第371話 責任。


 昨日は穏やかな楽しいリラックスした休日だった。すずらんの祝日だ。


 そう、俺は覚えているんだ。あなたたちは俺を拾って育ててくれた。今もまるで、家族のようなんだ。そのことを感じる時、俺は密かに涙ぐんだ。


 俺はとても恵まれているな。こんなふうに休みの日に、美味しいご飯を庭で食べさせてもらって、それから、家族のように明るい日差しの中を散歩して。


 俺はあまりに幸せだから、ぼんやり普段考えるような、すごくくだらないことを考えて、吹き出したりしてた。いつもいつも、厳しい現実ばかり見つめていては、頭がおかしくなってしまう。


 それから、家に帰って、続きを作業した。できるだけ早く寝るしかない。一緒に同居する人に迷惑がかかりすぎる。



 俺はできるだけのことを片っ端からやって、ある意味、材料を揃える作業をしていた。いろんな仕組みを検証する。解離性同一性障害。


 こんなふうに虐待の連鎖というのは起こるんだ。俺は身を持って体験した過去生の苦しい材料を揃え、追体験することで、すっかり理解した気がしていた。


 犯罪者の心理。俺は犯罪者の心理もよくわかると感じていた。冷酷な事件、凄惨な事件、それから卑劣な犯罪。無抵抗の女性をレイプしたり、なぜそんな偶発的な運の悪さで事が起こるのか。


 そこには目に見えない世界が大きく関わっていた。光と陰と。



 俺はそういうことを読み解く中、虐待されたものが、虐待者になる心理、被害者になったものが加害者になる心理も、生まれ変わりや目に見えない世界も含めれば、簡単に説明がつくと、そう言いたかった。


 だが、これはきっと出せないだろう。


 母さんが恥だと俺を罵る以上に、わざわざに華やかな場所に、そこまで場違いなものを出してこられたら、どんなことになるだろうか。


 日本の中にある大きな問題は、法整備がきっちり整っていないことで、先進諸国から、一歩遅れた状態で、表現の自由ということで、驚くようなものが野放しにされ、そして最近、取り締まられるようになっていた。


 その波に乗り、俺がこんなことをパブリックの場所で出したら、老齢の重鎮たちはとんでもない恥だと俺をきっと、葬り去る。


 俺には俺の文脈があるが、それは外からは、わからない。普通のギャラリーや美術館、私的なイベントでなく、この国で日本を代表する「日本文化」の発信地、でこんなことを口にすれば、タブーすぎて恐らくストップがかかるだろう。


 俺は念のため、実は今日、聞いたんだ。この国の表現のタブーとは何か。


 庭の明るい家族のバーベキューだが、取り締まる側にいた人間はとても詳しい。


 子供のセックスについて扱うとアウトだ。


「岬、わざわざ……テーマをちょっと変えろ。例えば18歳以上にならないのか、その話は」


俺は、真剣だった。そしてえぐられるように痛んだ。困惑の視線。


 いや、もう、ほとんど出来上がっちゃってるんで……。



俺は俺の国で、守られてなかったということに深いショックを受けていた。でも自分が悪い。自分がもっとしっかりしていたら。そう、俺が今の俺なら、こんなことになってないし、こんなに傷ついてなかった。



 俺は本当に幼く、子供だったんだ。それから、それでも男だから、屈辱を受け入れ難かった。人に知られたら、屈辱だ。


 癒えたかのように見えた傷がまた痛んだ。


 和やかに食事は続く。今年初めてのバーベキューだなあ、と言いながら、俺たちはデザートに移っていた。


 俺は個人を糾弾することが目的でこんなことを、こんなテーマを取り上げたわけじゃない。


 どこかで悩んで、泣いている人たちがいるかもしれないから……



 俺は自分が何かの役に立つということについて、最期にそうしてから、この世界を立ち去ることに決めていたから。


 外で恥をかかされたら、きっとどれだけおかしいか、どれだけ日本が遅れているのか、わかる。


 でも、公職につき、順調に進んでいる人、当人しか知り得ない個人的な行為を暴くような形になる、私怨を晴らすようなふうに受け取られてしまう危険性があるだろう。


 俺が見たパラレル・ワールド。俺はああやって復讐することで、なんとか自分の世界が崩れ落ちないよう、無意識で柱を立てたというわけか。俺が知り得ない、俺の知らない人柱。



 俺がたくさん見た前世も、結局、悪魔が見せたものかもしれないが、そうすることで俺は、自分の客観性を保とうとした。いろんな立場になることにより、公平であろうと、無意識は動いているんだ。


 他の人にはきっと、誰の中にでもあるそういう「バランスの装置」というものの存在がうまく知覚できない。


 俺には見える。はっきり見えるから、こんなにややこしいことになったのだろう。無意識まで意識化すれば、現実が解決するというやつだ。


 俺は、我慢して押さえつけ、なかったことにしようとする理性的な自分が、全く違う凶暴な俺を俺の知らない世界で生み出していたということに、やっと気づいた。


 俺は幸い、そういう凶暴な俺をまだ外に出してはいなかった。せいぜい、ゴミ箱を蹴飛ばしたり、大声で叫んで、Bと喧嘩したりするくらいだ。


 そうだ俺……Bにで会う直前、同じ経験をしていたんだ……


 逆上した俺……



 ナイフを自分に向け、こんなに辛い世界に生きるくらいなら、死んでしまいたいと叫んだ……



 気づいた時、近所の大きな病院の救急にいた。さすがアメリカだな、こんなところで感心するのはおかしいが、追い詰められた経験のある人を、再び追い詰めたら、こんなことになる。


