第49話 屈折(2)

「あ、ごくろうさん。」


社に戻ると、斯波にそう言われて心が痛かった。


「・・遅くなって、すみません。」


頭を下げた。


「真尋、そんなにダメだった?」


書き物をしながらそう言われ、



「いえ、」



どう答えていいかわからない。


自分を庇ってくれた真尋に


全てを擦り付けるようで、もう良心が痛んで仕方がない。


「ぜんっぜん・・ダメじゃなかった、です。」


「は?」


斯波は顔を上げた。



「す、すみません!!」


八神はオデコが膝につくくらい


斯波に頭を下げてしまった。


「おれ、真尋さんのピアノもロクに聴かないで・・寝てしまって、」


「は?」


「ちょっと仮眠をとったほうがいいって、絵梨沙さんに言われて・・甘えてしまって! ほんっと、」


声が震えていた。



自分が情けなくて


どうしようもない。


「真尋さんと絵梨沙さんはおれを庇ってくれたんです。 ほんと、恥ずかしい限りです。 もう、社員失格です!」


涙がこぼれた。


「バカだな。」


斯波はいつもの不機嫌そうな顔でそう言った。


「え、」


ものすごく怒られると思っていた八神は思わず顔を上げた。


「あいつらが庇ってくれたなら。 そういうことにしておけばよかったんだ。 そういうのバカ正直って言うんだ。」


ぶっきらぼうだが


温かい言葉だった。



「斯波さん、」


目の端に涙がひっかかっていた。


「おまえ、少し休めよ。 ここんとこ土日もなかったし。 お盆休みも今のところ取ってねえみたいだいし。」


それどころかそんな優しい言葉をかけられて。


「いえ。 もう、ほんと大丈夫ですから。」


思わず声をつまらせてしまった。



別に直接聞いた訳ではないけれど、


八神と麻由子のことは南たちが噂をしているので、嫌でも耳に入ってしまっていた。


彼女がオケを辞めた経緯とか


色んなことを思い出したりするけれど


若いうちは迷うものだと思っていた。


斯波はいつものように余計なことはひとことも言わず、静かに八神にそう言うだけだった。



家に帰ると、疲れきって眠り込む。


携帯が鳴ったので手だけのばしてそれを取る。


「美咲・・? なに、」


「どしたの?なんか声がおかしいよ?」


美咲はすぐに彼の異変に気づいた。


「ちょっと、喉痛いから、」


「風邪?」


「たいしたことないよ・・」


もう会話をするのも億劫だった。


「たいしたことなくないんじゃないの?」


「大丈夫だから。 切るよ。」


と、電話を切ってまた眠り込んだ。




「だから・・大丈夫だって言ったじゃん、」


美咲は気になって八神の部屋にやってきてしまった。


彼の顔をジーっと見てオデコに手をやった。


「え? 熱あるんじゃないの?」


「熱?」


自覚はゼロだった。



「体温計は?」


美咲は勝手に上がりこんだ。


「どこ行ったかなァ、」


暢気な彼に代わって、美咲は何とか体温計を探し出す。



「え! 39℃もあるよ!」


その数値を見て驚いた。


「39℃~?」


思わず咳き込んだ。


「もう! 立派な風邪だよ、これは! ほら、寝て!」


無理やり彼をベッドに寝かせた。



そうこうしている間に携帯が鳴る。


麻由子だった。


「え? あー、うん・・。 今日はどうだったの?」


美咲は何となく耳をそばだててしまった。


「そっかあ・・。 でも、心配することないって。 ほとんど仕上がってるし、」



彼女だ



そう直感した。


「え? いまから?」


八神は少し考えてから、


「わかった。 今から行くから。」


と起き上がる。


美咲は驚いて八神に駆け寄った。

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