第314話 お嬢様のお付きと戦場の記憶と。


 これはかなり前の話。俺、その後、落ちぶれたんだよね。


 お嬢様は本当に綺麗で、それこそ、ルブタンとか履いてそうな、東京から来た女性だった。


 俺ね、たまたま見つけたウェブの書き込みに応募した。「誰かアタシの旅のアテンドしてください。一人じゃ不安な旅行だから」


 何で応募したのか忘れたが、俺、ピンと来た。滅多にそんなことしないよ。だって俺、ウェブからの出会いなんて怪しすぎて信じない。でも俺、すごい勘だけで生きてるみたいな人間って、書いたよね。すぐにピンとくるから。で、こっちの高級ホテルにお迎えに行ったら、すごい綺麗な軽い巻き髪の女性が立ってて、俺、B連れてて良かったと思った。俺ね、レストランとか苦手って、言ったっけ?


 結局、俺は、ちょっとした野蛮人なのかなあ。なんかさ、こっちのレストランですました顔で、注文するとか、嫌なんだよ。鼻につく。庶民なのかなあ。


 その点、Bはいつも、洗練されてるから。もうほんとね、立ち居振る舞いが美しい、どこに出しても文句ないからさ。


 Bは容姿的には、そういうエレガントさを差し引くと、日本じゃカッコいいが、海外じゃ、真面目に普通だよ。まあ、それでも、普通って言っても、俺の普通はかなり上だから。


 で、Bがいない間も俺はいろんなところに彼女を案内したわけなんだけど、一番最後の日、メトロが閉まる直前に、彼女が涙ぐんでた。


 俺、実はね、彼女がここの大都市で探し回っていた、髪飾りをプレゼントしたんだ。デパートやいろんな店を回った。でもね、思うようなものがなかった。だってさ、俺からしたら、作る方が早いんだよね。自分の思い描くようなものを探すよりも。書いたと思うけど、俺、何でも作るからね。Jさんと出会った時、着てた変わったTシャツ、俺がミシンで初めて縫ったやつ。なんでそんなもの作ったのかって、服って、一筋縄ではいかないことを知ってて、試してみたかったから。でもね、見事にイマイチだな、と思いながら着てた。基本は何でも大事。余計に目立つようなことをしてはいけないから、俺、滅茶滅茶ベーシックな服、ありきたりな服を着るように、ずっとここ数年そうしてるんだ。これダメ、目立つというデザインで作ったのは、機能性とデザインと、どの程度のバランスで「着られる洋服」になるのか試してみたからだったが、以後一度も着ず。だって体が丸見えに泳ぐ感じで、無駄にセクシーになりすぎるから、俺は白い羽織ってたシャツを慌ててボタン閉じたよ。Jさんに話しかけられて、すぐに。なんだよこいつ、変わった奴がいると思われた、と。俺も、この服、変わってるけど、作るの簡単だったなあ。これってたくさん作ってもしも売れるようなもんなら、楽勝だよなあ、とか思ってた。


 散歩してて、こんな真昼にまさか、誰にも会うまい、と思って油断してた。あんな服着てなければ、声かけられることもなかったかもしれない。こんな田舎で、雑誌の撮影途中みたいにオシャレ過ぎても、カメラマンいないし、見るからに怪しいやつ?……って感じだった。 


 空港に向かう直前に、お嬢様にあげた髪飾り、黒い革を使って、古い黒いレースや黒い羽かなんかで、飾ったものだ。俺からのプレゼント。軽く徹夜で作って、ぼんやりしたほのかな熱が、自分の中に残ってたサヨナラだった。女の使うものなんて、どこがどうなって、使いやすいとか、そういうのはよくわからないが、まあ、構造的には簡単だからね。触って形変わらない、壊れないようにだけ注意して作ればいい。


 すごいシックでデコレーションされてる割には凝り具合が目立たないからすごくいい。ギラギラして目立つものって、むしろ田舎くさいんだよ。


 でも、お嬢様だから、捨てるほどものは持ってると思うよ。だから使ってくれたかは全くわからない。俺は彼女のことを実はよく覚えてる、って言った?