 今なら理由がわかる。俺は傷に蓋をしていただけで、全く癒えていなかった。生の傷を抱えて、見ないふりをして、終わったこと、そう自分に言い聞かせて、生きていたんだ。



 いや、もう、その話はいい。俺個人のことは、どうでもいい。


 俺がさっき連絡を取ろうとした人は、表現者だったが、警察に捕まった。個人的に知らない人だが、俺は作品はよく知っていた。


 話してみると、冤罪に近いというか、見せしめの逮捕だった。条件が揃えば、逮捕できる。結局どんな結果になったのかはかなり前で思い出すことができない。


 その人からのメールの返事を探して開けて見たが、時間が経ちすぎて、俺の問いかけしか残っていなかった。SNSを退会していた。


 どんなことでも簡単に逮捕ができる。俺はそのことをよく知っていて、今、順調に生きている人の過去をとやかくいうつもりはないと、感じていた。


 それに俺だってこんなことを表に出せば無傷ではいられない。俺の持っている悲惨な過去生とセットで、人は俺を見るだろう。構わないとは言っても、母さんも兄貴も、Bも俺のことをこれまでと同じように見るわけがない。


 俺は、だから言えなかったんだ。自分が何を感じて生きているのか。生きてきたのか。俺には人に見えないことまでも見えてしまう。邪な思いだって、簡単に何もないところから読み取る。悲惨な事件があった場所の記憶や、ものの記憶。現実にこびり付く残留する強い思念を自然に俺は読み取ってしまうから、傷だらけの体でむき出しの素足で、ガラスの欠片が散らばる中を、這いつくばって生きてきたのだから。


 「あなたはとても恵まれている」と人からよく言われたが、俺の内面は全く違っていた。でも俺は、そのことを隠していた。俺は幸い、家族にはいつも恵まれていたんだ。血が繋がらない家族でも。血の繋がった家族からの虐待を受けている人はもっと辛いはずだ。厳密に言えば、過去生においては、ゼロだったとは言えない。だけど、俺はとにかく、「波風を立てないで、岬……」と言う母さんの意見も、わからなくない。もちろんだ。



 俺が子供だった時、本当に守られていたよ、家にいた時は。変なテレビだってすぐに消された、学校がむしろ、自分とはちょっと違う世界だと言うことについて、他の子達が晒されている環境が少しかわいそうなくらいに。


 インターネットもテレビも、本当に純粋な人たちに見せるべきものでないものが溢れている。俺だって自分が書いているこんな文章、そんな人たちに読ませたくない。


 表現の自由があるが、表現の責任も同時にあるんだ。俺は、思い切り書きたい、思い切り言いたい、苦しくて仕方ないから、匿名で思いの限りをぶちまけてきたが、表現の責任は取ってない。


 俺がここまで話したこと、本当に純粋な人たちが見たら、傷つくに違いない。


 だからどうしたら良いのか、わからなかった。俺は昔よく、純粋な人だと言われたが、それは運よく、「守られる家庭」で大きくなったからだ。


 でも純粋すぎたら、今度は外敵に弱くなり、俺は悩んだ。


 何もかも知っていて、強くとも、純粋な汚れなき魂を守るというのは本当に難しい、ほぼ無理なことなんだ。


 締め切りはもうそこだ。一体どんな具体プランで出すのか、書類を出してくれと言われて二日。



 そんな狭い狭いスペースでできることなど限りがあり、俺はタカをくくって、お茶を濁すようなものを出すつもりで、最初、応募していた。


 今になって、いざ、たとえどんなに小さい、狭い1㎡のような空間でも、そんなパブリックで出せるのなら、挑戦してやろうという気持ちが起こって、自分が組んでいる大掛かりな仕掛けの一部にするという気軽な気持ちから、俺は全力で思考を続けて。


 ここまで来て、俺は自分の名前をかけて、責任を取れるのか、考えた。


 抹殺されるかもしれないし、また前科がつく。遡って、100%で逮捕する理由が見つけられないほどにクリーンな人など存在し得ないのは、政治家や芸能人のゴシップを見ればわかると思うが、六法全書に照らして、詳細にチェックすれば、何かネタが出る。


 俺はそのこともよく知っていて、完全に自由も奪われるかもしれないその引き換えでも、発言するのか……? 沈黙した。


 言えずに逃げたじゃないか、俺は。


 自分が死ぬのが怖くて、危ないといくら叫んでも、その声は届かず、自分が死なないために逃げるしかなくて、生き延びて。


  俺は延々とループする中を、どう生きるべきか考えた。


  俺は一体どう生きるべきか。


  俺は一体、どう生きるべきか。


 

  答えが見つけらるのかはわからない。


  いつまでも無限にループする


  俺は一体、どう生きるべきか。



  残された時間。


  残された時間、その中で。





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