第100話 約束(2)

そんな彼女の顔を


ぼんやりと見ながら


八神は何かに背中を押されるように。



「ばあちゃん、おれ、」


静かに祖母に語りかけた。


「なあに?」



「・・美咲と、結婚すっから、」



「え・・・」



ばあちゃんよりも


美咲が驚いた。



「今すぐにはできないけど。 おれが結婚するとしたら・・・相手は美咲しかいないから。」


尚もそういい続ける八神に美咲はもう驚いて二の句が告げなかった。


「そうかあ、」


祖母は本当に嬉しそうに微笑んだ。



「ばあちゃんが。 ほんっとにおれたちのことかわいがって育ててくれた時間。  もうそのときからおれたちの人生・・決まってたんじゃないかって、」


八神も耐え切れずに涙をこぼしてしまった。



「慎吾、」


美咲はぼんやりと彼の名を口にした。


「うん・・うん、」


祖母はそっと目を閉じた。


目の端には涙が光っていた。


眠ってしまった祖母の部屋を出て




「慎吾・・いくらばあちゃんを喜ばせたいからって、ウソはダメだよ、」


涙ぐみながら美咲は言う。


八神は黙っていた。




そして、


「あそこに、行こう。」


八神は美咲に振り返った。


「え・・?」


「『ホタルの丘』、」


八神はニッコリと笑った。




みんな


『ホタルの丘』って呼んでいた。


ほんとの


そこの名前なんか誰も知らない。


ちょっとした小高い丘に小さな小川が流れている。


そこに夏になるとホタルが小さな光を放つ。




「まだ、いるのかな。」


もう夕方だったが、気配はない。


「わかんない・・あたしもずっと来てなかったし、」


美咲は彼を追いかけるようにやって来て言った。



夕陽がまぶしいほどだった。


ぜんぶが


オレンジ色に溶けて。


ここもまた


時間が止まっている。




嫌で仕方がなかった。


山ばっかりで。


田舎で。



北都フィルを辞めてここに戻ってきた時は


目の前が真っ暗だった。


ばあちゃんは


そんなおれに


何も言わずに。


ほんとに、子供のときと同じようにおれの世話をやいてくれて。



ひょっとして一生をここで終えるのかなって


そんなのまっぴらだって


思っていたのに。



今はここの夕陽が死ぬほど懐かしい。


それが山の間に沈む



「慎吾、あの、」


美咲は何か言おうとした。


「黙って、」


八神はしーっと口を押さえてホタルが来るのを待った。



すると


ひとつ、ふたつ


ぼうっとした白いような緑のような光が確かに見えた。



「あ、」


美咲は驚いた。


「やっぱ、いた。」


八神の笑顔は本当に子供のころ、そのままで。



あっという間に光が増えた。


ついたり


消えたり


一定のリズムで。



「きれい、」


美咲はつぶやくように言った。



「ガキの頃。 どうしてもホタルを捕まえたくて。 何匹か捕まえて。 虫かごにいれておいて。 でも、虫かごの中じゃ、ホタルは生きられないんだよな。すぐ死んじゃった、」


八神は静かに笑う。



陽が沈み


空が紫色に変わった。



「美咲・・」


八神は大きな岩に腰掛けた美咲の頬にそっと手をやった。


静かに唇を重ねる。



え・・・



少し驚いた。


もちろん、彼とは何度もキスをしてるけど


いつもと全然違う・・


すごく、


すごく優しくて。



セックスをする前だけの


キスじゃなくて。


「ウソじゃないよ、」


八神は唇を離して美咲に言った。


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