17-②:前世と異世界と。

「……セシル」

「…アンリか」


 年が変わり幾日かたったその夜、テスは病院の屋上のふちに腰掛け、星空を見ていた。屋上に上ってきたアンリは憔悴した顔でその隣に座り、ふうと息をついた。



「……」

 アンリの顔を見て、大分疲れているんだろうな、とテスは思う。そして、それは当然だろうな、と思う。今までこの男は、何の苦労も知らない平和な世界に生きていたのだから。急に天国から地獄に突き落とされたみたいなものだろう。自分はその地獄を一度経験していたから、慣れた物だった。とはいえ、あの時、一度は動転してしまった。


「……」

―あの時、この男に頬を叩かれなければ、目が覚めていなかった


 こんな出来事ぐらいで憔悴しきっている、情けない平和ぼけ男。だけど、先に自身が動転してしまった以上とやかくは言えないなと、テスは心の中で自嘲めいたため息をついた。こんな男に、自身が目を覚まさせられるなどと、今考えれば無知な若輩ごときに先を越された気分だ。だけど、悪い気分はしなかった。



「……」

 テスは、ぼけっと空を眺めているアンリをしばらく見ていたが、やがてテスもアンリから目を離すと、すぐ下を見た。そこには、病院に入りきらなかった患者たちのために、設置されたテントの群れがある。内側の明かりがテントの布越しに透けていて、まるで行燈のようだった。


 この病院に押し寄せる人間の数も少しは落ち着いてきて、今日の夜は静かなものだった。それは、ホリアンサ近郊の街から人手と援助が届くようになり、あちこちに簡易の救護所や配給所ができたからだ。

 しかし、テスは、怪我人よりも既に死んでしまった人間の方が、増えたからだろうと思う。瓦礫に埋もれた人々を救助する活動も行われていたが、出てくるのは既に死体ばかりとなっていたからだ。



 暗闇の中、下界ではあちこちで野辺送りの火がちらちらと見えている。時折夜風に乗って流れてくる人の焼ける匂いも、2人はもう慣れたものだった。いいや、アンリはともかく、テスは既にこの匂いには慣れていた。



「…もしあの日、こんなことが無ければ、今頃は皆と呑気にお正月を過ごしていた所だったんですね」

 ふとアンリがぽつりと言った。そして、疲れきった笑いをテスに向ける。


「そうだな…」

 テスは彼を慰められそうな言葉など何も思い浮かばず、ただ頷く。

 それによく知っていた。こういう時は、根本を突き詰めると慰めてほしいのではない。こういう時は、ただ誰かに傍にいて欲しいだけ。傷ついた心がさらに孤独に押しつぶされてしまわないように誰かの声を聞きたいだけ、要するに一人になりたくないだけなのだ。


「…もうきっと日が変わりましたね。いつもなら、街の時計塔が鐘を鳴らすんですが、もうそれもなくなってしまいましたし」

「……」

 そして、そのまま落ちる静寂。だが、不思議と居心地は悪くなく、テスはただ野辺送りの火を見ていた。




「もしかして、君、医者を目指していたことがあったんじゃないですか?」

 そうして何分が立っただろう。ふと、アンリが口を開いた。


「……」

 テスは少し驚きながらアンリを振り向く。そんなテスにアンリはふふっと笑いかける。


「だって、君は看護師なのに、それ以上の技術と知識がありました。人手が足りない中、医者並の働きをしてくれたのはすごく助かりましたけれど、今思えば不思議に思って…。それに、君が話してくれた医者の心得にも、やたらと説得力がありました。君の言葉で、僕は無力ながらも、できることは力を尽せてやれたんです。無力感に苛まれてはいますが、後悔自体は不思議なほどありません。君のおかげです…ありがとう、とても感謝しています」


 アンリはテスに頭を深く下げた。


「……」

 テスは何と返せばいいのか分からず、ただただ頭を下げるアンリを見ていた。やがて頭を上げたアンリは、少しだけ首をかしげて聞いた。


「もしかして君は医者を目指していたけれど、王家の方だからあきらめた、とか…ですか?」

 アンリは詮索するのは悪いと遠慮がちな様子だったが、興味深そうにテスの顔を見ている。


「……」

 テスはどう答えたら良いものかと、しばらく目を逡巡させていた。しかし、やがて意を決したかのようにアンリを向いた。

「目指していたんじゃない。医者だったんだ…」


「え…?」

 アンリは訳が分からず、テスの顔を見た。しかし、嘘を言っているような目ではない。だけど、アンリは、リトミナ王家の者が医者だったなどとは聞いたことがないし、ありうる訳がないと思う。そんなアンリに、テスは一息つくと、思い切ったかのように口を開いた。


「なあ…アンリ、お前、生まれ変わりって信じるか?」

「生まれ変わり? 生まれ変わりってあの、死んだ人間が新たな肉体を得て、新たな人生を送るっていうあれの事…?」


 自信なさげに首をかしげて自身をみるアンリに、テスは「ああそうだ」と頷く。


「俺は、セシル・フィランツィル=リートンとして産まれる前は、テス・クリスタという名前の男で医者だった」

「……え」

 訳が分からず首をかしげる角度を深くしたアンリに、それでもテスは続けて言う。


「その時、俺はこの世界ではない、異世界に住んでいた」

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