第44話 全てを(3)

「なんか、必死だよね。」


仕事を9時過ぎに終えても八神が彼女のところへ行くのを知っていた南は志藤に言った。


「おれらが何言うても始まらない。 もう、八神が納得いくまでやるしかないって、」


志藤は興味なさそうに言った。


「冷たいなあ。」


「もう大人やもん。 周りが何を言うてもなあ。」


「美咲ちゃん、どないしてんのやろ。」


「う~~~ん、」


まあ、気にならなくも、ないが。




「あんまり無理しないほうがいいよ。 まだ1ヶ月もあるんだから。」


八神は麻由子に言った。


「なんだか、なかなか納得がいかなくて。 つい時間を忘れてしまって。 ここも9時までなのに、」


「課題曲のモーツアルトはマユちゃんも得意だし。 音の響きもすごくよかったよ、」


「ううん、まだまだ。 もっと頑張らなくちゃ。」


麻由子は静かにヴァイオリンをケースに閉まった。



オケにいたころの彼女は


本当に天真爛漫で。


物怖じしなくて


いつも


堂々としていた。



あの時の彼女とは


全く別人のように


今は


浮ついた気持ちもなく


ヴァイオリンに


心血を注いでいる。



八神は必死な彼女を何とか支えたかった。





「ゴハン食べに行こう。 何がいいかな、」


八神は彼女に笑いかけた。


「八神さん、お料理が得意なんだって前に言ってましたよね、」


「え? うん、」


「八神さんが作った料理が食べたい、」


麻由子はようやく笑顔を見せた。




「わ・・すごい。 こんなのがすぐにできるなんて。」


麻由子は八神の部屋に行った。


目の前に出されたおいしそうなとろとろのオムライスに目を丸くした。


「スープもあるよ。 ブロッコリーの。 栄養もあるし、」


「いただきまーす!」


麻由子は嬉しそうにそれを口に運んだ。


「美味しい、」


彼女の笑顔が本当に嬉しい。



八神の携帯が鳴った。


「慎吾?」


美咲だった。


「ああ・・うん、」


ちょっと気まずそうにその場を少し離れた。


「お母さんがたくさん野菜を送ってくれたの。 慎吾にも分けてあげてって。 ナスとかきゅうりとか、トマトも。 あたし、トマトあんまり好きじゃないから。 今から持っていっていい?」


ドキンとした。


「あ・・いや、今は・・」


「まだ外なの?」


「家、だけど。 暇な時、ドアノブに引っ掛けておいてくれていいから。」


「ドアノブなんか無用心だよ。 取られたらどーすんの、」


「いいよ。 大丈夫だから、」



どう考えても


来て欲しくない雰囲気を


美咲は敏感に感じ取った。


「・・わかった。 じゃあ、そうしとく。」


と、電話を切ってしまった。



彼女


来てるんだ


ほんっと


わかりやすいんだから。



ちょっと膨れた。



『あたしのところに戻ってくる』


なんて


言っちゃったけど。


やっぱり


キモチが握りつぶされそうで。


泣きたくなってしまったりもする。


どうして


ふりむいてくれないのって


あたしじゃダメなの?って


子供みたいに


泣いてわめいて暴れたりしたいって思うけど。



慎吾の気持ちが


全部


全部わかっちゃうんだもん。



わかりすぎるのって


つらいことも


たくさんある。

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