、たんこぶの出来た頭を両手でさすさすしながら、涙目で母親を恨みがましげに見上げた。



「お前ら、夫婦2人、水入らずでの旅行だって聞いてたんだけど…」


 カイゼルは、鬘のポジションを直すノエルを見てから、戸惑ったようにセシルを見た。


 カイゼルはセシルから、子供達を義母ははに任せて、リトミナに暫くの間夫婦二人でお忍び旅行にくると聞いていたので、久しぶりに会いたいと待ち合わせをしていたのだ。だが、来てみればなぜか、ノエルも来ていた。


 すると、セシルは困ったように、息子とおそろいの灰色の鬘越しに、頭をポリポリと掻いた。


「オレ達もそのつもりだったんだけどさ…この子、付いてくるって言ってきかないんだよ…。仕方ないから、連れてきた。こうなったらジゼルも連れてこようかと思ったけど、やっぱりまだ小さいから、義母上ははうえに任せてきたけど…」

「けど、ノエルもまだ6歳だろ…」


 ジゼルとは、セシルの娘である。今年で2歳になったばかりだから、長旅に耐えられるとは思えないので、連れて来なくて正解だ。だが、目の前に居るこのおチビも、まだまだ十分すぎるほどおチビである。…と、カイゼルからそんな視線で見られて、不服と言わんばかりにノエルが頬を膨らませた。


「カイゼルおじさん、絶対今、僕の事おチビって思ったでしょ!僕はもうチビじゃないから!ちゃんと、一人で身支度だってできるし、剣のお稽古だってしてるもん。馬鹿にしないで!」

「い、いや、馬鹿にしてないけど…」


 カイゼルは、ノエルに思いっきり睨まれて、慌ててセシルに助けを求めるかのように、視線を送った。すると、セシルはこれ見よがしにため息をついた。


「こんな感じで言ってきかないんだよ…」

「…まあ、この年の割にしっかりしていると思うから、大丈夫だとは思うんだけどね…」

 レスターも、あははと頭を掻いて、苦笑いした。そして、レスターは、ノエルを意地の悪そうな顔でちらと見た後、カイゼルの方を向いて言った。


「どうやら、セシルが旅行の間、俺に独り占めにされるのが、我慢ならないみたいだから」

「……要するにマザコン…って訳か」

 カイゼルは、「はは~ん」と、にまにまと小馬鹿にするような顔でノエルを見た。すると、ノエルは、これまた心外という顔で、頬を膨らませた。


「違う!僕、マザコンとは違うから!僕は大きくなったら、母上をお嫁さんにするんだから!」

「…俺もチビの時、お母さんと結婚するって言ってたなあ…」


 カイゼルは、これが世の中の男のサガかと苦笑した。後数年もすれば、『くそババア』と母親がうざくなる時が来るのだろうかと、カイゼルはなんだか可笑しくも思った。…が、


「残念ながら、母上は既に父上のお嫁さんだからね。だから、ノエルは母上とは結婚できないからね、に」


 レスターはセシルの肩を抱くと、(見せつけるかのようにノエルを見下し)にこにこと笑った。だが、目だけは冷ややかで、全く笑っていなかった。


「何なの!?夢見る子供に対して、そのガチな現実告知は?!」

 カイゼルは、大人げない対応をするレスターに引く。


 しかし、ノエルは、父親のそんな冷たい笑みにも屈せず、両こぶしを握り締めて立ち向かう。


「結婚するもん!僕、おじい様に目の色と髪の色以外、そっくりっておばあ様から言われてるし、おっきくなったら絶対に父上よりもかっこいい男になるもん!そしたら、母上だって、地味な顔の父上になんか愛想つかして、僕のお嫁さんになってくれるもん!」


 次の瞬間、にこにことした笑みを絶やしていないレスターの頭部の方から、ぶちっと言う音が聞こえたような気がしたが、カイゼルはあえて気のせいだったという事にしておこうと思った。


