この恋を諦めたい


 今日はえーと9月の何日なのか。911か。


 偶然だな。びいは泣きはしなかったが、ずっと「もう諦めたい」とつぶやき、タロットのカードばかりをめくっていた。ネットの。


 いろんなネットのカードでも、実はその日その日、出るカードは重なる。


 最近は悪魔が多かった。相手の気持ち。


 まあお前、相手はお前を利用しようという野心があるんで執着してると思うよ。わかんないけど。もしもお前がすっかりこの恋を忘れて、半年くらいしたら、連絡くると思うけどね。


 それでお前が気持ちがすっかり冷めてたら、それっきりになるくらい、相手はお前のことなど想ってない。その程度の感じだと思うよ。


 俺は実はタロットの先生と同じ意見だったんだよね。もう一人、I先生も似たようなことを言っていた。男にとったら、もうこの恋、興味が薄れてるから、連絡がこないんだと思うよ。


 俺はあまりにあからさまな言葉を使うのは避けた。俺が泣かしたら意味ない。





 最後に戦記の人と言葉を交わしたのは木曜だ。えーと、先週?先々週?


 電話口がびいと知ると「勘弁してよ……こっちは20時間仕事してるんだ」と戦記の人は言い、そのまま電話は切れた。この話、書いたっけ?


 まあ、前に比べたら落ち着いてる。俺はニヤッとした。このタイミングでもうびいに本当に諦めてもらいたい。戦記の人、絶対今、「モテ期」到来でうまく行ってると思う。だから、このタイミングでフェード・アウトはベストだ。


 「よく考えてみてよ?お前、戦記の人がお前に本気でもすっごく困るよ?この状況はむしろ願ったり叶ったり。お前、死にたいと言いながら追いかけて来るストーカーになり得るような人と恋に落ちてると思わん?」


 びいは石のように黙っていたが、俺は続けた。


「このタイミングでお前が去ったら、真面目にベストと思う。そもそもお前、戦記の人を死なせないことが目的だっただろう。目的は達成したし、もう俺もお前も『前世の恩』を十分返したんだ。お前は今、金もなく、これ以上、戦記の人に何もしてあげられない。お前じゃ何もかも、能力が足りないと。そういうことだよ。理解しようよ?」


 俺はとてもキツイと思ったが、とにかく諦めてもらいたかった。今すぐに。



 「どんなに好きな男が相手でも、アートのためには一緒にはなれない、いつもそうだっただろう。なのに今回は何なの?お前も年取ったってこと? プライドないの?」


 泣いてないことをいいことに、俺は「プライド」と言った。


「プライドない女なんて魅力ない。そう思わないか?」




 俺、なだめたりすかしたり、本当に大変だなあ、と思いながら、続けた。もう真夜中、12時近い。


 食事量が減って、運動量も減って、外にも出かけず、本当に徐々に悪くなっていってる中で、なんとか立ち直ってもらわないと困る。病院に連れて行くことも頭をよぎったが、薬を飲まされ、ぼーっとさせられたら、俺が困る。そもそも、愛が足りないのと、自分のやるべきこと、やりたいことがないのが原因だ。本当にしつこい地縛霊のような状態は、愛着障害なのか?


 まあね、お父さん、お母さんとの関係を思い出すと、それは十分あり得る。そもそも「子どもを不安にさせてコントロールする」手法で子育てされてきてること、俺が第3者の目から見て、びいの場合まさにそれだから。


 俺がはっきり「それは断る。間違ってます」とびいのお母さんに言ったところ、むしろお母さんはショックを受けていた。これまでの自分のやり方が、俺には全く通用しないから。当たり前だよ。俺の母さんはびいの母さんほど、俺をコントロールしようとはしなかったからな。


 ここまで自由がなかったら……このダブルバインドの閉塞感、おかしくもなるよ。何を選んでも、結局、「自分は間違い」じゃないか!


 選ぶ選択肢を「全部間違い」にするなんて、選択肢を差し出すその行為自体が「ファック・オフ!!」じゃねえのか。


 俺は思わず、下品なFワードを使い、苦笑した。久しぶりだな、Fワード。


 それくらい俺をイラつかせた。何なの、一体。こんな状況だと、できるだけ関わらない方向で行くしかない。俺はさっさとバイトを始めたいと思いながら、嫌がってグズるびいに、困った、と手を焼いていた。本当に無駄なプライドだけはある……。確かにコンビニとか、そのへんのどっかで働いていて、知ってる人に会ったらめちゃくちゃに気まずい気持ちはわかる。何でここにいるの? って状態だからな。だけどそんなこと言ってられないと思うけど。