 彼女が前世で俺と同僚だったのは、すぐに思い出した。恋人じゃないけど、同僚として、抱きしめてあげたいような感じで。今と全く変わらない繊細さ、それと、俺と同じような孤独。同じ世界に生きているから、分かり合える、俺は彼女にそんな話は一切していない。するつもりもない。クライアントさんだから、俺は個人的な話に一切触れない。ただすれ違うだけだ。この件が終わったら、また依頼がない限り、きっとこのまま。




 メトロのドアが閉まる直前に、お嬢様が何て言ったのかは、わからない。帰りたくないって言ったのか、なんて言ったんだろう?


 俺は電車の風に吹かれて、彼女を見送った。


 なんというか、あの人は全然人を信用しない人だったんだけど、最後の最後に「あなたは温かい人というのがよくわかる」と俺に言った。唐突に。えらく殊勝な口ぶりに驚いた。もっと人を人とも思わないような、そういうワガママさで俺を振りまわして、拗ねたような感じでいて、いかにもお嬢様なのに、急にそう言うから驚いた。


 俺は別に「そりゃどうも」とは言わなかったよ。そんなの、たくさんの人に言われ慣れてるから。


 でもさ、彼女は壊れそうだった。お金も何もかも、恵まれていて、なぜだろうね。お手伝いさんが信用できない、モノがなくなるって首にしちゃった、ってクレープを食べながら、言ってた。


 まあね、そういうこともあるから。


 俺はお嬢様に、案内の合間に、いろいろこうしたほうがいいなと言うことを伝えた気がする。


 俺の敬語、意味不明。


 「出過ぎたことを言うわたくしめをお許しください」


 日本じゃないから、誰も俺の言葉を理解しない。お嬢様だけだから気が楽だった。だって誰かが聞いてたら、この二人、何なんだと思われるに決まってる。日本の東京のど真ん中で、彼女を連れて歩く俺は想像できない。それこそ俺、マックスに怪しい。


「今のうちにできるだけ早く、ご自分と釣り合うような良い殿方を見つけ、ご結婚を早急に考えた方が、よろしいかと思います」


 俺は小言を言うばあやのようで嫌だったが、言っておかねば。


「そうすることが、結局は将来の**お嬢様のためとなるでしょう。今は、きっとどなたも〜**お嬢様の御心の中にいらっしゃらないようですが、そうしてください。出過ぎたこととは思いますが、東京に帰られても心配です」


 俺はそうだけ、言った。なぜ? いやそれはね、やっぱり男は、女の子を守ってくれるからさ。大概は。


 東京のような場所は安心だが、このお嬢様に合う男が、東京にいるととても思えない。


「**お嬢様、こんな場所でなく、次回は**にお越しください。**お嬢様に釣り合うような大金持ちの王子様はこんな普通の場所では見つかりません」


 俺はそう言ったが、彼女は素直に俺の言うことを聞いたようだった。以後、頻繁に、長期にわたって彼女はそこに滞在していたから。俺も何度も、実は会った。会わない主義じゃなかったのかと言われたら耳が痛いが、緊急事態だから仕方ない。


 だから、そういうことも見越して、結婚した方がいいよ。早く良い人見つけて。おせっかいにこんな出過ぎたことを言うのは、この時だけだ。本当に。俺はね、完全な下僕のように仕えているが、言わなきゃいけないことはちゃんと言う。


 こんなにモデルみたいに綺麗でも、よくわかってない。男の価値は金じゃないけどさ、**お嬢様の場合は、金があって、しっかりしてる男を選べば良いから。


 以後、その国でたくさんのプロポーズ受けても、よくわかってないらしい。


 まあいい、遅くなりすぎないうちに。俺は、こんなに綺麗で、金もあって、しかも傷ついた子猫のようになってしまうというのが、金の魔力と思った。


 周りの人が金に目を眩ませて、おかしくなるんだよ。


 俺はもちろん、クライアントさんには一切手を出さないから、抱きしめたりしなかった。でも、とても、可哀想だったから、そして自分が実は「可哀想」というのを全然っ、わかってない。


 マナーも悪く、カジュアルなレストランに入っても、店でも、俺は時々、小さな声でお嬢様をたしなめないといけなかった。こんなに綺麗なのに、なぜこんなに失礼なんだ。他のサーヴィス係も、彼女が特別に金を持っていることがすぐにわかるから、にこやかだが、それ以前の問題だ。