「そうか、そうか。お前の言いたいことはよぉくわかったよ、ノエル。だけどね、父上の方が先に、母上をお嫁さんにすると神様の前で誓ったんだよ。だから、お前が母上を横取りしようとすることは、神様が絶対にお許しにはならないからね。そんなことをしたら天罰が当たって、おへそを取られて、死ぬまでずうっとお腹を壊しつづけるからね」

「…え」


 ノエルは恐怖の顔をすると、はっと自分のおへそのあたりを両手で押さえた。だが、リトミナの服は厚い帯をするために、布越しに自分のおへそがまだちゃんとあるかどうか、確認できない。さすさすと帯越しに腹を撫でるが、おへそが中々確認できなくて、ノエルは次第に泣きそうに―目にウルウルと涙をためていく。


「子供相手に大人げなさ、半端ねえ…」

 カイゼルは、レスターの言動にドン引きした。しかし、同時に、おへそを取られるなんて、大人からすればあきらかに嘘の天罰に焦るノエルがいじらしくて、可愛らしいと思った。


「はいはい、神様はおへそなんて取らないから。おへそなんかとったって、何の役にも立たないだろ?安心しろ」

 セシルは、堪えきれずぽろぽろと涙をこぼし始めたノエルを、しょうがないなあと抱きあげた。


「ホントに?ホントに取らない?」

「取らない取らない」


「母上をお嫁さんにしても、取られない?」

 ノエルは、ちょっとだけ泣き止んで、わずかな希望にすがりつくかのようにセシルを見た。セシルはにこっと笑うと、『取られないよ』と口を開こうと…


「取られるから、絶対に取られるから」


する前に、レスターはすかさず言う。すると、ノエルはこらえきれず、「ふええん」と小さく泣き声をあげ始めた。


「…レスター…」

 そんなレスターにため息をつきつつ、セシルはノエルの背を宥めるように撫でる。


「取られないって、まったくレスターは…」

 じとーっと、セシルは大人げない夫を睨む。しかし、レスターは、『さあ?』と、あさってを向く。全く反省していないそんなレスターに、セシルはもう一度ため息をつくと、


「ノエル?おもちゃ、買いに行こうか?こんな父上ほっておいて、2人っきりで」

「おもちゃ!?」

 ノエルは、一瞬にして涙をひっこめると、きらきらとした目でセシルを見た。


「ああ、おもちゃだ。この先に、おもちゃのお店が集まっている通りがあってな」

「行く行く!わあい、母上と二人っきりでデートだあ!」

 ノエルは、セシルに抱き上げられたまま、万歳した。


「えっ、ちょっと待って。俺も行く…」

 レスターは、『そんなことさせるか』と、慌ててセシルの肩に手を置いた。しかし、セシルは冷たい目をレスターに向けると、「ふん」と言って、ぷいと顔を背けた。


「さ、行こっか、ノエル。カイゼル~、しばらくの間、ここでレスターこの馬鹿預かっておいて」


「え、何で俺が?」

 カイゼルは、何故そんな面倒くさい仕事を振られなければならないのかと、セシルを見るが、セシルはとっくにノエルを抱いたまま、おもちゃ屋の方角へと歩き始めている。そして、レスターは、慌ててその後ろを追いかけている。


「セシル、待って。俺も行くったら」

「来るなよ。ついて来たらだからな」

「ふぇっ!?」


 レスターは、結婚生活においてセシルの口から初めてきいた『離婚』の単語に、驚愕して固まった。その間にも、セシルはずんずんと歩いていき―やがて、人ごみに紛れて消えて行った。


「そくりこん…」


 その場で、セシルに向けて手を伸ばしたままの姿勢で固まっているレスター。よほどショックが大きかったのだろうかと、カイゼルは可笑しく思った。しかも、丁度いいタイミングで、春の終わりにもかかわらずひゅう~と寒そうな風が吹いたので、カイゼルは思わず、ぶっと一発吹いてしまったのであった。

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