第33話 転換(2)

「なんだよ~、八神。 ふたまた~?」


とんでもないことを言い出した真尋の口を慌てて手で押さえ、


「な、なにを言いだすんですかっ!!」


もう


彼の口をどこかに持っていきたかった。


「ふたまた?」


麻由子にも怪しまれ、


「ぜ、ぜんっぜん違うから! この人、わけわかんないから!」


八神は必死で言い訳をした。


真尋は八神の手を振り払い、


「八神ってばコドモみたいなフリして、やることやってるもんな~。 おれが紹介することもないかァ、」


暢気に笑った。


「も、余計なこと言わないで下さいっ!」


泣きたくなった。




そのあとも


二人はしばらく真尋のピアノを聴いてしまった。


麻由子は壁にもたれて立ち、まんじりとも動かず。


真尋のピアノの音を


全身で感じていた。



リストの『愛の夢』


リストが苦手な真尋が唯一、得意なのがコレだった。


ライブのアンコールはいつもこの曲で。


胸に迫るくらい


感動的だった。



麻由子は


自分でも気づかないうちに


はらりと


涙をこぼしていた。



マユちゃん・・



八神は


胸が苦しくなった。


その涙が


感動の涙なのか


今の自分に対する悔し涙なのか


とても聞くことはできなかったけれど。



そして


え・・・?



彼女が横にいた自分の手をそっと握ってきた。



心臓が


直下型大地震のように


一気に揺さぶられた。



麻由子は


ただただ


真っ直ぐに真尋を見つめて


八神の手をぎゅっと握った。



その手から


感動が電気のように一気に伝わってきた。




「今日は、ありがとうございました、」


彼女の自宅の前まで送ると、麻由子は八神に深々とお辞儀をした。


「おれも楽しかったよ。」


いつわりのない気持ちだった。



「・・苦しくて、」


麻由子はまた涙ぐんだ。


「ほんっと、日本に戻ってきてからヴァイオリンさえも、もう嫌になって。辞めてしまおうかって何度も。」


「マユちゃん、」


「でも。 やっぱり音楽は素晴らしい。 真尋さんのピアノを聴いていたら、やっぱりあたしは音楽から逃れられないって。 音楽を取ったら自分じゃなくなるってわかった気がして。 あたしは体面ばかりを気にして。 本当に好きなことを、もっと頑張ってやればいいのに。 ほんとは・・八神さんが言ったように、もう一度北都フィルに戻って、オーケストラをやりたい。 あたしはずうっとそう思ってたんだって。」


「ウン、」


八神は優しく微笑んだ。


「・・もう一度、志藤さんに頭を下げてお願いしようって決めました。」


潤んだ瞳で八神を見つめた。


「そう思えたのも八神さんのおかげです。」


「いや、おれは、」


「ホントに。 八神さんといるとすっごく安心できるし。・・また、二人で会ってもらえますか?」



麻由子は笑顔になってそう言った。



「え・・」



また


ドキンと


心臓が音を立てた。



「ウン・・」


無意識にそう言って頷いていた。

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