『マクラーレン ~F1に魅せられた男~』 挑戦し続けた男の、早すぎる死

 ブルース・マクラーレンは、インタビューで

「資金がもっとあったら、もっと勝てるか?」

 と問いかけられ「ダメになる」と答えた。


「組織は、巨大になりすぎると融通が利かなくなる。身軽な方が戦いやすいね」


 ガソリンスタンドを営む父の隣で、子どもの頃から自分で車を修理・整備していた。

 父親もレースの選手であり、ブルースもレースの道へ。


 しかし、彼は重い障害を持っていた。

 大腿骨の先が潰れる「ペルテス病」という重病を患っていたのだ。

 二年も治療器具つきベッドで固定された。


 1950年代、レースの才能があった彼は、学生ながら優勝。

 

 F2の車をなんと自作し、F1との混合レースに出場。

 F1の車を抜き始め、F2部門で優勝した。


 後にF1の大会にも出場し、初優勝した。

 彼は時の人となる。


 だが、彼は事故に遭ってしまう。


 


 退院直後、マクラーレンは自分のチームを作った。

 1960年代に、自作のチーム、自作の車で優勝した。


 航空機の技術者を雇い、新たなF1カーは設計された。

 航空力学を、レーシングカーに応用したのだ。


 1967年、北米のレース「カンナム」用の車を三ヶ月という短期間で製造。

 しかし、トラブルが発生し、マクラーレンはほぼ周回遅れでスタート。

 ここからがすごかった。怒濤の追い上げを見せて、なんと二位でゴールするという快挙。


 後のF1レースで、マクラーレンは自分の作った車で、優勝した。

 F1で自分の名前がついた車で優勝したレーサーは、史上二人目で、以降生まれていない。



 

 レーサー時代、マクラーレンはテストレーサーを亡くしている。

 そのときの悼辞に、マクラーレンはこう述べている。

 

「彼は一生分生きた。人生はどれだけ挑戦してきたかだ。生きた長さではない」



 この言葉を、まさかマクラーレン自体が証明してしまうとは。


 

 1970年の頃だ。

 ウイングを挙げすぎた車でテスト走行をしていた時、事故を起こしてしまう。

 バランスを失い、小屋に突っ込んだのだ。

 即死だった。享年32歳。


当時のマクラーレンは、インディもカンナムもF1も全部に出場すると意気込んでいた。

 無理をしていたのだ。


 ハードワークが祟った、あまりにも早すぎる死である。


 だが、葬儀の二週間後には、レースが待っている。

 従業員たちは、仕事に戻った。

「彼ならそうするだろう」と、誰もが思っていたからだ。


 ドライバーを引き受けたのは、マクラーレンの友人だった。

 彼は優勝でマクラーレンを弔った。

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