第77話 心の距離(3)
八方塞のままその日は帰宅する。
帰り道、メールが着信した。
麻由子からだった。
『おかげさまで元いたパリの音楽院の試験を受け直すことでまたそこで勉強ができるかもしれない、というところまでたどり着けました。 今は本当にヴァイオリンが楽しくて、もっともっと上を目指して勉強をしたいと心から思えるようになりました・・・・』
希望に満ちたメールだった。
よかった・・
そう思う反面
今の自分があまりにも惨めな気がした。
『持っていない』
やつは
どこまでも
『持ってない』んだ。
おれ
ほんっと
何やってんだろ
オーボエの才能もなかったし
マユちゃんみたく
必死で頑張ろうって気持ちもなかった。
オケを辞めていくときの
惨めな気持ちを思い出してしまった。
そして
今日してしまった
あまりにも初歩的なミス。
麻由子のメールは
さらに八神を落ち込ませた。
部屋に帰っても何もする気になれなかった。
『向いてねえんじゃねえの?』
斯波の言葉が何度も何度も頭の中をぐるぐると回る。
そこにインターホンが鳴る。
「あ、帰ってた? よかった。」
美咲だった。
「なんだよ・・」
ひとりになりたかったのに。
ちょっと彼女の出現は迷惑だった。
「今日ね、会社の人が北海道の出張から帰ってきて。 レトルトのスープカレーたくさん買ってきてくれたの。これ、北海道で超有名なんだって。 いっぱいあったから慎吾にもあげる。」
と紙袋からカレーの箱を取り出した。
「あたしもスープカレーは初めてだなあ・・。 ね、食べてみよっか? ゴハンまだ?」
彼女の明るい声にイラっとしてしまい、
「いいよ。 もう。 悪いけど帰って。」
ブスっとして言ってしまった。
「・・なんか、あったの?」
彼の異変に美咲は気づいた。
「なんでもねえから。 もう、帰れ。」
八神はふいっと後ろを向いてしまった。
もうこれ以上おれに構うな!
こんな惨めなのに
美咲は彼の背中をじっと見て、
「んじゃ、帰る。 またね。」
何も聞かずにそのまま出て行ってしまった。
なんでもないわけがないことは
ヒシヒシと伝わってきた。
だけど
今はひとりになりたいんだ
美咲は彼の気持ちがテレパシーのように伝わってしまった。
バタンとドアが閉まる音がして、八神はそっと振り返り美咲が置いていったスープカレーの箱を手にした。
美咲に
あたって。
みっともねえ
涙が出そうだった。
美咲が家に戻ろうと歩いていると、
「美咲!」
後ろから声がして振り向いた。
「慎吾、」
慌てた様子で走ってきた八神に驚いた。
「・・か・・カレー・・」
息を切らせて言う。
「え?」
「やっぱ、食いたいから・・」
美咲は
八神の顔をじっと見て、ニコーっと笑って
「うん、」
と頷いた。
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