 でも、そうするしかなかった彼女が本当に痛いほどわかる。可哀想だ。誰も信じられないで来て、金だけは本当にたっぷりあって。でも孤独で。


 ただただ、そんなことになってるのは、彼女のバックグラウンドのせいだよ。金があると、いろんなとんでもない輩が、振り払ってもしつこく付きまとうハエみたいに寄ってくるから。


 俺は、このお嬢様が何とか普通の世界が観れるように予定を組んだんだが、それにしても、普通の男は彼女と結婚しにくいだろう、というのはすぐにわかった。


 Bは後から、俺は正直、彼女のアテンドはちょっと難しかったね、というくらいだから。Bは、密かに彼女の相手は俺はごめんだ、と言った。そんなこと言うなよ。彼女がそうならざるを得なかった理由がちゃんとあるんだ。どれだけ傷つけられて来たか。


 彼女が金を払う手つきを俺は見ていたが、それはそれは、汚いものでも投げるようだった。全て物語ってる。そして彼女は、何にでもすぐに「高い!」と言った。唸る金を持っていて、それで「高い」と感じる。値切ることを厭わない。物の値段をよく知っていた。なんでも、そんなふうに実は半額くらいで作れることをよく知ってるんだ。ブランドがブランド力だけで品物に上乗せしてることも。


 普通の人たちは眉をひそめた。この綺麗な女性、一体どういう育ちの人なんだろう。普通じゃない。


 俺は、俺がずっとついていてあげられたら、世間のことを教えてあげられると思ったが、それはできないことだった。俺は彼女のガイドでしかないし、それにおそらく、俺は彼女の下僕、エターナルな下僕なんて絶対に無理だ。できるできないじゃなく、出来るだろうが、俺は一人の女とずっと一緒にいるとか無理だから。


 でもね、俺はね、恋愛感情でなく、彼女のことは好きだったよ。すごく。それはなんだろう、うまく言えないが、俺たちはちょっと似てるから。俺と王子くんが似てるのと同じ感じというか。


 俺はね、隣の爺さんの下僕になるくらいなら、彼女に仕える方が100倍くらい楽しいね。だけど、俺は一応、下僕じゃないから。下僕の振りはいくらでもできる。俺は「振り」は俳優みたいに完璧だと思ったよ。


 こういうのをずっと求められたとしたら、俺、こういう男に見えるだろうな。そしてまた、めちゃめちゃに今以上にモテて、困ることになるが、絶対前に出ないから。なんでも言いなりというのは、そう見えてそうじゃない。結局、俺が全部ハンドルしてるんだ。人に仕えるってそういうことだよ。俺、この彼女の下僕ならやってて不自然さがないくらい「楽」だった。


 ガイドを頼まれただけなのに、自然に下僕になる俺、なんだろうね。これって、条件反射だね。


 最近はだから、依頼が来ても、ガイドは断る。だって割に合わねえ。すごい高額払ってもらうなら別かもしれないが、俺、そういう高級娼婦みたいなやり口、抵抗あるんだよ。そういうの、まともじゃないって知ってる。


俺ね、自分ができること、ことごとく断るね。なんだろうね。旅行に来たいという人には、やめた方がいい、って言ってるから。よほどの人は別だよ。


 アメリカに住んでた高校の先輩が、出張でこっち来た時に、レストランの約束、仕事が忙しくてぶっちぎられたんだけど、翌年、結局やってきて、一緒に歩いてて、この国の駅の警備見て「あいつら銃の安全装置外した状態で警備してる」と呟いたけど、そういう人でない限り、うっかりしたところをうっかり旅行するもんじゃない。


 聞いてないけど、もしかして、先輩は射撃に詳しかったのかもしれない。俺に向かって、俺は実はプロなんだよ、と言って、まあ、ガタイ見ても、プロファイル見ても、それはわかるね。俺よりは。