 これ、無理やり何かさせようとすると、おかしなことになるに決まってる。実はもう長い間、おかしかったのかもしれない。


 俺は罵声を思い浮かべた。普通の人間は、日常的に罵声を突然浴びたりはしない。そんな環境に長くいない。


 びいは耐えたんだよな……


 正直……


 そんなところで変に頑張るから「おかしなこと」になるんだ……



 普通の人間はそんな屈辱に耐えない。


 それで、そういう我慢の耐性というのは、また、全然関係のない人からも、同じような残酷な隠れた性質を引き出すんだよな……。


 びいがそこまで優しいということがわかると、びいに対してだけ……他の人には決して見せないような罵詈雑言を醜く浴びせかけて来る……人たちがいっぱい寄って来る。



 それは驚くべきことだったが、ゴミ箱にゴミが集まるように、びいの周りの数年は本当に過酷だった。今もそうかもしれないが。



 だから誰にも会いたくないんだろう。思ったんだが、人間というのはどこまでも残酷になれるものだし、びいは昔、イエス・キリスト的に全てを赦すということをしたいと思っていたらしいが、その結果がこれだ。



 俺は苦笑した。わざわざ、要らないゴミを他人から集めることもない。


 そろそろ気づいた方がいいよ。お前が「優しく受容的でありたい」と心から願った結果がこれだと。


 人というのは清くもなれる、悪魔にもなれる。


 人の最も理想的な、良い資質を引き出してあげるような人になることを目標にすれば?


 それにはお前、自分も努力が必要だよ。今のお前の状態では、到底……胸を張れないよね。


 それもね、過去から来る。お前、人から求められた時、なんでもいつでも、応えてあげられる「余裕」が欲しいと思っただろう。


 神でないからそれは無理。


 「時間を空けておいてあげたい」と思い過ぎただろう。


 そんなふうに無為な何もない時間を作り過ぎた。「自分がない状態」。


 いろんな人の便利の良いように、いつでも時間を空けておいてあげたかっただろう。魔法を使うみたいに。


 それが間違ってる。「いつでも時間が有り余ってるような人」って、暇で退屈な、いつ連絡してもいい、どうでもいい人だからさ。


 いつ連絡しても暇そうにしている人だったら、また今度、自分も暇なら連絡しようかな、と思うよ。でも充実してるまともな人が「暇になる時間」なんて永遠にないよ。


 俺は苦笑した。これはパラドックス。ものすごく逆説的な状態に陥ってる。こんなふうに思ったって、なぜならびいは、超多忙で、無茶苦茶なスケジュールで過密すぎて人に会うのに前の約束の人と、次の約束の人の最初と最後が重なるくらいじゃないと、人に会えないような忙しさで動いていたこともあるから。


 びいがものすごく忙しかった時期、周りの人は好意的だったね。好意的じゃない人に出会っても、関わる時間ゼロだから、出会わないのと同じだ。目標を持ち、それに邁進して、毎日忙しくて楽しく、時間が経つのも忘れ……。


 それって今の戦記の人とちょっと似てる。戦記の人はすっかり忙しくなって、死ぬ死ぬ言ってたことも忘れてるから。本当に良かったと思う。このタイミングでお前も、元の生活に戻ればいい。戻れないなら、せめて自分がやりたいことをやろうよ。もともとお前にとって男なんて、二の次だったはず。


 お前さあ、極端なんだよ……。今のお前はスケジュール真っ白で、やりたいこともなく、楽しいことも、好きなこともない状態で、自分ばかりを責めて……長い間過ごしただろ。だから、鬱にもなるよ。


 何もしたくなくても、そんな生活がこんなに長いんだよ? もうそろそろ、何か変えてもいいんじゃない?


 でないともう、社会復帰、真面目に無理になるよ?


 アートとか、感性とか、重視しすぎると、生活破綻する。それは当然だよ。何かに特化し過ぎて、早死にするならまだしも、今みたいに、何もしないでとにかく死にたいとか、本当に意味ないよ。感性重視しすぎると、何が悪いかって、コミュニケーションの基盤が普通の人と合わなくなるから。


 絵描きとか、イラスト・デザインやってる人はいいよ。それでお金を稼いで、作品でナンボとなるから。でもそうじゃないなら、感性だけの世界で生きたら、コミュニケーション不能なディスアビリティ扱いだけになるよ。感性を創作という結果に生かしてないから。今、お前が無能扱いされすぎるのは、感性だけを重視して、その感性を生かす作業ゼロのせいだ。良い感性だね、と人から思われることよりも、一緒にいると価値観が壊れそうで怖い、と言われることが増えただろう。人というのは、あまりにも自分と違いすぎるものについて、建設的な結果を生み出せるものにはポジティブになれても、単なる破壊でしかないものについては、異質なものに対する畏怖と排除しかないよ。


 この辛い状況は、「自分を生かして生きてない」のが原因だよ……何でもいい、「自分らしさが、これをすることで生きてるな」と感じられる建設的なことを積み上げないか?


 俺は淡々と、語りかけた。

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