第32話 転換(1)

麻由子は真尋のピアノの話を聞くうちに


「なんか。 あたしも真尋さんのピアノ、聴きたくなっちゃった、」



ポツリとそう言った。


ディズニーランドの雑踏のざわめきにその声はかき消されそうだったが、八神は彼女の心からの気持ちを聞き逃さなかった。


「行こうか、」


ニッコリ笑って彼女にそう言った。


「え?」


「真尋さんのトコ。」


「え、でも、」


「今日は仕事もないし、たぶん家かスタジオにいるから。 奥さんの絵梨沙さんに電話してみる。」


と携帯を取り出した。




まだ2時過ぎだったが、二人はディズニーランドを出て真尋のいるスタジオに向かった。


ヴァイオリンに自信を失くしかけている麻由子に何とか以前の気持ちを取り戻して欲しい。


八神はその一身だった。



麻由子はスタジオにおそるおそる足を踏み入れる。


「あ、やってるやってる・・」


二重の扉の向こうで真尋が一心不乱にピアノを弾いていた。



一つ目のドアを開けると、音が漏れて聞こえてくる。


「・・リスト・・」


麻由子はつぶやいた。



パガニーニによる大練習曲第6番



「真尋さんはね、リストはあまり得意じゃないんだ。 超絶なんか、今だって巧くないし。 斯波さんに言われて、今度の公演までに仕上げてる、」


八神はそう説明した。



正直


まだまだの段階のようだったが


彼のピアノの不思議な魅力に


麻由子は時間を忘れて聴き入った。



彼女の両手はぎゅっと


力強く胸の前で組まれて


今までの不安だった気持ちを


押さえつけるように。



もう一度


彼女は


スポットライトを浴びたいって


心のどこかでそう思ってる。



八神は彼女の横顔を見つめた。



「あ? 八神? なに?」


真尋は突然彼らに気づいた。


「あ、すみません。 邪魔しちゃって。」


八神は二つ目の扉を開けて中に入る。


「今日、休みだろ?」


「え、ええ・・。」



真尋は後ろの麻由子に気づいた。



「あれっ??」


彼女ににじり寄る。


「こ、こんにちわ、」


大きな彼に迫られて、麻由子は後ずさりをしてしまった。


「・・北都フィルに・・いたよね?」


いきなりそう言われて、


「えっ、」


麻由子は驚いた。


「ヴァイオリン、やってたよね?」



麻由子がオケにいた間、真尋と競演したのはたった1度きりで、それ以外はほとんど接点がなかったはずだった。


「え、ええ・・」


麻由子が頷くと、


「やっぱそーだ!」


真尋は笑顔になった。


「ちょ、ちょっと! おれのことはいっこも記憶なかったじゃないですか!」


八神はちょっと傷ついた。



「かわいい子は覚えてるよ~。 おれの視線、気づかなかった?」


真尋はいたずらっぽく笑う。


「はあ、」


麻由子は圧倒された。


「って。アレ?」


真尋は八神と麻由子がディズニーランドのお土産袋を提げているのを目ざとく見つけた。


「もしかして・・デート中?」


「えっ!!!」


二人は驚いた。


「なに、ディズニーランドの帰りに? おれんトコ様子見に来たの?」


ズケズケと言ってくる真尋に


「で、デートじゃないですよ・・」


八神は否定した。


「二人でディズニーランドをデートと呼ばずしてなんと呼ぶ!」


真尋は腕組みをして怖い顔で八神をにらみつけた。



なんと呼ぶって・・。


そりゃ


ちょっと説明はできないけど。



八神はそう言われて初めて、彼女と二人で出かけてしまったという事実に


気恥ずかしくなってきた。

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