 いや、この国はね、旅行、そこまで危なくはないよ。ただ、運が悪ければ、何があるかわからないだけで、その運の悪さがさ、俺にはあるから、何となく反対してしまう。時勢が悪いから、この国に来るの、念のために取りやめた方がいい気がします、と。特に俺と一緒はヤメたほうがいいよ。俺、いつも巻き込まれてるから。


 俺、でもさ、実際巻き込まれることを別にして、俺はどうしても責任感が強すぎる気がする。それって、生まれつきなんだよ。Bが言ってたけど「お前にレジ係無理だろ?」と笑った。


 俺ね、「レジの仕事」で真っ先に思いついたことって、強盗にあったら、どう反撃する?ってことだった。


 正解知ってる。反撃せずおとなしく、金を渡す、だ。


 知ってるし、そうすると思うけど、自信がない。反撃したくならないか?普通は。


 いや、銃に反撃したら殺されるから、しちゃいけない。それに周りを巻き添えにして、犠牲者を増やすだけだ。絶対に反撃しないのがセオリー。


 なのに自信がない。それって何かな。


 Jさんに言えば、何と答えるかは知らないが、まず見逃したというのは、特殊部隊であってさえも同じ。わざと。レジで金が盗まれても、じっと盗ませないとダメだ。そこでもセオリーがあり、相手の顔を注視してはいけない。見ないふりで、指で指し示して、そこにあることを伝えて、自分は動いてはいけない。ビビった犯人に殺されるかもしれないから。金を取った直後にそのまま射殺されるかもしれないし、周りをまず撃って逃げるかもしれず、絶対に刺激してはいけない。


 狭い店内で発砲されたらたくさんの人が死ぬ。だから金を渡して、できるだけおとなしく逃すしかない。たとえ自分が銃を携帯していても。すごく冷静に、犯人をむしろ、落ち着かせるくらいの感じで。


 先に書いたこの国の特殊部隊は、結局のところ、もちろん店を出た犯人をすぐに全員で、追跡して、結局、射殺しちゃったと思う。犯人が反撃に出たから、腹を撃った。死んだかまで確認してないけど。


 俺、まず「レジの仕事」に応募する前に、考えるのがそういうことなんだよ。俺、ダメだね、本当。


 Bもそうかもしれないが、緊急事態にワクワクしすぎるのは病気だよ、病気。


 アドレナリンというか、俺はその点で、もう少し大人しいと思うよ。逃げたほうがいい時、俺は絶対にセオリー通り、逃げろ、と言うから。Bはそうじゃないから、お前死ぬよ。セオリー知らない人間はこれだから、一緒にいて危ない。


 Bに、俺、つい戯れに「射撃場に連れてってもらいたいんだけど、Jさんに」とこの間言ってみたら、Bがものすごく怒った。絶対ダメだと。


 武器は最低、と言う。いや、趣味だから、いいじゃないか。練習しないと、絶対ダメになるよ、と俺は言わなかった。俺、握力落ちてるし、実弾撃ったことないからなあ。何と言っても、こんなに自然に握力落ちるなんて、絶対おかしいよ。ありえない。カルシウム、ビタミンB群がすごく消費されてるんだ。ビタミンDも足りない。やっぱ食わないとダメということなんだけど、俺、蓄えないからな。ちょっと食べないとダメだとすぐわかる。この間、丸二日、本当に適当に過ごしたら、体が不味く感じたから。食うの面倒。


 Jさんに出会ってさ、俺はやっと息ができる気がしたんだよ。やっとこれまで良く知ってた世界に戻れる、と。トレーニングメニューとか聞いたのに、Jさんはあんまり俺にそういう、何というかな、そっちの方に行こうとする俺を引き止めるんだよね。嫌がる。普通の幸せを目指せ、と。俺、普通が何なのかわからないのに。


 でもさ、同時にそっち行こうとするのって、俺の命縮めると良く知ってた。


 そうやってトレーニングしてもらって、すぐにいつも俺は死ぬ。前世、過去生の俺は、そういうこと繰り返して、だからさ、昔トレーニングしてくれた人に出会うと、すぐに思い出すんだよ。懐かしいから。俺ね、そういう時だけ、生きてる感じする。生き残る方法を教えてもらいながら、必死にトレーニングする時。今回もそういう機会があったら、こんなところでこんなこと書いてない。俺、中学の時、死ぬかとよく思ったけど、あのシゴキって、全然大したことないっていうか、別に生死かかってないから。負けることイコール、死ぬことだったら、全く違ったが、俺はイヤイヤ、しごかれてただけだった。早く終わらないかなあ、と全然やる気なかった。


 前世のトレーニングは、もっともっと切実で、実践的だった。実際の武器の使い方を教えてもらう。俺は、おもちゃみたいだ、とはしゃいでた。大人になったような気分になったが、俺はたかだか、14、5歳の子供に過ぎない。でも、大人が俺を大人のように扱ってくれて、俺は、自分で自分の命を守ることに、本当に誇りに思って死ぬのも全く怖くなかった。


 案の定、あっさり実戦では、何も抵抗することなく、死ぬ。俺らはレジスタンスのゲリラだから、訓練された軍の奴ら、大人の奴らに勝てるわけがない。まるで鬼ごっこにもならず、あっさり壊滅させられた。本当にあっさりと。銃に手をかける暇もないくらい。


 俺たちが子どもであっても、相手は容赦なく、まるで紙のターゲットを撃つように、いとも簡単にためらいなく殺した。俺は怖いとも思う間もなく、本当にあっという間に、気がついたら死んでいた。


 俺は死んでも、もちろんトレーニングしてくれた大人を恨んでなんかいない。もしかしてトレーニングする方も、こうなることは知って教えていたと、そんなことは露ほども考えたことがない。だってそれ以外に、どう解決があった?俺たちは孤児だし、まともな大人なんて周りに生き残ってない。そんな時にやってきて、手を貸してくれる人間、一人前の男として扱ってくれる外国人、俺たちは喜んで武器を取った。


 今でも、実はついさっきもギクリとした。


 さっきさ、図書館にいたんだけど、入り口の展示で、なんか汚れた大きな箱が、大勢いる人影越しに床においてあるのがチラッと見えた。


 俺ね、その大きな展示物の箱、てっきり中身は銃だと咄嗟に思ったんだよ。そう思い込んで、だから自然にギクッとした。なんでこんなものがこんなところにあるんだ、と。


 でも人をかき分け見たら、中身は、違った。アフリカかなんかの木彫りの人形が二体、丁寧に展示されていただけ。単によく似たタイプの金属製の大きな箱を、美術品の展示に使っただけだった。俺の中ではあの中にあるのは、普通は裸の大きなライフル銃だ。カラシニコフみたいな、単純な安くて頑丈なやつ。アサルトライフル。銃身の感じとか、よく覚えてる。俺は15歳なのに、全然銃を大きくは感じなかった。むしろ銃身が短いと思ったから、案外、長身だったんだろうか。明るいボロボロの廃墟の中で、俺はこれで生き残れると、すごく感慨深かったが、翌日には死んでいた。俺に取っての命なんて、紙の重さもない。そういう経験をたくさんしていると、結局、生き残ることだけが重要になるから。


 実際の射撃訓練をしたシーンは、なぜか全くうまく思い出せない。手触りとか、反動とか、思い出そうとしても、もしかして、実弾はもったいないから撃たなかったんじゃないかと思うくらいだった。


 音も覚えてない。今回の生で銃声のような大きな音は、昨日もそうだが、いつも出くわす。銃声に似ているが違う、とすぐにわかる。だから銃声を知ってるはずだ。だってそうじゃなかったら、とっさにこれは銃声ではない、とわからないはずだろう?


 無造作に置いてある銃が、廃墟の中で、妙に絵になった記憶しか残ってないんだ。夕方だが、まだまだ真昼のように明るい、埃っぽい場所だった。そしてその時に教官だった人は、俺、今回、出会っていきなり思い出して、すごく懐かしかったが、相手はもちろんそんなこと一切、覚えてない。今回、その人と、いきなり火器を使った作業のチームで組んで、言葉が通じないのに「ここをこう行け!」と言われて手渡された時に、すごい轟音の炎が、俺が引き金引くと出るんだが、その炎と、アドレナリンの感じで、突然に記憶が蘇った。前にこの人、武器の使い方を教えてくれた人だ、と。


 そう、似たような黒髪をしていた。会った時に、何か思い出しそうな気がしていたが、俺は、この人が好きだった。恋愛感情じゃなく、とにかく好きだった。前向きというか、大人しいんだが、淡々と生き残るためのレクチャーを何の感情も込めないように、俺たちに教えた。それは、どんな時も、自分が冷静さを欠いたら、すぐに死ぬということなんだと自然に教えてくれる態度だった。


 もちろん手渡された火器は銃じゃないから、引き金の反動なんかゼロだ。ただ、ボフッと鈍い音の後、ゴオオオオオオオオと轟音とすごい炎が出る。もし肉を焼くんなら、表面だけ一瞬で丸焦げ、中は生焼けのような勢いの炎。


 俺、その時に、チームの作業っていいなあ、とずっとそこに居たかったが、叶わなかった。残念だよ。あの人、どうしてるかな。


 俺はね、強くなるために、鍛えてくれた人を恨むなんてありえない。武器を手に、反抗してやると思う子どもでも、見えない力の前に、黙って捕虜になるとか、殺されるとかよりも、戦って殺されたい、俺はいつもそう思ってた。だから、武器の使い方を習って、何が悪いんだとしか思わなかった。それに、捕虜みたいに甘くはない。見つかれば皆殺しだ。俺は子供の頃、よく逃げる夢を見た。見つかったら殺される夢で、とにかく隠れる。見つかったら死ぬことははっきり決まってた。他の選択肢はない。子供の頃は、なぜそんな夢を見るのか不思議だったが、怖くはなかった。ただ、今になって、西洋のごく普通の古い城のような部屋を見て回ってると、ああ、こういうカーテンの後ろに隠れたとか、よく思い出す。俺、日本人で日本で育ってるのに、西洋の普通の城のような大きな大広間の部屋のサイズをよく知ってるのは本当に不思議だろう?日本と違って、スケールが違う。天井や窓、全てが違うんだ。実際にこっちに渡って実物見た時に、夢で見たことある、と何度も思った。俺はいろんな国で、いろんな戦争を経験しているが、そのどれもが、無力な子供の立場だったんだ。


 もちろん、そういう争いごとのない平和な世の中の方がいいに決まってるよ。でもさ、ものすごく悪どいんだよ、世界は。


 とても良い顔をして、俺たちを使い捨ての駒のように殺し合いさせて儲ける。本当に悪い奴は、自分には絶対に危害が加えられないような場所にいて、俺たちを利用している。


 そういうことがよくわかっていて、なおかつトレーニングしないとダメだ、と思うのは、実は「単なるノスタルジー」だと思うんだ、俺は。俺、それ以外の世界がよくわからないんだよ。ずっとそういう中で生きた記憶しかないから。それ、他の人に絶対理解できないよ。そういう戦争の生きるか死ぬかの時間が、俺にとって、「とてもノスタルジック」になるんだよ。絶対わからないだろ?変だろ?


 俺が、過去に俺がいて、戦場だった場所を訪れてみたいと単純に旅に出たいと国名を挙げたら、Jさんは大反対した。


 「岬、お前は不幸せだよ。全て忘れて、幸せになれ」と言った。


 俺はJさんに「いや、俺は十分、今、幸せですよ」と答えた。Jさん、何故俺が旅に出たいというだけで、すぐに「お前は不幸せ」というんですか、過去戦場でも、今は一般旅行者の旅行先の国もあるのに、と言った。


 Jさんは「いや、確かにそうだな」と言った。Jさんにはわかるんだ。俺、旅行したいわけじゃない。過去の、戦場だった場所を慰霊に訪れるつもりで行く、その感覚をよく知って「忘れろ」というんだ。


 俺にとっては過去じゃない。全て繋がってる。俺は今、大人になった。まだ生きているが、結局、何もできない無力な大人に育った。Jさんは、俺のこと「あまり深く考えるな、普通に幸せな人生をいけよ」とよく言った。


「いや、なんでそんなこと言うんですか、俺、幸せじゃないですか。こんな楽な生活ないですよ」


 俺がそう答えても、Jさんは何も言わなかった。なぜ、Jさんには俺のことがよくわかるのか、それは、どうしてなのか全くわからなかった。



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